5月16日レコード・クリエイティブへの嫉妬

この記事では、毎日瞑想を続けて起こる変化や気づきを記しているものです。具体的な生活まで開示している、超プライベートな記録となっています。(ので、すみませんが有料で閉じさせてもらってます)

瞑想ってどんな風に効果が出てくるのか知りたい方や、ダメダメな自分に辟易として変えたいと思っている方に実録として参考になればいいなぁと思っています。

というか、過去の私に対して、頑張って続けたよ。変わるんだよ。と声をかけてあげたくて、記しています。

クリエイティブに嫉妬する理由

私はもともと制作畑の人間だ。

今現在の自分の仕事が何だろうかと想像してみても、うまく言葉にできない。近い言葉は「ディレクター」なんだろうと思うけど、そんな曖昧な状態でお金をいただけているのは、本当にありがたいことだなと思う。

新卒での就職活動をしていたとき、出版業界へ入りたいという希望を捨てたのは、自分の活動スタートが遅れたことが理由だった。
気がついたときには、もう出版社のエントリー期間は終了していた。

そこから私は、じゃあ何ができるだろうと悩んで、そのころバブルを迎えていたIT系の一部上場企業へと就職することができた。

学生時代に趣味でホームページを作っていたのが幸いしたのだろうと思う。

プログラムを書くことも嫌いじゃなかった。どういう仕組みにすれば仕様通りに動くのかを考えて、実装していくのも楽しかった。資格の勉強もしたし、同僚とも仲良くやっていた。

でも、どうあがいても検証が苦手オブ苦手だった。

そもそも、だいたい動けばOKでしょ、という雑な性格で、クオリティを上げていくところまでモチベーションと興味が持てなかったんだ。

先輩はとてもよくしてくれて、うつ病が発症しまくっていたIT業界にいながらも、本当に楽しく過ごせたと思う。

でも泣きながら辞めた。

そのときの私は「やっぱり出版への夢が捨てられなかった」のだ。

しかし、大手出版社への入社はもちろん叶わず、入ったのは編集プロダクション。前職のIT知識を活かせる会社に所属した。そこでは、編集の基礎となる知識と経験をみっちりとさせてもらった。企画の立て方も進行の仕方も外注とのやりとりも、そのときに身につけた。

そして私はまた転身する。

もっと自分で文章を書いていきたい。そもそも、私の夢は小説家だったから。

ライティングメインの編プロへと移籍し、私はついてに文章を書くことを仕事にした。でも、思っている以上に文章は書けない。そもそも書くテーマに対して興味が持てなくて、何を書いていいのかわからなかった。でも、締め切りだけはやってくるから、ともかく、なんとか仕上げていた。

そのときの先輩たちも、丁寧に押してくれた。
文章は必ず添削してくれたし、色々なことに挑戦させてもらった。今思うと、お給料も良い会社だった。本当に恵まれていた。

でも、私は転身した。主婦に。

「書けない」という事実は小説家になりたいという夢を持っていた自分を情けないものにしていったし、何よりも、興味が持てないテーマに向き合うことができなくなっていった。苦痛でたまらなかったときに結婚が決まり、パートナーは「働かなくてもいい」と言ってくれる相手だったのだ。

これ幸いと仕事を手放した私は、その後3年ほど子どもを産むでもなく、小説を産むでもなく、ただ時間を消費した。

離婚した。

その頃の私は、もう実家にも戻れないしひとりで生きていくためには、正社員にならなくてはいけないと考えた。今までの経験でいったら、編集の仕事を探すのが良いと思ったけれど、そちらには食指が向かなかった。

その当時、唯一続けていた「写真」の世界に入ることに決めた。とはいえ、カメラマンになりかたったとかそういう思いはなくて。小説も描きたいし、まずは「人を知る」ことが大切なのではないかと考えたんだ。

人物を描くのが小説なのに、私は人嫌いで人に興味を持てないでいたから、できるだけいろんな種類の人に出会うことのできる仕事を考えて、写真館を選んだ。

そこでの私は快進撃が続く。

予想もしていなかったことなのだけど、今までの人生でおそらく一番充実していたし、楽しかったし、できることの多かった仕事だったと言える。

私は、写真館で「コーディネーター」というカメラマンのサポートをして、お客様と関わる職種で就職した。パートからはじめて、試用期間を終えて見込みがあると社員になれる可能性がある。

私は特に頑張ったわけではなかったのだけど、未知だった着付が頭に入り、苦手なはずのルーティンを覚え、6ヶ月後には店長になっていた。

途中で、副店長になるときに、急性の肺炎に罹患した。
役職がついてすぐの時だったから、絶対に休むわけはいかなくて、息苦しさと熱を抱えながら、店頭に立ち、夜は点滴を受ける日々を過ごした。いまだに、あの頃私が肺炎だったことを知っているスタッフはいないと思う。

そういう無茶ができてしまったし、必要だと思えたときだった。

店長になってからも、私の評判はスタッフの間で結構良い方だったと思う。自分でもスタッフ思いの運営をしたし、売り上げも作ったし、人件費のコントロールもした。何より、店の持つビジョンを掲げることと、本社の意向、スタッフの思いを繋げることが、本当に得意だった。

私は、人のマネジメントが好きなんだなと思って、もっと育成できる人間になりたいと思って、外部の講習を受けた。

そこが、運命の変わり目だった。

ゴロゴロと転がり落ちていった感じがある。いや、今までが水中だったのに、陸上に上がったのかもしれない。ともかく、生きづらくなった。一気に。

ほとんど定職につけなくなってしまったのだ。

それまでの仕事は全部正社員で、遅刻欠勤ゼロで残業もこなしてきたような人間が、定職につけなくなることなんてあるんだ。

もちろん、私の意志もそこにはあるんだけど、ともかくつかみどころのない状態のまま今に至る。流れ上、個人事業主になったけれど、そのきっかけは転職した先で給料が3ヶ月支払われず、生活できないと判断して辞職したことだった。

別に、フリーになりたくてなったわけじゃないから、準備もしていなかったし、フリーで食っていくアテもなかった。でも、なるしかなくて、なった。

幸運なことに、その後すぐに請負として仕事を受けることが決まり、その仕事をすることになった。「請負」と書いたけど、一応会社員だ。

会社員だけれど、私は青色申告で毎年確定申告するし、国民健康保険だし国民年金だ。毎月定額受け取る代わりに平日の時間を拘束される生活の始まりだった。そのときの私は、ともかく食い扶持がなかったから、どんな金額でもいただけるのがありがたくて、飛びついた。給料は個人事業主になる前より10万も下がった。普通に生活できるわけがない状態になっていた。

そして、その会社で一度たりとも給料が上がったことはなかった。しかも、IT系の会社だったのだ。

私は新卒のときに、「IT系は無理」と思って辞めているのに、同じ畑に入っていたのだから、自分でも滑稽だと思う。仕事内容はシステムの開発ではなかったし、企画やディレクションの仕事を担っていた。

風向きが変わってきたのは2年がすぎたころからだった。

仕事がまったくうまくいかないことが続いて、「これはできない仕事なんだ」と思った。できないというのは、技術的にできないという意味ではなく、心の方が「やりたくない」という意味。

このままやっても、お客様に迷惑をかけるだけだし、クビを覚悟で社長に直談判した。もうできないと。

当然ながら、「社会人ができないというのはありえない。できていないとは思っていない」と諭された。他にも何人かに「普通、仕事ができないといったら、おしまいだよ」と言われた。

そんなことはわかっていて、それでもできないから、できないと言っているのだから、何度も何度も自分の至らない点を突きつけられるのは、本当に苦しかった。こういうときに私は、自分がマネジメントの立場にいたときのことを思いだしてしまうのだ。
自分だったら、部下が「できない」と言ってきたときどうするか。
気持ちが無理だというのなら、何ができるのかを確認する。他に今の職場で興味の無垢ことややってみたいことがあるなら、そちらを任せられないかを考える。

自分がそう思うのだから、それができない会社や上司に対して憤りを感じたりもしていたし幻滅もしていた。
だから、できないことを認められないならば、辞めるしかないことも頭に入れていたから、クビを覚悟した。

それでも、クビにはならなかった。クビにはならなかったから、頑張らないといけないのかと思って、もう一度頑張ってみたりもした。今思うと本当にバカだと思う。できないと言ったんだから、やる必要はなかったのに。

その結果、朝起きることができない日を迎えて、辞職を決意した。

その後、いまだにその仕事を続けている自分がいて、バカなんだなと思う。

でも、この4月から大きく風向きが変わった。私は新たな環境に身を置くことになったのだ。でも、それも、誰かに依存した経済環境だ。自分の「やりたい」に向かえているわけじゃない。

そう思ったから、こうして瞑想を記録したり、youtubeで配信したり、ブログを書いたりということに挑戦している。どこか、光明が欲しいと思っているんだと思う。

結果を出すためには、数をこなす必要がある。
そこには、感性や感情を盛り込む必要はなくて、ともかく結果にフォーカスした行動が必要なんだとつくづく感じている。感情で左右されるから「できる、できない」の判断をして、積み上げを断念することになる。

感情は二の次でいい(無視していいとは言わない)。

作業を積み上げる経験をしてみようと思ってやってきた。小説を描きたかった私や感性こそが差別化で価値だと思っていた自分は遠くに押しのけていた。それまで熱心にみていた舞台も見ない。旅行も行かない。そう決めていた。

そして、昨日。

久々にクリエイティブに触れる機会があった。私が大好きで尊敬する人の制作に向かう姿勢を目の当たりにして、どうしようもない嫉妬が湧いてきたのだ。

まっすぐに、己の内側から沸き起こるものを表現するという行為。そして、そこに向かい合っている人に。私はどうしようもない嫉妬と憧憬を抱く。その領域で結果を掴むには、もう私の年齢ではどうにもならないし、それは作業の積み上げだけでどうにかなるものでもない。

でも、私はやっぱりその世界にどうしても惹かれてしまうんだ。
創作することにとても憧れてしまうし、夢中で創作できていたときのことを思いだして、また没頭したいと思ってしまう。

これを優先すると作業の積み上げはできなくなる。
完全に板挟みだ。
私は人生で何を大事にするのか?
何を紡ぐ人生にしていくのか?

30をすぎて、今更そんなことを考えさせられている。

でも、人生はまだ倍以上残っている。
今の苦しい状況で、同じだけ生きるのはあまりにもしんどい。だったら、同じだけの時間を使えば、何かしら変わるんじゃないのか?

年齢は、ものすごく壁になってくる。

どうして壁になってくるのかわからないけど、どうしても壁になる。
志さえ同じなら、壁になんてならないと頭では思うのに、やっぱり壁になっている。これが年なのか。

私は、この年でも夢を抱き直して、人生のうちにとらえることができるのだと証明したいんだ。だから、継続できないことに落ち込んだりしながらも、またクリエイトしていきたい。

誰も見ていなくても、頑張れる自分でいたい。頑張ろう。


では、本日のレコードです。

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ここでは、瞑想を毎日実践することで起こる変化を報告しています。

【 66日後に悟りを開くひと 】

------- 32日目の記録 -------

実績内容

瞑想  0.5h(累積933min)
作業  4.5h


66日後に悟りを開くひとの実験報告は以上です。

ここから先は有料設定とさせていただきます。
内容は、具体的な時間割になっています。
何時から何時に何をしたのか、行動内容まですべて入れています。
起きてから寝るまでを記録しているので、あまりに赤裸々なため有料にて非公開としています。

有料で見る価値があるのではなく、見られたくないので有料設定にしているので、内容としては上記にすべて記載済みです。

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