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夏空に想い出す彼女の話

酷暑の7月、思い出す友達がいる。
15歳で命を落とした、幼なじみ。
部活の夏合宿での事故から、くも膜下出血で意識の戻らないまま。
彼女がいなくなってしまったのが、7月の終わりだったのだ。

わたしがその訃報を受けたのは、自分も夏合宿から帰るバスの中でだった。
動揺した。
当たり前だ、そのときはこっちも15歳の女の子だ。
驚いて悲しくて泣いて、でもその後なぜか普通にしていなきゃいけない気がして、学校でみんなと写真撮ったりしてた。

合宿先から地元に戻ってきた彼女は、顔に傷を負って痛々しかった。
でも目を閉じていなかったから、なんだか怪我して寝ているだけにも見えた。
わたしが、そう見えた、と思いたかったのかもしれない。
後輩と手を繋いで泣きながら帰った。

地元に友達は多くない。
心を許していた人は、その中でもさらに少ない。
同じ小学校から地元の中学校に進んだ、本当に普通の幼なじみだった。
わたしたちは、何とか委員と名のつく委員をよくやるタイプの生徒だった。
同じクラスになったことはなかったけれど、今思えば委員会でよく顔を合わせていたのだと思う。
そして、こんなこと言ったら悲しまれそうだけど、あまり友達が多くないというところも似ていた気がする。

中2のときに、一緒に生徒会のメンバーになった。
彼女と距離が縮まったとしたら間違いなくここでだ。
部活も違う、クラスも違う、わたしたちは友達だったけど、共通のコミュニティはここしかなかった。
わたしたちの代の生徒会は、少女漫画などでよくあるような、優等生の集団ではなかったと思う。
学校に対してもっと開かれた組織でいたいと、多感な時期の中学生なりによく奮闘していたと思う。
だから、放課後の活動もよく行っていた。
思い返せば優等生集団ではなかったけど真面目に取り組んでいた。
彼女は厳しい運動部に所属していたけど、部活の時間を割いて一生懸命生徒会の活動もしてくれていた。

とはいえ、今はどうだか知らないけれどあの頃の中学生は真面目な生徒を疎んじるきらいがあったと思う。
わたしたちは2人とも疎まれがちだった。
素直な可愛い性格ではなかったから、というのも要因のひとつだったとは思う。
中学卒業はわたしたちにとって良い旅立ちだった。
卒業してからも、彼女とはよく連絡を取っていて、高校のクラスのことを楽しそうに話してくれた。
お互いが合宿から帰ってきたら遊ぼうと約束をしていた。
まさかそれが叶わなくなるなんて、思うはずもなかった。

告別式のとき、ぼんやり自分たちの歳を思っていた。
高校1年生、まだたった15歳の、高校に入って初めての夏。
15年で終わってしまった彼女の生涯。
そのときは、いつか一緒に生きた時間より、わたし1人で生きた時間の方が長くなってしまうことが怖かった。
何かにつけて、わたしは今も15歳の自分たちとの差を数えてしまう。
今年わたしは34歳になる。
もうとっくに、彼女といない人生の方が長い。
彼女の死は、悲しくてやるせなくて切ないけれど変えられない事実。
今は、それすらいつか思い出しもしなくなるのだろうかと思うことが怖い。

一緒に歳を重ねていたら今もつるんでいただろうか、とか考えるのも全部妄想だ。
そう言い切れるくらいには大人になった。
勝手に美化したり、しないように努めてる。
それでも、彼女がいなくなったその日から、生きるほどに遠くなるのは寂しい。
時間は本当に何かを解決してくれるだろうか、って今も考えてる。
今日は何だかすごく強く思い出したから、刻んでおく。

夏空の東京から。

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