見出し画像

生きることに悩めるひとへ

こんばんは、熱帯夜の東京より。
と書き始めた記事が、書きかけのまま見つかりました。
夏に置いてきてしまった記事を、今の気持ちで少し書き足して載せます。

重苦しいタイトルでごめんなさい。
でも、なんだか今日は、生きることについて書きたかったのです。

大学2年生、19歳の夏。
初めての両想いが崩れてしまったことから、わたしは心身のバランスを崩していき、今やうつ病のベテランとも言えるくらいうつ病歴が長いです。
それは、もう、良いのです。
つらくて苦しくて消えてしまいたくて、実際に消えてしまおうとしたこともあったけれど、今やっとそれも糧になったなって思えるから。

こういう話を、SNS等に書くのはどうにも気が引けて、これまであんまり長々書いたことはありません。
STORIESという媒体に書いていたことがありますが、途中で苦しくて止まってしまっています。
でも、19歳のわたしと同じような気持ち、ひとに味わってほしくありません。
過去の自分と重なってしまうので、特に若い女の子には、味わってほしくないなって思うのです。

2020年は誰も予想もしなかったような日々だったから、こころが疲れてしまっているひとも多いのではないかと想像しています。
わたし自身、正直結構参ってしまうこともありました。
それがもともとの性格なのか、うつ病の欠片なのか、もうわからないけれど、参っているのは事実なのでその理由はどっちだっていい。

話が逸れてしまいました。

生きることに悩めるときは、誰にだってあると思います。
でもそのときに、生きることをやめないでほしいのです。
ほんとうに消えてしまいたいひとに、そんなこと言ったって理解できないのはわかります。
それでも、消えてしまうという選択をしないでほしいのです。

わたしが消えてしまいたかったのは、だいすきだったひとに愛情を返してもらえなかったから。
そのひとに愛されることが世界の全部だと思っていたから、世界に居場所がなくなってしまっていた。
この、世界に居場所がなくなっちゃう感覚を覚えたときに、ひとは孤独を感じるように思います。
寂しい、つらい、理解されない、愛されたい。
そういうどうにも悲しい感情でこころがいっぱいになってしまったら、自分の外の世界があるっていうことを忘れてしまうのかな、と思うのです。

生きていることに、意味があるかはわからない。
人生に正解はないからです。
でも、もしこころのままに生きることをやめてしまったら、それはあるかもしれなかった未来を変えてしまうことになると思います。
今つらくてつらくて泣いていても、今後新しい出会いが、ないわけない。
今悲しみの中にいたとしても、今後一生しあわせになれない、そんなはずない。
だからどんなに寂しくてもこころが痛んでも、生きることをやめないでほしい。
悩んでも休んでも泣いてもいいし、それで何も変わらないって思ってもいいです。
生きていることの意味が、わからなくたって別にいいと思うんです。

わたしは自分と自分以外のひとに境界線を作りたくなかった。
境目があると、寄り添えないように思っていたのかな。
でも、自分の世界と、そこから外側の世界を分けても、思ってたほど冷たくないです。
自分と誰か、その間に何か境界線みたいなものがあっても、支えあうことはできる。

わたしはこういうことに気が付くまでに、随分時間がかかってしまいました。
長かったです、ここまで。とっても。
もし生きていることに悩んでいる、そんなひとが周りにいたら、話を聞けそうだったら聞いてあげてほしいです。
一緒に病院に行ける関係だったら、一緒に病院へ行ってあげてほしいです。
もしこれを読んでいるあなたが生きることを悩んでいるなら、ちゃんと医療機関へ行きましょう。
友達はあなたの専属カウンセラーではないから、自分の世界を理解してもらえなくても悲しまないで。
でも、一緒にお医者さんを探すことはお願いしても良いと思います。

自分の人生を、生きられるのは自分だけだなと思うのです。
文字にしてしまえば当たり前なのですが、それを理解できないのがうつ病という病気の症状でもあるように思います。
でも、誰も誰の代わりにもならない。
大切なひとも、疎遠になったひとも。
自分自身も。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

StockSnap from Pixabay

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?