【映画】ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい
映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』公式サイト|細田佳央太 駒井蓮 出演 (nuishabe-movie.com)
2023.4.18 鑑賞
次女のフリースクールついでに連れて行って鑑賞。
騒がしいシネコンは苦手な子なのですが、ミニシアターなのでいけるやろと。
そして繊細ちゃん、これは絶対に見るべきだと思ったので…
(連れがいるとさすがにこどわかの時にやったみたいなメモ師状態にはなれなかった)
そして実際、これはこの子と見てよかったなあと思った。
繊細な人間がどうやってこの社会で傷ついても生きていけばいいのか?
を考えたときに、吐き出す場所というのはどうしたって必要だし、
繊細人間はその吐き出し先も選ぶ。
ぬいサーはまさにその吐き出し場所を人間以外に定めたひとたちなわけで。
「そんなこと流せよ」って言われるようなことでいちいちまっとうに傷を作って、
その傷をぬいぐるみに話して、彼らをきれいに洗ってあげて、自分を浄化していく。
そういう生き方でバランスが取れるのならそれでもいいんだよ、
でもバランスが取れなくなったなら話そうよ。全然大丈夫じゃないって言っていいよ。
「大丈夫じゃない」って言い合える相手が必要な時もあるかもしれないよ。
そういうやさしさなんだろうなあと思いました。
七森のおばけちゃん、綿がはみ出していて縫い糸も特徴的で、決して見目の良い子ではないんだけれど、そのいびつさがまた生きづらさの象徴みたいで…
高校時代に拾った子がラストシーンで横にこてんと倒れてたのも「大丈夫じゃない」の象徴だったのかなあ。
これは長女の話なんですが、
彼女は自分の傷や苛立ちを吐き出すことがうまくない。
基本的に八方美人をやろうとしているので(級長ゆえに、というのもあるけれど)
嫌だ、と思ったことを相手に言わないでため込んで自分だけが傷ついている。
まあ要は彼女も繊細人間なんですわ。
自分もそうなので痛いほどわかるけれど、
日常的にやり取りをする間柄って家族くらいなので目立たないだけで。
あと、自分はこどもらのサポートを担っている手前、白城と同じ立場を取らざるを得ない。
好きでやってるところもあるのだけれど。
ぬいぐるみとしゃべってでも、うまく生きろ、繊細人間たち。
そして十年後に笑って生きててください。
わたしは白城とおなじ理由で「ぬいぐるみとしゃべらない」を選んで、君らのすぐそばにいるから。
余談。
役者のオタクの感想を付け足すと、
佳央太くん、『僕は七森ほど繊細ではないから難しかった』というようなことをどこかで答えていたなあという記憶があるんですが。
いや…いやいやいや…なかなかどうして…
難しいって言いながらあの芝居ができるのはこの子の真摯な姿勢故なんだろうなあと。
それが役者だって言えばそれまでなんですが、「自分と違うものやわからないものに対して真摯に向き合うことができる姿勢」って、多分「世の中の大半の人間が向き合わなくてもいいと感じてスルーしている問題に向き合ってしまっている」劇中の繊細人間たちの姿勢と少し似てるんだと思います。
彼の芝居を私は信用しているので、これからも見ていきたい。ぜひに。
とはいえ直近待っているのが自害が約束されてるどうする家康とヤンキー自伝のドロップなのが怖すぎるんですが。
いろいろな幅を見たいので楽しみではある。
(でも信康は生存説取るかもしれないと思ってる。あの殿には息子殺せって言えないよ…)