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世間噺と夢見の徒然13...岸辺のカフェで

大きなタイトルに“夢見”と掲げたのですが、スピリチュアルめいているので躊躇いがありました。
今回、やっと触れる気になったので、書きます。

ドリームタイムで遊ぶ日々

睡眠時間をたっぷりとれるのは、あまり時間に縛られないシニアの特権かもしれません。

昔からほぼ毎日、夢を見ています。
取りこぼす…起床すると忘れてしまったり、持ち帰れない…見た記憶はあっても、覚えていない事もありますが。

記憶に残っている一番古いのは、3歳の頃の夢です。
母親がウエディングドレスを着て、ブランコに乗っているのを見ていました。
そういう夢がいくつもあります。
毎日の夢を記すという習慣はなかったのですが、占星術を学び始めて、松村潔先生からすすめられ、書き始めたのは、7,8年前から。
面白いことに、強い印象の夢は記録していなくても思い出せますし、思い出すと波にさらわれるように昼間でも、その雰囲気の中に浸ることもあります。

三途の川にカフェがあった

そんな夢の1つが、夢日記を書き始めるだいぶ前、父の13回忌前後に見た夢です。

三途の川には橋がかかり、その袂にカフェがありました。
コンクリート打ちっぱなしのモダンな外観。
中に入ると、ギャルソンのアラブ系男性が出てきて
「誰に会いたい?」と私に訊くのです。
「父に」
と伝えると、ヨレヨレのワイシャツの父が、奥からやってきました。
そしていきなり
「あの家はM(兄)に住まわせてやってくれ」と。
つまり、首都圏にある実家を兄に譲れという。
私は2人兄弟。
兄は少々屈折している人間で、親たちと関係がうまくいっていなかったし、私には攻撃的でした。
結婚したものの、妻との関係もしっくりいかない。
いわゆる不器用な人間というやつです。

関係は良好でなかったにせよ、兄夫婦が父の遺したものをアテにしていたのは、二人の言葉の端々からうかがえました。
しかも彼らは、全面的に相続放棄してもらいたいと、はっきり言葉で言いました。

私自身は長男に嫁いで、義家族の介護と引き換えに、不動産を相続すると予測していたので、正直な話2つも家は要らない。
管理が大変です。
固定資産税だって馬鹿にならない。
ですから、住まわせてやってくれも何も、最初からそのつもりだと父に伝えると、安心したようにニヤッと笑い、その場から立ち去ろうとしました。

そんな父の後ろ姿に
「それはさておき、ママをそちらに連れていってほしい。一人暮らしだし、少し認知症が出てきているから」
そう話しかけると父は振り向いて
「私には、まだそんな力はない」
と力なく下を向き、またクルリと踵を返して戻っていきました。

「あぁあ、ダメなのか。まだ下っ端なのか、パパは」
がっかりして呟いてしまった。
すると、向こうから母方の祖父母が現れ
「F子(母)の事は私たちに任せてくれ」
と私に笑いかけました。
その時の包み込むような温かさは、今でも体に蘇ってきます。

ことの顛末

それから12年ほど経った昨年、母は亡くなりました。
実家の相続に執着した兄は、皮肉なことに母に先立つこと5年前に、癌でこの世を去りました。
兄嫁が母を特養老人ホームに入所させ、私が義母の介護に追われていた最中でした。
彼が亡くなる前に、私はたびたび入院していたホスピスに呼び出されました。
そのたびに、私はこの夢の話をして、兄に安心するよう何度か話したのですが、それでも心配だったようで
重ねて、兄が母に先立っても、代襲相続の制度があるので、甥や姪に相続する権利があるとも伝えたのですが、安心できなかったようです。

昨年の夏に母が亡くなりました。
実家は約束通り甥に譲りました。
そこに至るまで、感情的になれば、いわゆる相続争いになる局面もありました。
が、思いとどまったのは、あのカフェで父と約束したからです。
兄嫁と甥には夢のことは話しましたが、家族には話していません。





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