サビアンシンボルと二十四節気ー立秋
暑さの最中にありますが、暦の上ではもう立秋。暑中見舞いのご挨拶も立秋からは残暑見舞いへ切り替わります。
朝夕のふとした時に、秋の気配を感じる事があるのではないでしょうか。
中唐の劉禹錫は、風に秋を感じて次のように詠じました。
秋風引 劉禹錫
何処秋風至 何(いず)れの処よりか秋風至り
蕭蕭送雁群 蕭蕭(せいせい)として雁群を送る
朝来入庭樹 朝来 庭樹に入り
孤客最先聞 孤客 最も先に聞く
どこからだろうか、秋風が吹いてくる。
もの寂しい音を響かせて、雁の群を送っている。
今朝がた、庭の木々の間に吹き入ったのを
ひとりぼっちの旅人の身が、誰よりも先に聞きつけたのだよ。
西洋占星術では立秋から獅子座後半へ。
ルディアはここを「解放のシーン」としました。スタート16度のシンボルは「嵐の後の陽光」。前の獅子座15度のシンボル「カーニバルで熱狂した人々が溢れるメインストリート」と比較すれば、熱狂からのクールダウンの印象を受けます。
まさしく秋の気配が漂い始めるといった趣でしょうか。
18度「化学の教師」で理系の実験的な模索の姿勢があり、23度「ロデオ乗りが危険な技を披露する」も獅子座の自由度と熱を感じます。
しかし25度「広漠とした砂漠をわたる大きなラクダ」では獅子座特有のオレオレ感とは異なる貌を見せます。ドデカテモリーが牡牛座だけに、フィジカルな力を精神性に結び付け、どう使っていくかというチャレンジといいましょうか。
28度「大木な枝に留まるたくさんの小鳥たち」になると獅子座の終焉が予感され、30度「開封された手紙」というミステリアスなシンボルで終わります。
1度の「脳溢血の症状」から30度への流れはドラマチックで、成熟がわかりやすく感じられて興味深いところ。私にとっては獅子座のサビアンシンボルを知ったことで、サインごとのステレオタイプ的な理解がより細かなものへと変わる契機となりました。