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貴女がいてくれたから。

こんにちは、雲州はとむです。都内は日中の日差しがかなり強い残暑ですが、朝晩はひんやりしてすっかり秋ですね。

さてノスタルジーな季節、短期派遣の詰め込み研修で疲労困憊していたところに、「昭和の伝説壁大手サークル」であられた「突貫工事!おぢろう組っ」メイン絵師である里中守さんの訃報が入ってとても驚きました……。




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昭和の晴海埠頭会場コミケの、超大手サークル


既に存在は過去と消えた晴海埠頭にてまだコミケが開催されていた頃、国内のアニメや漫画は「キャプテン翼」「聖闘士星矢」が二大巨頭として人気二次創作ジャンルに君臨していました。1985年頃ですかね、TM Networkが「逆襲のシャア」の主題歌を担当して話題になっていた時代。

私は中学二年生の時に初めて、クラスメートの女の子から「突貫工事!おぢろう組っ」のC翼パロディ本を見せてもらったんですけど、

「この人たち……、プロの漫画家より断然上手い!!!」「ストーリーもドラマチックで、アクションも素敵だし……、凄い!こんな世界があるんだ!」と、まさしくその後の人生を変えてしまう革命的衝撃を受けました。




初参加したコミック・マーケットでは、おぢろう組さんの新刊を買う為に、一時間以上並ぶのが常識。同じ壁大手には「彼烈火」主催の尾崎南さんや「大沢家政婦協会」のよしながふみさん、えみくりさんが参加し、最後尾は夏屋外の炎天下や猛烈な寒気に何時間も晒される程、過酷だったんです。


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おぢろう組さんみたく、大手サークルになりたい!


残念ながら、おぢろう組さんの本が奥に入って見つからなかった! このようなフルカラー表紙印刷でハードカバーだったり、中本文も単色カラーにて特典付き……。実に豪華な作品が売れっ子サークルさんの新刊。14歳だった私は「この人たちのようになりたい」「こんな素晴らしい同人誌を、いつか出したい!」と、胸熱く憧れに焦がしたものです。



一過性のスターではなく、長く活躍した描き手さん。


私は高校生になってから「ファイブスター物語」の永野護や、井上雄彦の伝説バスケット作品「スラムダンク」、田中芳樹原作の「銀河英雄伝説」に心奪われて、おぢろう組さん世代のスターと距離を置いてしまいましたが、里中守さんやパートナーへうがけんさんの凄いところは、一過性のジャンルスターサークではなく、つい最近の「ヒカルの碁」、アイススケート漫画などでもご活躍されていたことです。

Twitterで里中守さんを検索すると、本当に広い世代に愛されていた事実が分かります。入れ替わりの激しいコミケ業界においては、二次創作サークルとしては実に貴重な存在だったのです。


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感染危機を乗り越えて、これから後悔無く生きる。


一応、国内は緊急事態宣言を集約させて今は通常システムに戻ってはいますが、この二年間で倒産してしまった同人誌印刷会社は老舗を含めてかなりあります。おそらく、引退してしまった二次創作作家さんもおられることでしょう。昭和から活躍され続けていた現役の先輩サークルさんとして、また里中守さんにもお会いできるはずと思い込んでいましたが、突然お別れに寂しさが溢れて止まりません。

今回の世界的危機において私が学んだことは、どんなに栄光のある才能を持つ人でも、お金持ちでも若くても、いつ何があるか分からない。私達は明日消え去ってしまってもおかしくない存在だという現実。

行きたい時に望む場所へ向かうべきだし、食べたい物を口にして、観たい舞台やイベントに参加して後悔の無いように生きるべきという、偉大な先輩達からのメッセージでした。

里中さんだけでなく、きっと志村けんさんや三浦春馬くんにももっと大きな広い夢が続いていたと思うんですよね。これからも作品を生み出して、文化の担い手として表現者であり続けたかっただろうにと。

まだまだワクチン接種率も伸び悩んでいるみたいだし、感染事情だけでは無く、これからの日本に過去のような眩しい未来が見えない令和の今、自分がやれることとやりたいことを、少しでも一歩ずつ叶えて生きていこうと考えさせられる出来事でした。

里中守さんや先輩方がいなかったら、あの瞬間におぢろう組さんの同人誌と出会わなければ、ずっと入魂の創作を続けてきた私はいなかった! 心からの感謝と共に後輩としての誓いを捧げたいです。本当にありがとうございます。




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雲州鳩
マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。