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田中一村『榕樹に虎みゝづく』の「虎みゝづく」に関する妄想

 ※本記事は現在の所「coccosan」さん宛の、「いただいたコメントへの返信」となっており、不特定多数の方へ向けて記した「記事」ではありません。
 しかしオープンな形での返信となっておりますゆえ、お読みになりたい方がいらっしゃいましたら、ご自由にお読みください。
 目的を果たした後に手直しを施して「記事」として残すかどうかは、今のところ未定です。

2025/02/15、本記事の目的を終えましたゆえ時間が出来次第、記事に手を加え、残す方向で作業を進める予定


いただいたコメントへの返信


榕樹に虎みゝづく

 例の『榕樹に虎みゝづく(以下:本作)』内に描かれている虎みゝづく(以下:トラフズク)の件について約1時間程ネット検索等を利用しつつ妄想いたしましたゆえ、その「流れ」を以下に記し、いただいたコメントへの返信とさせていただきます。
 ※コメント欄に収まりきらなかったため、記事の形での返信となります



トラフズクの部分に関するアレコレ

 一村は、本作制作時に用いたと思われるトラフズクの「素描」においては足を2本とも描いており、最終的に何故「片足のみ」にしたのかは謎ですけれども、大きく3つの解釈が出来るのではないかと思います。1つめは「描く位置をミスしたため2本目を描くのを断念した」。2つめは「何らかの意図を持って片足のみを描いた」。3つめは「トラフズクは片足で枝にとまる習性がありその姿を描いた」。
 「一村は既に世を去っており、一村自身の解説を記した資料も残されていない」ため、真実は「永遠の謎」となってしまっているわけですけれども、個人的には2と3を足して2で割った解釈を採用いたします。

 理由は以下の通りです。

 まずは ⇩ の動画を御覧ください。
 トラフズクの足にご注目。

 片足で枝にとまっていますよね?
 というわけで、そういうことなわけです。
 しかしながら素描では、一村は両足を描いております。
 であるならば、一村はトラフズクの生態をきちんと把握しており、且つ「片足」でとまっている状態を「あえて選択して描いた」ということになるのではないでしょうか。
 ※そのようにした理由はサッパリわかりませんので、各自で「妄想」するしかありません
 
 ちなみに動画のフクロウは「右足で片足立ち」しておりますけれども、本作ではたぶん「左足で片足立ち」しております。
 動画を観るとフクロウがググっと体を伸ばしてストレッチしているシーンがありますから、たぶんフクロウには筋肉が硬直しないよう「片足ずつにして過ごす時間が日常的に(比較的頻繁に)ある」のかもしれません。
 ※「左足で片足立ち」している姿も、別のフクロウの写真にて確認済です

 また本作ではフクロウが「片目をつぶっている」のも印象的ですけれども一村が素描したのが昼間であったため、基本的に夜行性のトラフズクは眠たかった」のかもしれません。
 トラフズクではありませんけれども、こんな感じで……⇩

 片足立ちにしても、ウィンクしているかのようなお眠な姿にしても、自然の生態のみならず、一村なりの意図やユーモアが隠されているように(個人的には)思います。
 
 
 フクロウは大昔から頭が良いと信じられてきた経緯があり、森の中でじっとしていることが多いからか「森の哲学者」と呼ばれたり、約2000年前の古代ギリシャでは「知恵のある生き物で女神アテナの使いであり夜になると街へと飛んでゆき様々な情報を集めて女神アテナへと報告する」等と信じられていたそうです。ちなみにその古代ギリシャのコインには「表」にアテナ「裏」にフクロウの描かれたものがあります。
 ただフクロウは実際にはそこまで頭は良くないらしく、昼間は物思いに耽っているように見えていながら、実は眠くてボーっとしているだけらしく……(笑) 
 でもそういった姿が、人間にとっては「妄想を転嫁し易い(神格化しやすい)」特別枠の鳥(存在)となったようで、例えばフランスの数万年前の複数の洞窟の壁画にもフクロウは描かれているそうです。
 ローマ時代には「魔女がフクロウに変身し赤ちゃんの血を吸う」と信じられていたという逸話も残っており、夜にホーホーというフクロウの声が聞こえると「魔女が近づいている!」と恐れられていたとか……。あとフクロウの鳴き声は「死が迫っていることを予告する」と信じる人々もいたらしく、フクロウを見つけ出して殺してしまうこともあったそうです……。それから「見通しが良くネズミを捕るのに好都合であった」ためか、フクロウはよく「墓地に出没」したため、墓石の上で踊る魔女の使いであるとも考えられていたとのことで、やはり殺されてしまうことも多々あったようです……(ネズミを捕まえてバタバタしているのが踊っているように見えたのではないかという説あり)
 さらに×2アジアでは、トルコやモンゴル等にて病気の原因となっている悪霊をフクロウが退治してくれると長い間信じられてきたとのことで、病気を患い寝ている子どもの近くでフクロウを飼育することもあったそうです。
 あとアイヌの人々はシマフクロウを「コタンコロカムイ(守り神)」と呼び、(たぶんネズミを探して高いところから村の中を見ていた)シマフクロウが村全体を見渡し、いつも見守ってくれる存在であると信じて大切にしていたとのこと。
 和人も「福ろう」とか「不苦労」とか当て字して、未だに「カネ儲け」に…(以下略)
 それから地域がいきなり飛びますけれども、スペインのメノルカ島では現在でもフクロウはペンダントや部屋の置物として、「魔除け」や「お守り」の役目を担っているとのこと。

 で、一村が採用しそうなのはどのあたりの説かしら……と考えたのですけれども、個人的にはアイヌの人々の「コタンコロカムイ(守り神)」あたりが最有力かなと思います。
 一村は親族に「奄美のあとは北海道にて北国の風景を描く予定です」と語っていたというのを何かで読んだ記憶があるため(あやふやな記憶のため間違っていたらゴメンナサイ)、そこそこいい線を突いているのではないかと「妄想」しております。

 
 ここから先は、本作に描かれた他のもの達を見てゆくことにより、トラフズクに関する「妄想」を深めてゆきます。

鳥類

奄美大島で描かれた鳥
 1958年に、50歳の田中一村は後半生の活路を求めて奄美大島へ移住します。ここで代表作となる極上の大作を20作品ほど描き、69歳で無念の生涯を終えました。この奄美時代に彼はどんな鳥を描いたのでしょうか。大作からざっと集計してみたところ、ルリカケス(2作品)・オオアカゲラ(亜種オーストンオオアカゲラ)(1作品)・アカヒゲ(2作品)・アカショウビン(亜種リュウキュウアカショウビン)(4作品)・イソヒヨドリ(1作品)・トラフズク(1作品)が見つかりました。特にルリカケス・オーストンオオアカゲラ・アカヒゲは世界でも奄美諸島とその周辺しか生息しない固有種・固有亜種で、まさに奄美大島の代表です。リュウキュウアカショウビンは琉球列島を象徴する夏鳥で、愛鳥家からとてつもない人気があります。そして、アカヒゲとトラフズク以外は日本の絵画芸術で広く描かれることがなかった種類で、やはり玄人評価の高い独創的なラインナップになっています。

⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩に引用先のリンクをペタリンコ

 イソヒヨドリ」と「トラフズク」は本作のみに描かれた鳥であるということですから、何らかの意図を持って描かれた可能性が高いように思いますけれどもいかがでしょうか。

トラフズク

イソヒヨドリ

※本作のイソヒヨドリはオスです


植物

ガジュマル

ガジュマルの名の由来として「風を守る」が転訛したという説があります

 沖縄県ではガジュマルは「幸福をもたらす精霊の宿っている木」「精霊の住む木」「多幸の木」と呼ばれ、ガジュマルの古木にはキジムナーという精霊が住んでいると言われます。

⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩に引用先のリンクをペタリンコ

ガジュマルの特徴と背景
 ガジュマル(学名:Ficus microcarpa)は、クワ科の常緑高木で、主に沖縄や南西諸島を含む熱帯・亜熱帯地域に自生しています。その特徴的な外観は、幹や根が複雑に絡み合い、非常に強靭な生命力を持つことで知られています。また、沖縄では「精霊が宿る木」として神聖視され、特に「キジムナー」という精霊が住むと信じられてきました。
 このように、ガジュマルにはただの樹木以上の存在としての意味が込められており、その力強い成長力や人々を守る存在としての信仰が、現在の花言葉に反映されています。

ガジュマルの花言葉の由来
健康
 ガジュマルの花言葉「健康」は、その驚異的な生命力に由来します。ガジュマルは非常に強靭な木であり、苛酷な環境でもしっかりと根を張り、元気に成長する姿が特徴です。その根は地面を覆うように広がり、しっかりとした基盤を持ちながら力強く成長します。
 この特性から、ガジュマルは「健康」や「強靭さ」の象徴とされ、家や庭にガジュマルを植えることで、その木の生命力が人々の健康を守り、力を与えてくれると信じられてきました。特に、ガジュマルを育てることで、その木からエネルギーをもらい、病気や体調不良を予防すると考えられています。

長寿
 ガジュマルの「長寿」という花言葉も、その樹木の長寿命に由来しています。ガジュマルは何百年も生き続けることができる木であり、その長寿性が象徴的に捉えられています。ガジュマルは時間が経つほどその根が地中深く広がり、しっかりと大地に根を張ることでさらに強く成長していきます。このように、地に足をつけて長く生き続けるという姿が「長寿」を表現するものとなっています。
 また、沖縄ではガジュマルの木は長生きするだけでなく、周囲の自然環境や人々を守り続けると信じられており、その点からも「長寿」の象徴として愛されています。家族の繁栄や長寿を願うシンボルとして、ガジュマルが贈り物や家の守り木として使われることも多いです。

幸運
 ガジュマルの花言葉の中でも、「幸運」は沖縄の伝説や文化に深く根ざしています。沖縄では、「キジムナー」という子供の姿をした精霊がガジュマルの木に宿ると信じられています。この精霊は、善良な人々に富や幸福をもたらす存在であり、ガジュマルの木を大切にすることで、家族や村に幸運が訪れるとされてきました。
 この伝説により、ガジュマルは「幸運を呼ぶ木」として広く認知されており、家や庭にガジュマルを植えることで、その木の持つ神聖な力が人々に幸福をもたらすと信じられています。特に新しい家を建てる際や、新しい仕事や人生の節目を迎える時に、ガジュマルを贈ることが幸運を祈る行為として行われています。


沖縄の精霊「キジムナー」とガジュマルの関係
 ガジュマルの「幸運」という花言葉の背後には、沖縄の伝説的な精霊「キジムナー」が存在しています。キジムナーは、赤い髪を持ち、子供の姿をした精霊で、ガジュマルの木に住んでいると信じられています。キジムナーは非常に親切で、家族を守ったり、釣りを手伝ったりするなど、人々に幸福をもたらす存在として崇められてきました。
 しかし、キジムナーは非常に繊細で気難しい面も持ち、もしその木や自然環境を乱すようなことがあれば、怒りを買い、逆に災いをもたらすとも言われています。この伝説は、自然と人間の関係性の大切さを強調しており、ガジュマルの木を大切にすることが精霊からの祝福を受けるための条件とされています。
 ガジュマルに宿るキジムナーの存在は、人々に自然との共生や感謝の念を抱かせ、ガジュマルを「幸運」を運ぶ存在として捉えさせる理由の一つとなっています。この精霊の物語が、ガジュマルが持つ「幸運」という花言葉の由来となっているのです。


ガジュマルが持つ象徴的な意味
 ガジュマルの花言葉は、その木が持つ象徴的な意味と密接に結びついています。生命力にあふれたこの木は、人々に強さや健康をもたらすだけでなく、長寿と繁栄、さらには幸福や幸運をも運んでくれるとされています。沖縄の伝統や文化を反映し、ガジュマルは自然の力と人間の生活が調和した存在として尊ばれ続けてきました。
 また、ガジュマルは「絞め殺しの木」として知られており、他の樹木に根を巻きつけ、成長することでその木を覆い尽くしてしまうという独特の生態を持っています。
この強力な成長力も、ガジュマルが「健康」や「長寿」を象徴する要素の一つです。この木のたくましさと成長力は、人生における困難に打ち勝つ力や、不屈の精神を表しています。

⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩に引用先のリンクをペタリンコ

 ※ガジュマル付近の奄美の自然を少し知ることが出来るためペタリンコしました

ハマユウ

花言葉
 
ハマユウ(浜木綿)の花言葉は、「どこか遠くへ」「汚れがない」「あなたを信じます」という意味を持っています。

汚れがない
 神道神事で用いられる白い布を「ユウ」と呼びます。この布のような白い花を咲かす姿からついた花言葉といわれています。真夏の深夜に、白く咲く姿は、まさに汚れの無い姿です。

どこか遠くへ
 ハマユウの種は、コルク質で水に浮かびます。浜辺で結実した種は波で遠くまで運ばれることもあるでしょう。そんな姿からこの花言葉がついたといわれています。

あなたを信じます
 波に運ばれたハマユウの種は、その後海岸に流れ着くことはできるのでしょうか?波に身を任せる事しかできないその運命から、この花言葉がついたといわれています。

香りも強いです。

⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩に引用先のリンクをペタリンコ

 ※一村がどの段階のハマユウの花(の咲き具合)を描いたのかが分かります

 夏の夕暮れとともに開花し、真夜中に満開となるとのこと。
 こちら ⇩ の動画の説明がわかり易かったです。

 
 個人的に注目したいのは「ハマユウ(の花弁付近)」「トラフズク」「イソヒヨドリ」は、いずれも「光輝いているように(光を纏っているように)描かれていることです。
 わざわざそのように描くわけですから、何らかの意図があると見て間違いないでしょう。
 しかも「ハマユウが一番光って(輝いて)いますよね。そして果実」「」「」を左から右(へと時間の経過順に)描いています。

「海」と「岸壁」と「空」

 「は細部まで、そして波のリズムもしっかりと描き込まれており、「の光は「夜明けの光」なのではないかと思います。また「は、右上方のガジュマルの気根の間にもポッカリと見えております。「」は『海辺のアダン』や『クワズイモとソテツ』に描かれた「岩」に明確な意味があることから、特徴的な岸壁にもなにやら逸話や意味がありそうですけれども、謎です。
 ※現地を訪れ、描かれた場所に佇めば、一村の描いた時間や方角等を特定出来るかもしれませんし、自然に精通している人であるなら描かれた波や空の光の状態のみで特定出来るのかもしれません……
 個人的には左が東、正面が「南」、右が「西」で、時間帯は早朝(夜明け直後)のような気がいたしますけれども、分析無しのただの勘です……

「音」

 本作には虫の音やイソヒヨドリのさえずり、波や風の音も含まれているはずで(例えばイソヒヨドリは口を開けていますから確実に囀っています)、しかし季節や時間や状況によりそれらの音は変化しますゆえ、これもまた、私には不明です。
 大体奄美に住んだことが無いため、描かれている距離ですと波音とその他の音がどのくらいの割合で聞こえるのかも想像できません(というか、描かれた場所が奄美大島なのかどうかすら不明です)。波音も場所や季節、時刻により全然違いますから(描かれている波はとても穏やかに打ち寄せていますけれども)、やはり一村が描いたと考えられる季節や時間、そして場所に行かないと本当の意味で知る(感じる)ことは不可能でしょう。しかしながら一村は作品によっては必ずしも正確に「花の季節(花の時間)」を描いていない場合もあるそうなので、本作に描かれている季節が6~9月頃であるとは言い切れない部分もあるかと思います。
 イソヒヨドリやトラフズクにしても、本作の季節に奄美の海岸付近にて生息していることはあるのかという問題もあり、やはり知っている人に聞くか実際に訪れて確かめてみないと知ること(感じること)は不可能でしょう。

「湿度」と「色彩」

 もしかすると奄美の特定の条件下では、動植物は光を纏っているかのように見える状況が存在するのかもしれません。
 ※私は亜熱帯地域に住んだことが無いため、そのあたりがイマイチわかりません


一村の残したいくつかの「言葉」

写生帖に残された句

砂白く 潮は青く 百合香る
砂白く 潮は青く 千鳥啼く
白砂の丘 千鳥たわむれ あざみ咲く
残月に パパイヤ黒し 筬(おさ)の
鬼へごは 老椎よりも 丈高し
小春日を 小夏と聞けり 奄美島
梅花なし 桃花またなし 島の春
鶯も ソテツをともとす奄美島
黄に赤に もみじ葉散りつ 桜咲く
若葉見えず 杜鵑ほととぎす聞かず かつお食う

銀河見ゆ フクロウ聞こゆ ねむの花
宝島 白あじさいの 乱れ咲く
白砂の丘 白馬いななく 白あざみ
千鳥なく サギは降り立つ 牛の背に
花は緑 燃ゆる緋の葉よ 名はクロトン

風強し 波は届くか 残月に
熱砂の浜 アダンの写生 吾一人

雛鳩ひなばと
眠れず 木菟みみずくを聴く


病鳩やみばとを懐き
眠らず 木菟を聴く

(中略)
 当奄美は朝晩が少し涼しくなっただけでまだ夏ですが南からの珍しい渡り鳥は皆帰ってしまい、声も聞かれず寂しく、北からの鳥せきれいがもうみえはじめました

昭和42年10月3日付の岡田藤助医師宛のハガキより

この絵は、世界平和を祈って象徴的に描くつもりだ

※『岩上赤翡翠』について一村が語ったとされる言葉

昭和46年頃

 今、私が、この南の島へきているのは、歓呼の声に送られてきているのでもなければ、人生修業や絵の勉強にきているのでもありません。私の絵かきとしての、生涯の最後を飾る絵をかくためにきていることが、はっきりしました

昭和34年3月、中島義貞あての手紙

 紬工場で五年働きました。細絹染色工は極めて低賃金です。工場一の働き者と云われる程働いて六十万円貯金しました。そして、去年、今年、来年と三年間に90%を注ぎこんで 私のゑかきの一生の最後の繪を描きつつある次第です。なんの念い残すところもないまでに描くつもりです。 
 画壇の趨勢も見て下さる人々の鑑識の程度なども一切顧慮せず只自分の良心の納得行くまで描いて居ます。一枚に二ヶ月くらいかゝり、三ヶ年で二十枚はとても出来ません。
 私の繪の最終決定版の繪がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、畫の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです。それは見せる為に描いたのではなく私の良心を納得させる為にやったのですから……
 千葉時代を思い出します。常に飢に驅り立てられて心にもない繪をパンの為に描き稀に良心的に描いたものは却って批難された。
 私の今度の繪を最も見せたい第一の人は、
私の為にその生涯を捧げてくれた私の姉、それから五十五年の繪の友であった川村様。それもまた詮方なし。個展は岡田先生と尊下と柳沢様と外数人の千葉の友に見て頂ければ十分なのでございます。私の千葉に別れの挨拶なのでございますから……。
 そして、その繪は全部、又奄美に持ち帰るつもりでもあるのです。私は、この南の島で職工として朽ちることで満足なのです。
 私は紬絹染色工として生活します。もし七十の齢を保って健康であったら、その時は又繪をかきませうと思います。

 これは一枚百万円でも賣れません。これは私の命を削った繪で閻魔大王えの土産品なのでございますから

※「これ」=『アダンの木』と『クワズイモとソテツ』


その他

 ・一村は昭和10年代の敗戦濃厚な時期に、ひたすらに「観音像」を描いていた時期があるらしい。

 ・一村はとある親戚が「そのアダンの絵が好きだ」と言った際、突然キレて素人に何がわかると大声で怒鳴り、あっという間に作品を丸めて去ったことがあるとのこと。


一村は「トラミズク」を用いて何を表現したのか(個人的な「妄想」まとめ)


榕樹に虎みゝづく

 上記情報を踏まえての個人的な「トラフズク」の妄想としましては、「神の使い」ないし「」、ないし「閻魔大王」であるように感じます。
 トラフズクは枯れた(死んだ)木の枝にとまっていますけれども、これは「あの世の世界に存在している」ことのメタファーなのではないでしょうか。
 片足なのは「両足を描くと爪の数が4本となり、4という数は余りにも【死】のみを強くイメージさせるため、トラフズクの生態も考慮した上で爪の数が2本となる片足立ちとした」のではないかと思います。2本にすると(2という数字にすると)「生」と「死」、「天国」と「地獄」、「俗」と「僧」等、さまざまなイメージを付与することも可能となります。
 また猛禽類は爪と嘴で肉を「捌く」わけですけれども、「神」や「閻魔大王」も「裁く」のが大切な仕事……。というような言葉遊びも兼ねていたのかもしれません。
 片目をつむっているのは「夜明けの時間を表現する」ためであると同時に、上記した3者の何れかが「見ていないようでちゃんと上(天上)から見ているものだよ」という含みも持たせているのではないかという気がいたしました。
 ※いただいたコメントの「フクロウ種は自画像とも言われると何かで知りました・・・」との箇所についてですけれども、その可能性も十分にあると思いますけれども個人的には採用いたしません。というのもその「妄想」を採用してしまうと本作のスケールが小さいものとなってしまうように思うからです。


「トラフズク」以外は……

 ガジュマル」ですけれども、個人的には生と死の支柱(生と死の橋)のような印象を受けました。詳細に力強く描かれた幾筋もの気根(支柱根)が、私には「」「」「」「血管」に見えました。
 齢を重ねて死にゆく過程においては通常、徐々に肉は削げ落ち「」「」「」「血管」の存在感は増してゆきます。そういった姿へとなり果てながら、人は死へと向かってゆくわけです。
 人の背は伸びてゆきます。植物であるガジュマルの気根(支柱根)もまた伸びてゆきますけれども、それはある意味「生の活動でありながら死への道筋」でもあるわけですよね。そう考えるとその先(画の上方中心)にトラフズクが居るのには納得がゆくわけです。
 「生」と「死」は表皮一体で……というよりも同時進行的なものであるため、ガジュマルという木の生態や人々の信仰の内容までを含めて考えるなら、ガジュマルを画の中心に据えたのは素晴らしい選択であると思います。
 また、右上方のガジュマルの気根の間に空へと繋がる場所(空の見えている場所)がありますけれども、地獄を免れた人々が生まれ変わりの時に通過してゆく「道(入口)」であるように感じました。そしてそのように考えると、画の中に循環が生まれるようにも感じます。

② 画面左下「海の奥に見えている岩」。
 私には人間の「生殖器」に見えました。というのも私たちはまず男性器の先端の割れ目から放出され、その後に母体の羊水の中(海水の中)にて培養され、海における進化の過程を経て、女性器の割れ目から大地の上に生み落とされて(海から陸へと上陸して……というか「波に運ばれるように打ち寄せられ」て)、大地における人生を開始します(産声を上げます)。

夜明けの空
 「生命誕生の光」と「悠久の時間」とを表現しているように感じました。

」「」「」「波のリズム
  「海」「風」「波」に関しては記す必要性すらないでしょうし、「波のリズム」は心拍数や心臓の鼓動、端的に記すと生命(命)のリズムを表現しているのではないでしょうか。

イソヒヨドリ(オス)」
 「」と「」の色を身に纏うイソヒヨドリが、「ハマユウ」の方を見て囀っています。もしかすると生まれた新しい命への賛歌(祝福)、そしてその命が成長し花言葉にあるように、「運命の波に運ばれ」「どこか遠くへ」辿り着き、その地で「汚れのない」人生を歩むよう祈りの歌を贈っているのかもしれません。


ハマユウ
 ハマユウは3段階に分けて描かれています。それは「幼年期」「青年期」「中年期」が描かれているように感じます(「老年期」はガジュマルの気根が担当)。
 で、私はトラフズクよりも、むしろこのハマユウを何に例えるかで、本作の印象が大きく変化するように思います。例えば、一村の「お姉さん」に例えるとどうでしょうか。「一村」に例えたら。そして「鑑賞者(自分自身)」に例えたら……
 ※極上の画というものは観た人の思いの数だけ、その姿と物語を宿すように思います

⑦「音」
 美しいハーモニーを感じます。決して静かではなく、しかしそれでいて安らぐ静けさも……
 ※奄美大島の波の音、風の音、風になびく植物の葉音、虫の音、鳥の囀り。いつか聴いてみたいです

「香り」
 海、ハマユウ、ガジュマル、土、その他……

 というわけで、本作全体の印象としましては……
放下着
自灯明
大悲心
輪廻転生
生老病死
六根清浄
生死一如
 という感じです。

 

最後に

 情報をコネコネしカレコレ10,000字以上を費やし記して参りましたけれども、冷静に考えてみますと「どこに出しても恥ずかしくない俗物の中の俗物」である私のような人間が、「僧」である一村の「魂」に触れることなど出来ようはずもなく、ましてや理解しようなどと欲すること自体が余りにもおこがましく、下品下劣、且つ死者とその作品とを侮辱(凌辱)する、卑劣な行為を行ってしまったように感じられます。
 私と一村との共通点はといえば、菜食中心主義であること、動植物が好きであること、くらいしか思いつきませんけれども、それにしても一村は自らの畑にて野菜を栽培し恐らくは仏教的思想に基づいて食していたであろうに、私はと言えば悪魔に身売りして手にした薄汚れたカネを用いて他人の栽培した野菜を購入し、自らの健康のみを目的として日々貪るばかりであり、動植物が好きと申しましても、一村のように人生をかけて知ろうとしたことも向き合ったことも無く、してみればこの点のみを考慮しても、一村の「魂」について語るのは余りにも失礼千万、且つふざけた行為であるということが分かります。
 以前、展覧会において一村の絵の前に立ち尽くし途方に暮れた時もそうでしたけれども、結局私などは一村の「魂」に触れるどころか、近寄ることすら許されず、ただその作品に映る自らの醜い内面と人生とを「恥」と「嫉妬」と「虚無」に支配されつつ実感し、絶望しながら醜く身悶えするより他ないのでございます。
 ※そういえば、初めて一村の大回顧展が開かれたとき、最も人の群れていたのは「書簡」の展示コーナーであったとか……
 全くもって私もそうした者達同様、否、そうした者達以上の「下衆ゲス」の極みでございます

 ではなぜこのような罪を犯してしまった(notoにしたり顔で記事など記してしまった)のかと言えば、それは「coccosan」さんがコメントにてあらぬ質問(悪魔の囁き)を用いて私をたぶらかしたからに違いありません。ですから全ての元凶は「coccosan」さんであり、一切合切「coccosan」さんが悪いのです……(笑)😆✨

 ここまで記してふと、レイチェル・カーソンの言葉が脳裏に浮かびました。

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』より

 
 一村の「魂」の前に人生をかけて立つことが、大切なのかもしれません。

 そうだ
 奄美、
 行こう。




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