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書籍『なぜガザなのか パレスチナの分断、孤立化、反開発』

サラ・ロイ (著), 岡真理 (編集, 翻訳), 小田切拓 (編集, 翻訳), 早尾貴紀 (編集, 翻訳)
出版社 青土社
発売日 2024/7/26
単行本 288ページ



目次

序論ー本書の位置づけと概要 早尾貴紀はやおたかのり

序文 サラ・ロイ

第1章
 反開発の完了―ガザ地区を生存不可能にする サラ・ロイ
 一〇・七とは何だったのか 小田切拓おだぎりひろむ

第2章 ガザ地区に対する数々の戦争に対する一考察 サラ・ロイ
 シオニズムから見た ガザ地区、ガザ地区から見たシオニズム 早尾貴紀はやおたかのり

第3章 受け入れがたい非在―ガザの例外主義に対抗する サラ・ロイ
 もし、この子たちが生き延びて… 岡真理おかまり


内容紹介

 そこで何が行われてきたのか、私たちは知らなければならない。
 50年以上にわたる占領。隔離と封鎖のなかで、暴力は常態化し、排除が恒常化し、パレスチナの人たちは生活のすべてを奪われてきた。なぜ、どのようにして、それは行われたのか。歴史的文脈を理解し、いま起こっていること、そしてこれから行われることを知るための最良の書。

公式サイトより


レビュー

 本書の「引用」を記すほうが読んでくださる方にも、更には出版社(本書の宣伝)にとっても有益なのではないかと考えるため、以下に本書「序論」の一部を中心に引用し、レビューのかわりといたします。
 本書は少しでも多くの方にお手に取っていただきたい一冊となっており、パレスチナのガザを巡る問題における「これまでの歴史とその流れ」の「分析」において、個人的には現在のところ「最も分かり易く、且つ最も正確な視点を用いてまとめられた書籍」であると思います

序論ー本書の位置づけと概要 早尾貴紀はやおたかのり

本書収録の翻訳論考およびサラ・ロイ『ガザ地区』第二版まで

この日本語版の論集は、ガザ地区の研究者であるサラ・ロイ(以下敬称略)の主著『ガザ地区ー反開発の政治経済学』増補第三版(2016年)の増補部分の翻訳を中心として編訳・解説をしたものであり、2009年に編訳刊行した『ホロコーストからガザへーパレスチナの政治経済学』の続編にあたる。第三版で増補されたのは、2014年のイスラエルによる大規模なガザ攻撃「境界防衛作戦」の直前に書かれた「反開発の完了ーガザ地区を生存不可能にする(『ガザ地区』第三版への序論)」と、同攻撃を挟んで15年に書かれた「ガザ地区に対する数々の戦争に対する一考察(『ガザ地区』第三版あとがき)」の二本だ。
 また、この増補分の翻訳を中心とした本書の計画を進めている最中の19年にロイの書下ろしとなる「受け入れがたい非在ーガザの例外主義に対抗する」を本書のために書き下ろしたということで著者本人から受け取った。この論考は、のちの21年にロイの単行本『ガザを沈黙させないー抵抗についての考察』の最終章として加筆されたうえで収録、発表されることとなった。
 本書は、ロイの3本の論考を翻訳しつつ、その翻訳者3人がそれぞれに考察を加えるものである。


 ロイ『ガザ地区』の第二版が刊行されたのが2001年、つまりパレスチナの第二次インティファーダ開始翌年の事であり、今回の第三版の増補部分はおもにこれ以降のガザ地区を巡る政策や状況の変化を分析している(ヨルダン川西岸地区での占領政策とももちろん連動している)。2001年以降ということは、2002年からの西岸地区への隔離壁建設、2005年のイスラエル軍・入植地の「一方的撤退」、2006年のパレスチナ議会選挙でのハマースの勝利、そこから2007年にかけてのハマースとファタハ(PLO主流派であり旧来のパレスチナ自自政府の中心政党)との内戦、2008年12月から2009年1月にかけてのイスラエル軍によるガザ進攻「鋳られた鉛作戦」、2012年のガザ攻撃「防衛の柱作戦」、そして2014年の「境界防衛作戦」などの出来事を経た変化がふまえられている。さらに2019年の書下ろし論考では、その前年の2018年、つまりイスラエル建国=パレスチナの「ナクバ(破滅)」から1970年に起きた出来事、つまりガザ地区の「帰還の大行進」とそれに対するイスラエル軍の弾圧、アメリカ合衆国(当時ドナルド・トランプ政権)による在イスラエル大使館のエルサレム移転や入植地、占領地のイスラエル領承認などまでがふまえられている。
 
 すなわち本書収録の三論考は、それぞれ2014年、2015年、2019年と、いずれも2023年10月7日のガザ地区蜂起以降の現在に至る破壊の惨状についての直接的な記述や分析は含まれてはいないが、しかし逆に三論考が「反開発」[De-development] の完了による生存不可能な [unviable] な状況の創出というプロセスを分析していることで、むしろ〈10・7〉以前から、イスラエルによるガザ地区政策は決定的な深化ないし転換を図っていたということを示していると言える。現在の破壊の惨状は目を覆うほどであるが、しかしそこにばかり目を奪われてしまうと、かえってガザ問題の本質を見失ってしまうことになりかねない。

2、『ガザ地区』第三版増補部分の核心ー「一方的撤退」問題

(中略)
 2005年の「ガザ地区からの一方的な撤退」は、この一体性に大きな分断を持ち込む政策であったとロイは言う。第三版への序論「反開発の完了」ではこのように述べられている。
 
 紛争全般の、そしてとりわけガザ地区の決定的な転換点は、2005年にアリエル・シャロン首相によるガザ地区からのいわゆる一方的撤退によってもたらされた。この撤退には、イスラエル軍部をガザ地区の外側へ配置転換すること、および、イスラエルによるすべてのユダヤ人入植地を撤去することが含まれていたが、イスラエルが主張するように、ガザ地区の境界線と空域と海域と海上アクセスのすべてに対する全面的かつ直接的な管理もまた含まれていた。(…) ガザ地区を、監獄に放り込み、小さなブロックへと委縮させ、西岸地区から切り離すことをもくろんでもいたのだった。このことは逆にイスラエルが西岸地区を事実上併合するのを何らかのかたちで追求していくことを解禁した。(…) その主目的は、パレスチナ内部を分割し、分断し、孤立させるー住民も経済も政治もーこと、そうすることによって、あらゆるパレスチナの土地と資源に対する、直接的(西岸地区)ないし間接的(ガザ地区)な形での、イスラエルによる完全な支配を確保するということである。そしてその究極的な目標は、領土を拡張したイスラエルの範囲でユダヤ人の多数派を維持すること、および、パレスチナ国家建設につながりうるいかなる政治的プロセスをも排除することである。

(中略) 

 実際のところ一方的撤退計画は、占領地をそれぞれ別の地位をもつふたつの実態へと正式に切り離すことによって、パレスチナの民衆を分断し、家族を分離し、ガザ地区の人びとが福祉や教育を含む種々の行政サービスを受けることを、不可能とまでは言わないが、困難にしたのであった。分断政策は、民族的共同体を破壊するとともに、その政治的統一を破壊することによって、占領体制に対する組織的抵抗をいっそう弱体化させた。(…) 事実、ハマースが2006年の選挙に勝利し2007年にガザを掌握して以降、イスラエルがガザ地区を西岸地域から切り離して孤立させる政策を実施することは、容易なものとなっていた。この隔離政策は、制度整備や他の開発過程を阻害しただけでなく、2008ー2009年および2012年のイスラエルによるガザ攻撃を手助けする重要な要因でもあった。

 ロイはここでは詳述してないが、西岸・ガザの両地区で議会選挙に勝利したハマースについて、イスラエルと米国は敗北したファタハに対してその両地区において武器・弾薬を提供して内部対立とクーデターを促しつつ、その実、イスラエルは西岸地区でハマースの議員・活動家を一斉逮捕しガザ地区へ追放していたこと(このように西岸とガザの扱いに大きな違いがあること)は指摘しておきたい。すなわち「ガザ地区を実行支配するハマース」は、イスラエルが一方的政策を進めるうえで必要な要素であり、意図的に作り出した存在であるということだ。 この結果、イスラエルのパレスチナ占領政策で、重大な変化が生じる。さらにロイの分析を見ていく。  

占領と和平はもはやどちらを取るのかという両立不可能な問題ではなくなってしまった。それどころか和平が占領の面前で実現しうるのであり、もっとありていに言えば、和平を実現するために占領が必須であるとみなされてさえいるのだ。(…) 占領のあからさまな常態化は、ガザ地区では異なるかたちを、つまり極端なまでに強圧的なかたちをとる。2005年のガザ撤退によって、イスラエルはもはやガザを占領していないと主張している。(…)ハマースによる権力掌握の結果、イスラエルーパレスチナ紛争は、ガザ地区を中心として、そしてイスラエルとハマースの敵対関係を中心として、作り替えられたのであった。(…) 占領は国際的な正当性をめぐる政治的・法的問題ではなくなり、占領のルールではなく戦争のルールが適用される単純な国境紛争になってしまったのだ。(…)これらの方策は、ハマース体制を倒す(そしてハマースを支持しているガザの住民を罰する)とともに西岸地区のパレスチナ自治政府[ファタハ]を支持する政策の一部として、ガザ地区の経済と生産能力を徐々に衰えさせ滅ぼすために計画的に立案されたものである。
 
 まさに2023年10月以降に激化したイスラエルによるガザ攻撃と西岸地区の無力化のロジックが余すところなく語られている。ロイはこう続ける。「「占領」が分析的・法的な枠組みとして時代遅れのものとなってきたことで、(…)ヨルダン川西岸地区について言えば、占領の継続から、完全な併合及び統治の強制へ、ガザ地区について言えば、占領の継続から、隔離と無能化へ」という決定的な転換がもたらされた、と。ガザ地区攻撃の悲惨さの影で、西岸地区における暴力は過去最悪のレベルとなり、イスラエルの軍・治安警察・入植者による家屋破壊、逮捕拘留、焼き討ち、暴行惨殺、収奪は西岸全土に日常的になっているが、それでもファタハの自治政府は、足下の事態についてさえ看過するばかりである。そしてその事態の展開は、2005~2007年のイスラエルの政策の洞察から見通すことが出来るのだ。

 「3、欧米・日本・国連の共犯性」に関してはあえて重要な記述を引用しませんけれども、端的に記すと「ガザの問題は間違いなく私たち日本人の問題でもある」ということです。
 なぜなら日本政府は2006年、「平和と繁栄の回廊」という構想を発表しており、外務省によると「日本、パレスチナ、イスラエル、ヨルダンの四者による地域協力によりヨルダン渓谷の社会経済開発を進め、パレスチナの経済的自立を促す中長期的取り組み」と定義されています。それは軍事占領者であるイスラエル(というかイスラエルを陰で操っている「西欧諸国」並びに「アメリカ」)との協力によって非占領地で経済支援をするという(名目で、たぶん一部の汚い奴らが利益を貪ろうという)ふざけたプロジェクトなのであるけれど、案の定その説明の中には「(イスラエルによる)占領」の文字は一切ありません。西岸地区が国際法的に「占領」状態にあり、占領者が被占領地の生活や経済に介入することは国際法違反に該当することを踏まえて考えるなら、この日本政府の構想と発言は「イスラエルの犯罪行為に積極的に加担した」という証拠であると言っても過言ではないでしょう
 また、「国連(国際連合)がイスラエルによるガザ地区封鎖に果たした負の役割についても本書は鋭く指摘しており、そのあたりも読みごたえがありオススメです。

4、人道援助から占領終結へ
 
 さてロイは、本書収録の増補論考で、繰り返し、ガザ地区における反開発が完了し、もはや「存在不可能」な状況が創出されたということを指摘している。占領の問題が隠蔽され、自律的な生産と流通に関わる全ての活動を阻害された先にあるのは、「人道問題」へのすり替えである。ガザ地区は最大限善意の人びと、善意の各国政府によって、すっかり国際援助、人道支援の拠点となってしまった。率先してイスラエルによる占領のコストの肩代わりをしているのであるが、このことによってますます「占領」の事実は見えなくなる。ロイはこう書いている。

 ガザ地区に対して適用されてきたイスラエルの一連の政策の終着点は、イスラエル人と国際社会の一員たちの目に映るパレスチナ人、とくにガザ住民の姿を、彼ら自身の土地にいながら「よそ者」であるかのように変質させることである。すなわち、真の市民はもはや存在しない場所で、いかなる主張もせず、屈服して従属して暮らしている「よそ者」へ変えられたのだ。こうした構成のなかで、パレスチナ人の存在は「人道問題」へと切り下げられた。つまり、窮乏化した飛び地のなかで経済的権利も、政治的権利もなく、国際社会の「善意」に依存するしかない、人口数としての存在へと貶められたのだ。パレスチナ人たちは、不必要で使い捨てのもの、取るに足らない存在とされてしまい、事前の対象かテロリストとして以外はもはやどうでもいいのである。

 
(中略) 封鎖と破壊をもたらした占領者であるイスラエル政府が、その援助団体や援助物資がガザに入るのを「テロリスト掃討」という名目で規制・選別するという、きわめて倒錯的な構図になっていた。「よそ者」「使い捨て」「慈善の対象」「テロリスト」……。これらの用語は、2023年10月以降にさらに顕著になり、公然と語られるようになったが、実際には2005年の一方的撤退と封鎖以降に人為的に政策的に生み出された語りなのである。
 
それではこの倒錯した反開発状況に対してどうすべきなのか。ロイは単純明快に、「イスラエルによる軍事占領の終結」と言い切る。それがすべての具体的な経済活動の基礎となる。第三版の序論「反開発の完了」でロイはこう書いている。

 ※この部分はあえて引用いたしません。是非本書をお手に取って御覧ください

 真っ当で原則的な主張である。占領構造のなかで人道支援をいくら出そうと、イスラエルと経済協力をしようと、すべてはイスラエルの掌の上であり、占領強化に行きつく。そうではなく、占領そのものを終わらせること、パレスチナに無条件の自由を認めること、これだけが正論である。そしてロイは国際社会の責任にも触れて、こう続ける。「変化はまた海外援助国がイスラエルの政策に対して政治的・経済的に異論を唱える意思にもかかっている」と。反開発の共犯者である援助国が共犯をやめなければ、イスラエルの占領も反開発も終わるはずがない
 しかしここにはパレスチナ人の、ガザ地区住民の主体性への論及が欠けている。これについてロイは、第三版あとがき「ガザ地区に対する数々の戦争に対する一考察」の末尾にこう記している。

 反開発とそれによってもたらされた損失は、他の多くのプロセスと同じように、政治的な状況が逆方向に働けば、それを反転させることは可能だ。当然ながら反転には数多くの要因が必要なのだが。(…) ガザ地区の住民は犠牲者であると同時に、登場人物=当事者アクターである。彼らは数十年にもわたる虐待と剥奪を耐え抜き、何度も再浮上してきた。(…) 状況に威圧され、以前よりはるかに多くの人々がここを去りたいと望むようになってきたが、それでもガザ地区の中には、屈するものかという気持ちとまだ何かできるという気持ちが相互に混じり合って残っている(…) 彼らが、世界の一員になりたいと考えるとき、それは恩恵を受けるだけの存在としてではない。自分自身を立て直すことに対する中心的で重要な役割を担う参加者として扱われなければならないし、彼ら自身もそう扱われることを求めている。ガザ地区の人びとの行為主体性エージェンシーは、承認されるだけでなく、現実に関与していくものなのである。

 私たちがガザ地区の惨状について、状況を分析し、構造を分析し、その責任をイスラエルや国際社会に問うとき、パレスチナ人を、ガザ地区の民衆を、たんなる客体や犠牲者としてはならない。それでは人道援助と同じくガザ住民を救済対象とみなす構図に陥ってしまう。そうではない、それではいけない、とロイは強調する。これまでもガザ地区のパレスチナ人は主体的に抵抗運動の中心を担ってきたし、これからもそうだ。インティファーダが、帰還の大行進が、〈10・7〉ガザ隆起が、そうであったように。それゆえ私たちは、イスラエルと国際社会を批判しながらも、行為主体エージェントとしてのパレスチナ人を、ガザ民衆の行為主体性エージェンシーを、どこまでも尊重する姿勢が必須なのである。占領を揺さぶり転覆させる力はパレスチナに、ガザ地区にあるのだから、とロイは語る。

 というわけで、「序論」の一部「引用」にしてこの見事な内容となっており、更にその後には約300頁に及ぶ濃密かつ詳細な「本論」等も控えており、まさに帯に記されている通り現時点における「パレスチナ問題を考えるうえでの最良の書」となっております。
 また帯には「そこで何が行われてきたのか、私たちは知らなければならない」ともありますけれども、これもその通りでしょう。既に気付いている方も沢山いらっしゃいますけれども、現在日本でも、パレスチナのガザ地区と同じような状況がジワジワと構築されつつあります。このままゆくと、ガザと同じ道を辿るか、ウクライナのように代理戦争をさせられることとなるでしょう。
 ですからガザの問題というのは決して「他人ごと」などではなく、「私たち日本人の(これまでガザのジェノサイドに加担してきた)責任と未来の問題」でもあるわけです。
 あと念押しで記しておきますけれども、パレスチナの人々の「命」と「未来」のかかっている問題です。


 昨日以下のようなニュースが一斉に報道されました。

 本書186、281~284頁にはきちんと上記記事の内容と関連のある情報も押さえられており、流石としか言いようがありません。
 また以前別の記事にて紹介させていただいた以下のような情報等も御覧になっていただけますと、アメリカの思惑のみならず、トランプ一族と利益共有者達の思惑も垣間見ることが出来るのではないでしょうか。


最後に

本書あとがきより一部を引用して〆たいと思います。

 (中略) ガザ地区の人びとが協力しあって生存の闘いを続けている以上、また、誰よりも長く誠実にガザの人びとに寄り添ってきたサラ(・ロイ)さんがたゆまず言論で闘い続けている以上、ガザの苦境に責任を有する日本の私たちが諦め絶望するというのは、あまりに勝手な振る舞いだ。私たちは心折れることなく、さらに長い取り組みになることを覚悟して、強靭に思考し発言し続けなければならない。このかんサラさんとのEメールのやり取りの中で、Stay Strong. と励まされた。この言葉とともに、本書を読者に届けたい。
 2024年6月  
早尾貴紀はやおたかのり

 


※個人的なメモ
48、54、134~136、172~192、308~316





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