熊野路、先人達の愉しみを味わい尽くす。
一昨年の晩秋、世界文化遺産である熊野詣と洒落込んだ。私は自重の所為で膝や股関節を痛めており、無理を押しての決行であった。
昔は熊野詣も庶民の娯楽であったという。旅というのはいつの時代においても一大エンターテイメントなのだろう。空海が密教(真言宗)の修行の為に築いた金剛峯寺まで遥かに続く路さえある。
忘れ去られた小さな祠(ほこら)や倒木更新などがあちこちで散見される。
手付かずの峠道を越えると、まるで村上春樹の小説に出て来そうな、ひっそりとした佇まいの小村が見えてきた。
村の名前は近露(ちかつゆ)周囲を山々に隠された、本当の静けさが私の心を開く。宿は数軒、村人達はどうやって生計を立てているのか想像も出来ない。
近露の宿屋を後にして、熊野三山へと向かう。
たったの二泊の旅であったが、先人達の娯楽を味わい尽くす中々奥深い旅であった。