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文切り

12月のと或る冬晴れの朝、痛めた脚を騙し騙し散歩した。大通りを離れ、住宅街をふらりふらり。すると突然、踏み切りに出会した。そう言えば私の家の近所には未だ踏み切りが結構残っている。今の世の中、皆がこぞっていそいそ忙しそうに、我れ先にと急いでいる。そう言えば師走だなあと、改めて自分の浮世離れしたフーテン生活を思い、苦虫を噛み潰したように顔をしかめてみる。訳の分からない疫病に皆慄いてうがいマスク手洗い。マスクをするとなんとなく匿名性を得た気になって、いつもと違う態度を取ってみたくなるのは、何か自ずから抑圧している隠れた欲望が発露するからなのだろうか。

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午前の内から外に出れば、高い空に気分も上々になり、そのままぐんぐん歩みを続け、やがて隣の街まで来ている事にふと気付く。痛めた脚を庇うようにアシンメトリーに体重を移動させる。ふと、数年前に脳の病気で片方の脚が不自由になってしまった友人の事を思い出した。頑張り屋の彼はジムで身体を鍛え、然しいつも自室で過ごす日々を重ねている内に、マチズモな考え方や態度を取るようになった。

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季節は初夏、梅雨入り前の五月晴れの或る朝、ツイッターで彼の弔報を知った。亡くなる直前の彼は、杖をつくのもやめ、鍛え上げた筋肉を維持出来ずに、ガッシリと言うよりは兎に角デカい身体であるものの、高血圧・高脂肪・高血糖と三拍子揃った、見た目とは全く違うとても危険な状態にあったようだ。最後に彼とチャットで愚かな諍いをして、そのまま気不味い別れとなってしまった。

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誕生日の前後は、ごく経験的に言って要注意である。踏み切りを急いで渡るのは避けている。私とてもう若くはないし、脚も痛めているし。彼と話がしたいと思う。生き急いだ男。まとまらない文章だなあ。文を切る。お粗末。