破財した経験から振り返る。なぜ人生では自分自身の癒しが必要なのか
ある日、瞑想していたら「降りてきたこと」。
どうやらまだ自分の中で「幸せ」の定義が
「教育」の成果の末のものである、ということ。
その「幸せ」というのは他人が決めたもので、私の定義による「幸せ」でない。
そうした呪縛を解き放たねばならない。
そしてまだ私自身が運命の流れに乗っていない。
それは、私自身がこの世界に生まれてきた目的を思い出していないから。
自分自身を癒した末に、
本来の目的を私自身が思いだすところから、
ようやく必要な人に会うという流れを汲むことができる、と。
そうか、まだ自分で自分を癒す必要がある、ということなのかと。
癒しが必要な理由
私が積み重ねた過去の失敗というものは
未来における教訓、肥やしとしている一方で
行動の阻害にもなっている、ということ。
「もうこれ以上、このことで傷つきたくない」と。
自然と出した手を引っ込めるような行動が続いていると。
おそらくこれは人において「トラウマ」と呼ばれるもので
行動の阻害要因になっている有力な事象としてはよく知られます。
だから、自分の中で癒しを進めねばならない。
癒しが進んでくると、本来の自分の使命を取り戻せる。
本来の使命・目的を思い出せば思考や行動、品位が変わってくる。
行動や品位が変われば、現実も変わる。
必要な人に会う、必要なものを手に入れるための品位を身につけること。
日々の煩わしいと思っている仕事などにも、そうした品位を養成する余地がある。
そうした余地から自分を成長させていくことが大事なのです。
引き寄せ
私はかつて信頼すべき人間を見誤り、それが破財を招いてしまいました。
その心の傷というか、失敗が今でも根強いのは確かです。
自分が身につけているもの、品位、言葉の使い方。
結局そうしたものが引き寄せてしまっているということ。
いいえて、私が破財してしまったのは
私の品位の低さが低級な人を引き寄せてしまった結果、とも言える。
はてさて困ったものだ。
人間関係が課題ということは、品位を身につけることが大事ということ。
ぶっきらぼうになってしまうと、そうした品位の荒さは正していかないと
同じようなぶっきらぼうな人ばかりが現れてしまう。
人はあなたのことをよく見ている。
ぶっきらぼうな態度の人間には、相応の人間しかやってこない。
普段の生活から行って身を改めること。
そうした普段の生活の改めから、思考も行動も変わっていって、
本来の目的にたどり着くことになるだろう。
終わりに
なぜ自分自身で自分の癒しをすることが大事なのか。
どこか投げやりになりがちな、荒々しくなりがちな、
そうした自分の心持ちが、現実として反映されてしまっていることから。
自分を癒して自分を整えていく必要がある。
そのために心を癒す必要があるのだと思っています。