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とある元自己啓発フリークの思い出⑥ 「自分の心の声に従う」老賢者との出会い

人は人と折衝して、初めて自分が磨かれる。

他者の感性やエッセンスが注入されることで
新たなものが生み出されるのである。

自分という植物を成長させるには相応しい肥料がある。

だからいい肥料を選べばすくすく成長するし
逆に肥料の選び方ひとつ誤ると
自分自身に劇薬を投与するようなものである。

これは、とある元自己啓発フリークの他愛もない思い出話。

「自分の心に従った」賢者との出会い

ある団体のバーベキューイベントを通して、私は「老賢者」と出会った。
(「賢者」の前に「老」なんてつけるのは、
ご本人に失礼極まりないかもしれないが)

その人、見た目がインド独立運動の主導者である「ガンジー」に似てる。

自分の感覚を頼りに生きることを何より大切にしているその人は
悟りを開いたような行動が多く、
「和製ガンジー」たるその人に

私が慕い、ついていくのもそう時間はかからなかった。

その人は「自分は賢者ではない」というが
私にとって、自分の感覚に、自分の心に従ってる人は
賢者的所業をしているようにしか見えず、うらやましかった。

「自分の心に従って生きている人」を羨望の目で見ているということは

言いかえれば私が「全く自分の感覚を信じてない」
自白しているに等しかった、とも言える。

生きると言うことが修行と言うような試み

「賢者」であるその人は自然が好きで、
古い時代の珍しいオブジェや緑で彩られた場所を
ひたすら自前のカメラで写真を撮っていた。

「賢者」は大通りよりも人通りの少ない道を選んで歩いた。
そしてこの人は、何よりも歩くのが大好きなのである。
1日60分歩くこともザラだという。

歩く途中立ち寄るカフェも、
どちらかというと自然派のカフェである。

この人が自然を愛しているのがすごくわかる。

歩きなれていない私は「賢者」のペースについていくので精一杯だった。

あまりにも長距離歩きっぱなしだが、不思議と楽しかった。

東京という密度の狭いところに
人や建物を押し込んだような場所なのに
人通りを避けて大回りして歩き、
見慣れないものを見るのが、

なんだか未知の世界の冒険みたいで楽しかった。

「賢者」たる彼の影響で、私は東京に住んでいた頃、
時間さえあれば60分歩くという試みをしていた。

ある種、「生きる」と言うことが修行なのでないだろうか。

「賢い人」は仕組みに乗っからない

「賢者」である彼と一度東京都内でお茶をしたことがあった。
内容を細かく覚えていないが、
「陰謀論」じみたお話をされていた。

「陰謀論」が実在するかどうかわからないが
えてして「賢い人」というのは
「普通に過ごしているだけでは見えない何かが、見えてしまっている」

のだということを私は感づいた。

世の中には、例えばオンラインサロン的な、
常に定期的にお金を払うように
「仕組み化」されたようなものがある。

「見えてしまった人」は明らかにお金を払い続けるような
テンプレート化された仕組みに乗っからないのである。

なぜ「陰謀論」の話が出たのかはわからないが
彼には「見えてしまった」ものがあるのだろう。

SNSから姿を忽然と消した賢者

「賢者」である彼とは知り合ってから
ことあるごとにやり取りして仲良くさせてもらっていたが、

ある時彼はSNSをやめる、
というメッセージを残し、SNSから姿を消した。

彼はそうして俗世との関わりを絶った。

私は彼がいっていた「自分の心に従う」
という言葉がずっと気になっていた。

このまま彼と連絡が取れないのは、困るー。

「賢者」の連絡先を人伝に得て、
私は彼と再度連絡を取り合うことができた。

「自分の心に従う」ということがどういうことか
まるでできていなかったので、
それをどうしても知りたい、取り戻したい

という思いがあったのだと思う。

この人なら自分が求めているような
「答え」を持ってるのだと感じたからだと思う。

人は人に折衝して初めて磨かれる。

私たちには、仕事する上司同僚は選べないが
付き合う人を選ぶ権利はある。

人の成長は、誰かとの触れ合いによって促される。

付き合う人によっては、
時に自分自身に適切な水と肥料をあげるようなもの、

そして時として、自分自身に劇薬を投与するようなものである。

誰をチョイスするかよって、自分の人生に多大なるスパイスとなり、
人生は大きく変わるだろう。

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