純粋なる憎悪と憤怒
人を、憎いと思った事はあるだろうか。
憎いという感情は決して良いものではなく、嫉妬と違って純粋な悪感情だ。
大好きだったアイドルを殺傷してしまうオタクがいるように、愛しさが憎しみに変わる瞬間というものが存在するし、その方が憎しみが倍増したりもする。
瞬間、或いは積み重ねた感情を自覚するという事。
憎しみというのは、他者を害したいという気持ちそのものなのだ。決して良いものではない。
それでもその感情を捨てられないのは、それを思うに値する人間が居るからであって、一人きりでは憎しみという感情は生まれないのだ。
端的に言えば自分を害されるから、憎いのだ。
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何故、一年経ってもこのような気持ちでいるのだろうか。
自分なりにその気の持ちようを解釈してみた。
単に、許せないのだ。
自分を死に追いやった張本人が、悪びれもせず、他の無実の人間と同じように、振る舞うことが、許せないのだ。
不貞を働いたならもう少ししおらしくしたらどうだ?何故SNSで発信する?しかもそれを偽りのフォロワーを使ってまで、何故だ?それほどまでに自分を正当化したいのか?正しいといって欲しいのか?なんなんだ?
考えて、考えて考えて考えて考えてーーー
辿り着いたのは、純粋な悪という感情。それは、あるいは無自覚に振り撒かれる猛毒のようなもの。流行に乗って電子版コロナウイルスだなんて身内では呼んでいる。それぐらい悪辣なのだ。
頭の悪い人間に優しい人はいない。
そう、どこかで読んだ。その通りだと思った。想像力の欠如、共感性の欠如、導き出される答えは、自己中心的な行動に於いて他者を害する事を厭わない悪という存在。
何故そんな人間が笑って暮らせるんだろう。おかしいだろうが。
私は自分なりに誠実に生きてきたつもりだった。なのに不誠実な人間にずっとずっと苦しめられている。何処にいたって、それは変わることはないんだ。呪いのように、ずっと付き纏うんだ。
何も知らない人間が、あいつらを祝福する度に世界と人間が嫌いになる。真実を知る人々は決してそんな事をしないけど。知った上でやるのなら、それは同族かサイコパスだ。
だから小さくても届かなくてもあいつらは『純粋な悪』なのであると叫び続けてやる。
本当は全てを賭けてでも壊しに行くつもりだった。殺しに行くつもりだった。でもそれをしなかった。理由、理由としては、私には守るべきものが出来たから。その人たちを悲しませたくないと思った。
でも現在進行形で積み重なる憎悪の炎はいつかお前達を焼き殺すだろう。そうでなくては、私は何のために死んだのか。
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相手の幸せを願うのがいい恋愛で?
自分が幸せになるのが最大の復讐だ?
はい、いい恋愛なんてしてませんでした。
私が幸せになることとあいつらが不幸になることは別問題です。
だから私は呪うし願うんだよあいつらの不幸を。
そうして初めて救われるんだ私が。
世界があいつらを肯定するなら私は世界を敵に回してでもあいつらを否定する。
世界で人生でなによりも、恨んでいる。憎んでいる。あいつらがいる限り、それは続く。
あってはならない。人を殺したも同然のお前らが、のうのうと幸せを享受するなど、あってはならない。
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