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底抜け楽観主義

私は生まれつきどこか
底抜け楽観主義なところがあって
何でもこれでよかったと思えるたち

高校時代の友人にも だから
痛い目に遭っても変わらないよねと
言われたりしていました

まぁ大人になり痛い目に遭った時は
警告として真摯に受け取り
注意したりはするようになりました

足を怪我したりする時は
焦らず立ち止まりもっと丁寧に
一瞬一瞬を生きよと言われてるよね
って分かるようになりました

でもどこかであの若い頃の
底抜け楽観主義も戻ってこないかな
戻って来て欲しいなと思っていたら
ちゃんと戻って来てくれました

先日の冬至の日 あまりに寒く
冷え性の私は以前から気になっていた
酵素風呂に行ってみることにしたのだけれど
まぁちょっとここは違うかなって
思いつつも まぁいいやといい加減に
決めたからか 出た途端に立ちくらみ
気を失い前に倒れて床で顔面を強打

青あざタンコブをほっぺたとおでこに
作る羽目になりました

年末年始 友人や家族に会うのに
顔に青アザかよ 悲しい と思いつつも
どこかでなぜか これはいい事じゃないか
って気持ちが沸々と湧いて来ています

ショック療法じゃないけど
何か大きな切り替わりな気がするのです

昔バリで歩いていたら背中にバイクが
突っ込んできた時も 倒れ
上半身が麻痺した状態で
病院に運ばれながらも
どこかで これで踊りが上手くなるかもと
本気で思っていた底抜け楽観主義が
戻って来ました 今思えば頭が変です

フラフラとバイクを運転していた
若者に対しても何故かIミリも怒りが沸かず 
怯えてて可哀想と思ったのを覚えています 
今なら普通に腹が立つと思うんだけど
その時はそんな感情は全く無かったんだよね

運ばれた病院で緑の簡易ベッドに放置され
I時間ぐらいしてやっと
赤チンなどを足の擦り傷に塗られ
いやいやこんな擦り傷はどうでもいい
上半身が動かないのよと心の中で叫んで
いるうちに痺れが取れて 自由に
動くようになったので 
もう帰りますと言って帰りました

次の日から普通に踊れてたから
身体は大丈夫だったみたいなのだけれど 

インドネシアでは その後
心理的なストレスが色々と重なり
だいぶ身体を悪くしちゃったのです

帰国してからは自動車が宙に飛び
上下一回転する事故にあったり
自転車で後ろにひっくり返ったりで
何度も身体が可哀想な状態になり

どこかで骨が歪んでるのは
あのせいか このせいかって
考えちゃうようになった

ある視点から見れば確かに 
そうなんだろうけれど
魂的には違うんだよね

ここの 原因と結果のところを
超えなさいと何度も言われてる

これを創り出したのはわたしだから
選んだのもわたしだから

バッドエンドをハッピーエンドに変えられる
のもわたしだから

そもそもバッドもグッドとないのだと
知る事なのだろうと思う

起こった出来事を行き詰まりの
デッドエンドにしちゃうのか
新しい視座を開いてくれる扉にするのか
自分次第なのだと何度も言われてる

そして変換のパワーはどんな時も
今ここにある

やっといいところに
ちょっと近づいて来ました

この世界のいい悪いの概念を超えて
魂が超えようとしている意識の向こう側へ
ブレークスルー

純粋な気づきを得られそう

いい感じの年末です
来年は復活とリバイブの年です










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