
2022年3月の星の行方
こんにちは。こじょうゆうやです。
2月の後半から、ようやく信州も空気の香りが変わってきたように思います。3月1日の今日は午後から雨が降り始めました。
木々は地中から水を吸い上げ、芽吹きの準備を進めているようで、降り積もった雪から顔を覗かせる土も芳しい香りを放っています。
そんな昨今、世界ではとても大きな変化が起こっています。
どうして今の時代にこんなことが、と困惑されている方もたくさんいらっしゃるでしょう。過去の地球の有様、過去の人類の行いが、はっきりと目に見える形で現れると同時に、個人的には次なる新しい世界も同じくらいにはっきりと現れてきているような気がしています。
ぼくたち人類は今、この大きな節目を味わう必要があるのでしょう。
もしかしたら、この体験、体感は今生で最後かもしれません。
星々は今、じっと静観しています。固唾を呑んで見守っているという言い方がぴったりです。おそらく、ひとつのクライマックスを迎えようとしているのでしょう。
次の世界へ移行するにあたって、大規模な破壊や破滅を通じて一変するという可能性も、残念ながら少なからずあるようです。しかし、極まる世界が反転する契機をようやく迎えた、そんな兆しも感じます。
そんな世界で、ぼくたち人類が今現時点で信じられるものって、一体何なのでしょうか。
疑いもなく確かなことって、一体何なのでしょうか。
世界は今、あらゆる人間の思惑が充満して、かなり視界が悪い状況です。その思惑はさまざまで、対立を煽れば煽るほど、対立が深まれば深まるほど、込み上げる笑いを堪えられない人も、この世界にはいるように感じます。
表面的に見て、正義と悪などの対立構造が誰の目で見てもわかりやすい時ほど、誰の目も届かないようなところで、そういった人がいることは間違いないようです。
地球上では、そういった人たちのことを闇の勢力などとカテゴライズする人たちがいます。そうして、正義や光の名のもとに、自分たちの行動や言動を絶対として、結局人々を煽り立て、自分たちのコントロール下に置こうとするのです。
意図的であろうと、無意識的であろうと、結局、光であろうが闇であろうがやっていることは一緒のように感じます。
それは、人類の歴史上かなり根深い「人心掌握」術のひとつです。
両者は、人の心、つまり感情を原動力として存在しています。多くの人の感情を集めれば集めるほど、より大きな存在感を持つことができるだけでなく、お金も山ほど集まりますから、そのためにできることは本当に何でもやるようです。平気で嘘もつくし、捏造もします。
あらゆる人間の思惑、つまりさまざまな「人心掌握」によって、今現時点ではその思惑の濃度がかなり濃く充満している状況だといえるでしょう。
星々の声をたよりにすると、ぼくたち人間それぞれの答えは外側(目に見える世界)にはないようです。あくまでもそれぞれの内側(目には見えない世界)にしかありません。
それを手繰り寄せるための大小さまざまなヒントやきっかけが、外側には無数にあるけれど、それは決して答えではないと、兼ねてから星々は口を酸っぱくして語りかけてきています。
では、ぼくたち一人一人にとっての、目に見えない世界とは何か。
それを昨今のスピリチュアル的な観点で捉えようとすると、過去世とかオーラとか、精霊とか、そういったものに思われてしまうかもしれませんが、決してそうではありません。むしろ、それらの情報もまた、情報として物質化している時点で外側(目に見える世界)のものなのです。
つまり、意図的に、無意識的に、人心掌握に使われてしまう素材だと言えるでしょう。
ぼくたちにとっての目に見えない世界とは、実はもっと身近なもののようです。あまりにも身近過ぎて、意識することすら忘れてしまっているのかもしれませんね。
これから訪れる新しい世界が、誰の手にかかっているか。
それは間違いなく、ぼくたち一人一人です。
誰一人として欠かすことはできません。
今月は、固唾を呑んで静かに見守る星々のまなざしを、できる限り丁寧に言語化していこうと思います。
※ 以前書いたnoteの記事「火のもとに、風が訪れた」を、昨今の世界の状況を踏まえ改めて紹介させていただきます。今回書かせていただく記事と併せてお楽しみください。
平和な世界の訪れを控えて
世界中に生きる70億以上もの人たちが、一人として欠けることなく平和で穏やかで、幸福な毎日を送るためのはじめの一歩として、星々が提案しているのはとてもシンプルなことです。
「自分自身の存在を信じて、愛すること」
この提案はあまりにもシンプル過ぎて、言葉の意味はわかるけれど、どういうことかわからないと思う人が多いかもしれません。
自分自身の存在を信じるって、どういうことなのでしょうか。
これもまた星々の言葉を借りることにします。
「自分自身の感性を感じること」
自分自身の感性を感じることは、自分自身の存在を信じることなのだそうです。具体的にどのようなことか、これから列挙してみますね。
・食べ物が持つさまざまな味わいをひとつひとつよく味わって食べること
・空気が持つ香りをつぶさに感じること
・目に映る景色の色合い、濃淡を感じること
・日々の天候、気温を肌で感じて、それに見合った服をまとうこと
・風の音、鳥のさえずり、人の生活音に耳をすませること
つまりみなさんそれぞれが持つ、五感を中心とした感性をしっかりと感じ取ることです。
信じられないかもしれませんが、たったそれだけのことをするだけで、ぼくたちは自分自身という存在を信じることができると、星々は言います。もしかすると、人類のほとんどがそのことすらできていない日々を送っているのかもしれませんね。
この記事を読んでくださっているみなさんはどうでしょうか?
どのような自覚がありますか?
星々曰く、この記事を読まれる方の95%以上が、それぞれの感性を感じきっていないのだそうです。特に「私は大丈夫」とか「私はそんなことない」と思われた方こそ、よくよく気をつけた方が良いようです。
そんなことを言ったら「心外だ!」とか「お前に何がわかる!」とか、そういう声が聞こえてきそうですね。むしろそういう声が聞こえてくるとよりいっそうに「ああ、本当に感じていないんだね」と星々は思うそうです。
でも、どうしてぼくたちはそういう状態になってしまっているのでしょうか。その理由の最たるものがそれぞれのエゴを軸とした「思考」なのだそうです。
(かと言って、「思考」は悪いものではありませんからね。ジャッジメントにはくれぐれもご注意ください)
思考のとらわれに気がついて、エゴを自覚し、観察して、自分自身の感性を感じることを通じて、自分自身の存在を信じることができれば、誰一人として欠けることのない平和な世界は確実に訪れる、と星々は断言しています。
しかし彼らは実際的に、ぼくたちの思考や感性に対して行動することはできません。何もしてくれない傍観者のように思える人もいるでしょう。でも、もし仮にそんなことをしたら、それもまたコントロールになるから、星々はぼくたちに一切の手出しをしないのです。
愛を根幹に置く宇宙において、自由は絶対に欠かせないものなのだそうです。愛をエネルギーとして捉えると、愛のエネルギーが最大出力になるためには自由が必要で、コントロールなどの不自由が発生すると、途端に愛のエネルギーは出力がみるみるうちに低下し、ひどくなると愛のエネルギーが発生しなくなるそうです。
愛が基礎として存在している宇宙で、愛のない状態に陥ると、宇宙の流れに沿って生きることが極めて困難になります。それは、地球上で自然と調和して生きることができなくなることをも指すようです。
宇宙と一体になりながら存在する星々(そこに生きる人々)にとって、愛、そして自由とは異なる行動をとることはできません。したがって、彼らはぼくたち地球上の人類の思考や感性を正すような直接的な活動はできないのです。
ぼくたちひとりひとりが、愛と自由、それに基づく意志を通して、自分自身の思考や感性と向き合っていくしかありません。
その営みを面倒くさがったり、ないがしろにしたりして、自分以外の誰かに人生を委ねるような選択を繰り返していると、あらゆる「人心掌握」の餌食となってしまいます。
ぼくたちが今できることは、自分自身の感性を感じ、自分自身という存在を信じて、愛することです。
たとえ、育児に追われていたり、仕事に追われていたりしても、それはできます。環境のせいすることができない営みなのです。
ぼくたちにできることは、当たり前かもしれませんが、まずは自分自身のことです。他者に対する何かではありません。自分自身のことができていないのに、他者に対する何かなどできないのです。
もし仮に、一見できたように思えても、それは一過性で永続的なものにはなりません。
2022年に入って特に、星々はひとりひとりの「生活」の重要性を説いています。「Love Myself」もまた、特別なHow To などではなく、あくまでも個々の「生活」の範囲でできることだらけです。
自分自身の感性を感じ、自分自身という存在を信じて、愛することを誰に見せびらかすでもなく、ただもくもくと、淡々と実践してみることをおすすめします。
ぼくたち人類が今現時点で信じられるものは、まず何よりも自分自身です。
人類の思惑ばかりの世界で疑いもなく確かなことは、自分自身の感性で感じられることです。
宇宙に点在する星々だけでなく、地球もまた、ぼくたちひとりひとりの存在を心底求めています。
世界が大きく変わろうとしている今のタイミングは、自分自身の感性を感じ、自分自身という存在を信じて、愛するための強力な追い風になりえるのかもしれません。
あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。