俯瞰を薦める
自分のことが大好きでおなじみの私だが、それにしたってみんな、自分のこと嫌いすぎじゃない?嫌いまでいかなくても信じなさすぎじゃない?と、よく思う。
好きまではいかなくても、信頼というか、そんなに悪いやつじゃないくらいには思ってもよくないですか?確実に死ぬまで一生つきあう相手なんだし。そもそも実際にそんな悪いやつって、いなくない?
私が自分のことを『こいつ、いいやつだなぁ』と思うエピソードはいくつかあるんだけど、今日はそのなかでも選りすぐりをご紹介しよう。
あれはたしか、夫と、みなとみらいあたりにおでかけしたときのことだ。かわいい雑貨店をハシゴして、かわいい雑貨やおいしそうな食べ物や飲み物をいろいろ買った。食べ物は瓶詰のものがあったりして、けっこうな荷物になったが、その日私はリュックサックを背負っていたのでなんでもドンとこい状態で、買ったものを次々とリュックサックに詰め込んだ。背負っているとそれほど感じなかったが荷物はわりとけっこうな重量になった。
そんな状態で次の店に行った。そこでもよさげなものが見つかり、私が代表してレジに並ぶことになった。少し通路が狭いお店だったため、夫が
「俺、荷物持って外で待ってるよ」といってくれた。
「そう?ありがとう。じゃあ、お願い」
答えた私は背中からリュックサックを下ろして夫に手渡そうとしたが、あまりの重さに気が引けて、夫に渡す手が止まってしまった。
そんな私のそぶりに気づかず夫は私のリュックサックを持とうとした。とっさに私の口から
「あっ、あっ、だいじょうぶ?重いよ?」
という夫を心配する言葉が出た。たった今まで、自分がそれをずっと背負っていたのに。
……ね?ちょうかわいくないですか?自分が重いもの背負ってるときはなんも考えてなかったのに、夫にそれが渡るとなった途端、悪いな、大丈夫かな、って心配しちゃうの。やだー。めっちゃいいやつ。
『それをいうなら自分も……』となにか思い出せる人がいたらいいなと思うし、もしなかったとして、自分を俯瞰してみることを強く薦めたい。
これは今まであんまり人に共感を得られたことがないのだが、たとえば自分が落ち込むようなこと、自分を嫌いになりそうなことがあったとする。そういうとき、私は『これ、友達からこの話を聞いたら私はどう思うかな、友達にどう返すかな』と考えるのだ。
「こんなミスしちゃってさー。私って、どうしようもないよねぇ」
「なんかこんなこと考えちゃって。私、嫌なヤツだよね」
みたいな感じで、自分がやったことや、思うことをそっくりそのまんま、だれかが自分に話してきたとしたら。
そうすると、だいたいのことは「そんなことないよ」になるはずだ。
「そんなことないよ。だって○○だったんでしょう?しかたないよ」
「そんなことないよ。1回のミスでなにも終わるわけじゃないし大丈夫だよ」
「そんなことないよ。みんなそれくらい考えるよ」
「そんなことないよ。考えるくらい自由だよ」
まれに、友達から聞いても絶句してしまうような話もあるかもしれない。でも、それだってきっと友達の話だったらフォローするはずだ。
「それは……やっちゃったね。でも、はやめに分かって良かったじゃん!」
「あー。ひどいことしちゃったね。気持ちはわかるけど、まずは謝ったほうが自分もラクじゃない?」
「よし!次だ次!!」
『そんなことないよ』でも絶句のちフォローでも、友達の話として客観的にきいたときの反応。それ、自分相手でもやってあげたら良くないか?そうやって俯瞰で考えたら、たいがいのことは自分に厳しくしすぎで、思っているよりずっとがんばっている自分に気づけるんじゃないか?
・・・と、おばちゃんは思うわけです。
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