牛乳かんを作った話
弟から突如として苺が送られてきた。私へのお返しのつもりだろう。先日、島根の境港にある水木しげるロードへ旅して、そう言えばあの子も水木サンの妖怪辞典を夢中で読んでいたなと思い出し私からお土産を送ったばかりだ。私は弟が大好きだが、弟もまた私が大好きなのだ。
苺は冷蔵庫中に甘い香りが広がるほどしっかり熟していて、そのまま食べてもとても甘くて美味しかった。苺などのベリー系全般があまり得意じゃない夫もおいしいおいしいと喜んで食べていた。
せっかくだから牛乳かんを作ることにした。砂糖で甘くした牛乳を寒天で固めて中に苺を散りばめるだけの簡単なおやつ。
子供の頃は、お正月になると母方の祖母の家に親戚中集まって飲み食いするのが定番だった。母も祖父母も兄弟が多く、毎年なかなかの人数が集まる。そしてありがたいことに、お年玉がかなりガッポリもらえる。普段定期的なお小遣いをもらっていなかった私には大事で楽しみなイベントだった。
お年玉と同じくらい楽しみだったのが祖母が作る数の子と牛乳かんだった。どちらも家で食べるより何倍もおいしく感じた。牛乳が苦手な子供だったけど、これだとバクバク食べた。
当時を思い出しながら初めて自分で作った。だいぶ固くなってしまったけど何とかおいしくできた。思い出補正で実際は大しておいしくないものだったりしなくて良かった。
お正月の集まりは祖父が亡くなった頃から少しずつ規模が小さくなっていった。さらに母と父の、母と祖母の、母と母の姉弟たちの、私と母の、それぞれのいざこざが絡み合い、私は母や祖母を含めた母方の親戚中と、生存すらおいそれと分からないほど疎遠になってしまった。
それでも牛乳かんは美味しいし、私と弟はしばらく会ってないけど仲が良いし、私の隣には、おいしいものを一緒においしいと喜んでくれる夫がいる。
変わってしまうもの。変わらないもの。生まれるもの。消えるもの。どこが分かれ道なのか。どうしたら良かったのか。
考えても仕方ないので今目の前にあるものを大切にする。