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ある日記「どこからでも切れます」2024年10月11日

 「どこからでも切れます」と書かれた調味料の袋がどこからでも切れないことがある。そんなとき「こいつ、なかなかやるな」と思う。調味料の袋がまるで武器を持っていないのに攻める隙が見当たらない武道の達人のように思えるのだ。「どこからでも切れます」が「どこからでもかかってこい」の意味に取れる。
 そもそも、どこからでも切れて欲しい調味料の袋に入っているのは醤油やカップ麺のソースなど飛び散ると大惨事になる取り扱い危険物だ。袋を力一杯引きちぎるのには大きなリスクが伴う。使用者も慎重にならざるを得ない。調味料の袋はこちらの戦力を大幅に削ったうえで挑発しているのだ。
 「どこからでも」と言っても、辺の全てが等しく切りやすい訳ではない。どこ切れ袋には小さな切れ目がたくさん入れられているが、切れ目の数は有限個であり、切れ目と切れ目の間を運悪く攻めれば、切らせるつもりのないビニールの袋と格闘するのに等しい。ここが“どこ切れ袋”の嫌らしいところだ。切れる箇所が一つの袋なら、うまく切れなかったとき自分の運の悪さを嘆けば済む。どこ切れ袋は倒せる可能性をいつまでもチラつかせながら切ることに失敗した人間を嘲笑うのだ。
 しかも、切った後に調味料を何かにかけることを考えれば、切れ込みの場所は右端か左端の二箇所だ。そこで敗北したら仕方なく真ん中付近に場所をズラしていく。それでも挑戦できるのは四、五箇所程度のものだろう。こちらの一手目が失敗したら、そこからどこ切れ袋側の詰将棋が始まるのだ。
 その上、どこ切れ袋はどこからでも切れる部分を切っても開かないことがある。切れ込みの入っていない真の袋部分に差し掛かって、完全体ビニールの防御力に切ろうとする手が動かなくなる。生半可な打ち込みではこちらの刃が素手で受け止められてしまうのだ。まさに肉を切らせて骨を断つ戦法。どこ切れ袋は戦い慣れしてやがるのである。
 「どこからでも切れます」と同じように文面とは矛盾した結果が待ち受けている言葉に「怒らないから言ってごらん」がある。この甘言に騙されてポロッと自分の悪事を漏らせば、待っているのは烈火の怒りだ。「怒らないから」なんて言ってる時点で、発言者は怒る準備ができている。自分が怒るきっかけになることとは違う内容では会話に満足しない。「怒らないから言ってごらん」の方がよっぽど「どこからでもキレます」だと言える。

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