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ある日記「ジェロニモ短歌賞の批評性」2024年12月24日

 『第十六回ジェロニモ短歌賞』に出演した。芸人たちがテーマに沿った一首を提出し、鈴木ジェロニモが順位付けとコメントを行うライブだ。十六回も続いていることから分かるように、短歌のトークライブとしてもお笑いライブとしても面白い会である。
 鈴木ジェロニモは名だたる短歌賞の最終選考に残っており、歌人としてキャリアを積んだ後に芸人をしている枡野浩一さんを除けば、芸人界で最も短歌に通じている。最近ではYouTubeで「説明」シリーズがバズり、あのナナロク社から『水道水の味を説明する』という本を上梓した。言葉の本質をエンタメとして扱う、特に言葉が湛えていた可能性を掘り返す行為に長けている芸人だ。
 ライブの見所は大きく分けて二つある。ランキング形式に翻弄される芸人たちの醜態と、鈴木ジェロニモによる短歌批評だ。芸人たちの醜い争いは『プレバト』や『ロンドンハーツ』などの番組を想像していただければよいかと思う。ここで論じたいのはジェロニモによる批評の一貫性だ。
 ジェロニモ短歌賞には変わらない評価軸がいくつか存在する。まずは「意味の伝達速度」だ。短歌を読んだときに、読む速さと同じスピードで歌の意味が伝わることを良しとする。例えば、「いみのでんたつそくど」と書けば、一瞬意味を汲み取り損ねるだろう。実際は、先ほどの「意味の伝達速度」をひらがなに換えただけだ。この漢字をひらがなに変換することを詩歌の世界では「ひらく」と称する。ひらくか、ひらかないか、それを変えるだけで意味の伝達速度は変わってくるのだ。
 この意味の伝達速度という評価軸は芸人らしいと思う。芸人はネタがいつ伝わるか非常に気にする。というのも、ボケが想定より遅く伝わってしまうと、用意していたタイミングのツッコミと笑い声が重なってしまうからだ。逆にボケが想定より早く伝わると、用意していたボケの言葉尻が笑い声にかき消され、本意とは違う印象になってしまうことがある。意味の伝達速度は間を司るうえで重要なのだ。
 二つ目の評価軸は「当事者性」だ。詠み手が主体として現れる短歌を良しとする。例えば、「道で人が転んだ」ではなく「道で転んでしまった」の方が、事故性や痛々しさが伝わるのではないだろうか。一人称視点である方が感情移入しやすいのだ。ただ、この卑近な例では収まりきらないのが「当事者性」というものである。ジェロニモ短歌賞に足を運んで、具体的な短歌に対する評と代案を聞いて、腑に落ちていただきたい。
 「当事者性」という評価軸にも芸人らしさがある。お笑いを論じるときに「ニン」という言葉がよく出てくる。「ニン」とは、「この人が言ったり行ったりする方が面白味が増す」と観客に思わせる人間性のことだ。例えば、街の愚かな人物が登場するコントを観るとき、演じる芸人が現実でも借金をしていたり、異性交遊に耽っていたりすることを知っていると、コント上の人物にリアリティが増し、面白く感じる。芸人がどんな人物か知識がない人にも、その演技に染み出した私生活で身に付いた振る舞いや纏う雰囲気は伝わる。お笑いはどんな人物が表現しているかが重要になってくるのだ。
 短歌において、詠み手の「ニン」を感じさせるのが「当事者性」だ。主体がはっきりした短歌は、表現された情景が主体を映し出す鏡となる。例えば、「道で転んでしまった」ならば、主体は転ぶくらい道を急ぐようなせっかちな人物かもしれないし、道の何でもない段差や小石につまずくようなおっちょこちょいな人物かもしれない。こうやって主体を想像させることで「道で転ぶ」ことの意味合いに重層性が生まれる。事象の味わいを雪だるま式に大きくするのが、お笑いにおける「ニン」であり、短歌における「当事者性」なのだ。
 ジェロニモ短歌賞には他にも様々な評価軸があるが一旦打ち止めにして、次は変わらない評価軸が参加者の作歌に及ぼす影響について論じてみる。
 明確な評価軸は、参加者に賞の傾向と対策を分析させることを促す。ライブにおいても、作歌時に迷った場合に過去の短歌評を参考にしたことが言及された。賞に勝つための作歌は短歌の可能性を絞ることになる。しかし、それと同時にジェロニモ短歌賞に連続して参加する芸人の短歌のレベルが向上していることも確かだ。鈴木ジェロニモという歌人の中で組み上げられた良い短歌に向かう方位磁針を共有する。こんな贅沢な経験はないと思う。
 雑誌で発表されるような短歌賞では、複数人の選者が多角的な価値観で候補作の順位を決める。膨大な応募から真に光るものを拾い上げるには最適な方法だと思う。しかし、あらゆる角度の評価軸は短歌を志す者を絡め取り、悩ませてしまうのではないだろうか。選考会の模様を読んでいると、よりよい作歌を促すための批評とは別に、賞を獲るための作歌指南の意味合いも強くある気がする。
 明確で一貫した評価軸で運営されるジェロニモ短歌賞が長く続くことを願ってやまない。その面白さは鈴木ジェロニモという存在の、芸人としても歌人としても秀でた部分がストレートに表れているように思う。そして何より、歌人から短歌知識皆無の人まで楽しめる裾野の広い短歌イベントは他にないだろう。次回の開催が待ち遠しい限りだ。

また出たい。


ぱらぱらとめくる 炒まる 降る 集う 風のすきまで はじまりはじまり

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