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ある日記「本を握って」2024年12月8日

 読みかけの本を握って電車を降りた。表紙が体につくように腕を伸ばしてホームを歩いた。改札に向かう階段で前を歩く人のなかに本を携えている者はいない。なんだか誇らしいような気持ちになった。僕は本を読んでいる。自ら進んで、うれしくて。
 思えば、本を握って歩くのが好きだった。偉い学者になったような気分がした。大量の文字は知識の証。本を携え、今にも読もうとしている姿がかっこいいと思った。
 表紙を周りに見せるか見せないか、意識しないように意識した。表紙を見せる本を決めるのはダサい。たまたま表紙が見えてしまって、それがとてもセンスのいい本で、「おっ」と思われるのがいいのだ。物々しいタイトルの本をじろじろ見られて、「今見られてるな」と恥ずかしくなることもある。必要な犠牲というやつだ。
 いつからか移動の時間は本を読む時間になっていた。小学生のころに本が好きになって、下校時間になると本を読みながら歩いて帰った。視界の隅で周りを確認しながら本の世界にちゃぽんと浸かってそろそろ歩いた。気づいたら家の玄関の前に着いている、あの瞬間が好きだった。
 よく図書室で借りた本を読んだ。古い本か分厚い本が好きだった。紙とインクとカビのにおいがない混ぜになって僕を包んだ。授業が終わって、教室から離れた図書室に行き、友達がすでに帰った通学路を通り、母と妹が待つ家に帰った。世界は僕だけのものだった。
 中学生になっても本を読みながら歩いて帰った。買い食いを覚えて、コンビニでホットスナックやポテチを買って、食べながら読みながら歩いた。どちらかにすればよいものの、四苦八苦しながら読んだり食べたりした。人通りの少ない道を選んで歩くようになった。木漏れ日が響く空気が好きだった。
 今でも電車で本を読んでいる。本に夢中になって降りる駅を通り過ぎないように、乗り換えアプリで時間を調べて、到着時刻の一分前に目覚ましをかける。あっという間に駅に近づいて、目覚ましがなって、本を握って電車を降りる。今日も今日とて誇らしい。僕は本を読んでいる。

美味しいパニーニを食べた。


紙幣の工場で働く人

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