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ない日記「はとバス火星ツアー」

 商店街の福引で二等が当たったので、はとバスで火星に行ってきた。一等がオーブンとしても使える電子レンジで、しかも脂がいい感じに落ちてヘルシーなやつだったから、どうせならそっちが当たって欲しかった。とはいえ、ないものねだりをしていても仕方がない。平日の朝から火星にくり出してみた。
 はとバスって東京都をぐるぐる回ってるもんだと思っていたので、火星が守備範囲に含まれるのは意外だった。どうやら僕と同じ疑問を抱く人は多いらしく、バスガイドのお姉さんが解説してくれたのだが、火星は行政区分上「東京都」なのだという。「小笠原諸島も本島からぐんと離れているのに東京都ですし、それと似たようなものとお考えください」とバスガイドさんはのたまっていた。小笠原諸島が東京都であることに驚いてる隙に、火星のことも煙に巻かれてしまった。
 バスに五分ほど揺られていると、窓の外がにわかに赤くなり、僕たちは大気圏を突破し、宇宙を漂っていた。といっても、バスなのでガタガタガタガタ座席は振動していた。しかも、僕の座席は後ろのタイヤのちょうど上で、揺れは大きいし、足を置くスペースに傾斜がついていて軽く膝を抱える形で座っていた。福引で当たっていたのでなければ、すぐにでも席を変えてもらったのだが、そんなことをしたら運の揺り戻しでバチが当たる気がして、極めておとなしくしていた。
 宇宙空間の景色は絶景そのもので、地球の全貌が見えたときにはみんな口々に「地球は青かった」と言って笑いあっていた。バスガイドさんの調子もよくて、「左手をご覧ください。月でございます。右手はご覧にならないでください。太陽です」とか冗談を飛ばしていた。
 一時間くらい過ぎたころ、バスは火星に到着した。火星は宇宙線がキツいからと、バスを降りるときにサングラスを渡された。もちろん旅行施設は宇宙線吸収加工のされた資材で建てられているのだが、サングラスをしないと地球に帰ってから目がしばしばするらしい。デザインがEXILE TRIBEっぽいのしかなくて、僕がかけるとフィリピンのドラ息子みたいになってしまった。
 バスガイドさんに連れられて施設の奥へと進むと、目の前いっぱいに果てしない高さのゴツゴツした壁が広がる空間に到着した。上を見ると天井は透明で、正面の壁はその天井なんてお構いなしにどこまでも上へと続いていた。
 バスガイドさんは壁を指さし「こちらがあのオリンポス山です」と言った。オリンポス山がとてつもなく高い山なのは知っていたが、これほどすごい断崖絶壁もあるのかと驚いた。そして、「もっと遠くから全体を眺めてえ」と思った。富士山だって見目麗しい活火山だが、登っているときはただの山である。隣の県のどこかのビルの屋上あたりで見るのが一番綺麗だ。
 文句を頭の中で遊ばせていると、「それでは今から一分間だけSECOMのスイッチを切りますので、興味のある方のみオリンポス山の山肌をお触りください。よーい、スタート!」とバスガイドさんが言い出した。僕は慌ててオリンポス山に駆け寄り、手で触るだけでなく頬ずりをするなどした。
 そのあと、しばらく旅行施設を案内され、火星開発資料館に行っていたら、昼食の時間になった。オリンポス山をイメージした砂山が中央に鎮座する囲炉裏をかこんで座ると、ぐつぐつ煮える鍋から味噌のいい匂いがしてきた。火星名物「カセイガエルのとんとこ煮」だ。
 人類が火星に持ち込んだ生き物の中で最初に繁殖に成功したのはカエルだった。火星の地表は宇宙線が強く、その他にも人類の検知できない環境要因があるらしく、研究施設内を限りなく地球と同じ環境にしても、生き物を何世代にも渡って飼育することは困難を極めた。遺伝子操作などありとあらゆる方法を試してもうまくいかず、火星入植から三十年が経とうとしたある日、研究員が倉庫の隅で自ら繁殖しているカエルを見つけたのだった。カエルは一世代のうちに何度も変態を繰り返すため、次の世代に移るときに一度弱い個体になるリスクを回避して進化することができたのだ。
 地球の三分の一の重力で育ったカセイガエルの肉ははんぺんくらいふわふわだった。味噌の風味も独特で、宇宙食の米のパサつき加減が不思議と合った。ごきげんになった僕は、箸でカエル肉をつまみ上げ、宇宙の先の地球と並べて写真を撮り、「平日の明るいうちからカエル食う ごらんよカエルこれが地球だ」の文言を添えてポストした。
 お土産にとんとこ煮を一袋買ってみたら、火星でのふわふわ食感を地球でも再現するために、糸を引くと調理用ガスが噴射されるバスケットボール大の球体の装置も付いてきた。鞄に仕舞いにくくて大変困った。魔が差して装置を指の上でくるくる回してみたら、味噌が染みてきて最悪だった。

実のところ、日本のゼネコンでも火星での施工や開発についてきちんとまとめているところもあります。火星と基地、施工などという単語を入れて検索してみてください。すぐ「大林組」と会社名が出ますから。

齋藤潤『本気で考える火星の住み方』

 人類が火星に移住できるのはいつになるのだろうか。移住とまでは言わずとも旅行くらいは行ってみたい。それも観光業が発展して、宿泊施設とかアクティビティーとか充実したあとで。どうやらイーロン・マスクは本気で火星移住を実現するつもりみたいだし、スペースXが軌道に乗っているうちは、どれだけXをめちゃくちゃにしようと僕は目をつむるつもりだ。
 スペースXの躍進は民間人が宇宙旅行する未来をグッと現実に近づけてくれている。二〇〇二年に創立したこの企業は、二〇〇六年にはNASAとISSへの物質補給サービスを開始し、二〇一二年には民間の宇宙船で初めてISSにドッキングして資材を補給した。二〇二〇年には民間企業として初めて有人宇宙飛行を成功させている。NASAはこれを見て、スペースXからロケットと宇宙線をチャーターして打ち上げるというスタンスになりつつあるという。国のお偉いさんの顔色をうかがわなくていい自由な宇宙開発が始まっているのだ。
 ただ、人類が火星に安全に渡航できるようになったとして、果たして火星に行きたくなるのかという疑問もある。火星でどんな暮らしができるか考えたときに、まず生活スペースは地下になってしまう。火星は大気圧が六パスカルしかないため砂嵐がひどく、大気が薄いために宇宙からの放射線がすごいからだ。地上に建築するのは現実的ではないのだ。
 しかも燃料費を考えると火星に行けるのは七八〇日ごとになる。というのも、地球と火星は異なる周期で公転しており、二つの惑星が接近するのは二年強に一度しかないからだ。都心では三分に一本電車が来ることを考えると、とても交通の便が良いとは言えない。
 とはいえ、宇宙旅行のロマンは簡単に抑えられるものでもない。アメリカで開発が盛んなのは想像に難くないが、日本でだって大林組が火星探索に使える資材を開発しているし、中国では火星での暮らしを体験する模擬施設「火星一号基地」がゴビ砂漠に作られ、各国の人々に火星旅行のチャンスは開かれている。僕は死ぬまで火星旅行をあきらめないでいようと思う。

 生きるのにロマンは必要だ。ロマンを現実に変えるために脳みそをひねって考える自由が科学にはある。火星についてもっと知りたい方に『本気で考える火星の住み方』(齋藤潤、ワニブックスPLUS新書)をおすすめする。読めばきっと火星が近く感じられることだろう。


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