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ある日記「東京」2024年10月19日

 東京の街に出て来ました。あい変わらずわけの解らないこと事言ってます。恥ずかしい事のないように見えますか。駅でたまに昔の君が懐かしくなります。雨に降られて彼等は風邪をひきました。あい変わらず僕はなんとか大丈夫です。よく休んだらきっと良くなるでしょう。今夜ちょっと君に電話しようと思った。君がいない事、君と上手く話せない事、君が素敵だった事、忘れてしまった事、ララ…
 以上はくるり「東京」の歌詞を半分にしたものだ。長々と言葉を連ねてしまって、倉田の文章だと思われた方には申し訳ない。こちらは岸田繁のポエジー溢れる名文だ。
 僕は小中高と神奈川県横浜市で育ったのだが、いつまで経っても東京というものに慣れない。電車から吐き出されるたびに東京の空気に「うわっ」と思う。人懐っこさの感じられない街並みに人が吸い寄せられるのを呆然と眺めてしまう。このとき僕は立ち尽くしているわけではない。自分も流れに身を任せ、なんなら流れを速めるくらいの勢いで足を進めているのだが、意識が土地に馴染まないのだ。
 人混みで心が浮いたときいつもくるりの「東京」が頭の中で流れる。ディストーションの効いたギターの印象的なリフから始まるこの一曲は京都へのホームシックを誘発する。僕が大学生活を過ごした京都は東京よりも余所者を受け付けない。こちらから一方的に愛するばかりである。それでも帰りたいと強く願ってしまう。
 僕にとって青春の始まりは大学入学だった。知らない人と仲良くなるために初めて自分を削って燃やした。深く解りあいたくて言葉を尽くして語りあった。あの頃には差し出せるものが言葉しかなかったのだ。そして、話せば話すほど離れていく相手の関心を眺めるしかなかった。時が経つにつれて会話は解りあう行為ではなく、触れあう行為なのだと知った。そして何年もかければ言葉が通り過ぎた相手とも解りあえることを知った。
 京都の思い出は上手く話せなかった時間でぎちぎちだ。でも、だからこそ思い出に手触りが、ぬくもりが、吹き抜ける風があるのだろう。お酒を飲んだり、飲まなかったり。夜更かししたり、しなかったり。集まったり、集まらなかったり。笑ったり、笑わなかったり。今でもやりたいよそんなことを。
 東京の街に出て来ました。あい変わらずわけの解らない事言ってます。恥ずかしい事のないように見えますか。駅でたまに昔の君が懐かしくなります。

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