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歴史に学ぶ最重要価値を時間におく考え方

恩讎分明(おんしゅうぶんめい)
→ 恩を受けた時は恩で報い、あだを受けたときはあだで報いる。

あだを受けたときはあだで報いるとは、目には目を歯には歯をというのと同義である。

この言葉の方がしっくりくる人も多いだろうが、同等の仕打ちをもって報いることである。

ハムラビ法典にも同様の言葉があるが、旧約聖書の出エジプト記にも登場し、出典とされている。

この意図というか、概念については基本的には同意できる。

いや、正確にいうと同意できていたが、近年は少々違う見方になってきたように思う。

目には目を歯には歯をという考え方について

真正面から否定されると、なにくそとなってしまうタイプの人と上手くスルーできる人に分かれる。

私の場合、圧倒的に前者であった。

これは過去形になっていることが重要なポイントであると思っている。

あまりこの言葉を使うことも好きではないが、若いときはとにかく何事に対しても全力でぶつかっていたように思う。

それは、私にとって良いことに対しても悪いことに対してもである。

その理由としては、エネルギーが有り余っていたからだと思う。

それから、その背景としては、時間という感覚が今よりも圧倒的にあるということが大きいと結論づけている。

つまり、時間があるということを意識していることはなかったが、感覚として時間があったので、何事に対しても100%あるいはそれ以上の力でぶつかっていたということだ。

それが、徐々に変化していくようになった。

それは、時間という概念に対する考え方に変化があったことに起因すると考えている。

勢いで片付けることができていた時代が、効率よくというか、より上のステージに行くためにはどうすればいいのかという考え方に変わっている。

最も大切な時間について

私の駄文に付き合ってくれている方は、何度も同じことを書いていると飽きられるかもしれないが、現在の私が最も大切にしているものは時間というものだ。

誰にでも平等に与えられているもので、かつなによりも価値があるものという位置づけだ。

けれども、この時間というものは無限ではなく有限である。

過ぎ去っていった時間については取り返すことはできないし、そもそも取り返そうとすることすら無意味だ。

その時間に対する概念は、歳を重ねることで変わっていく。

若年であればあるほどに、時間はゆっくり流れる感覚がある。

それは、1日1日が充実していたり余計なことを考えることが少ないからだという。

要するに、忙しいければ忙しいほどに、時間が経つことがはやく感じるということが原因らしいのだが、確かにそれはあるかもしれない。

暇な人ほど余計なことに首を突っ込んでくるし、時間があるからいちいち対応ができる。


ここで間違って欲しくないのが、個人的には人はどんな生き方をしてもいいと思っているということだ。

人それぞれ考え方があって当然だし、その人の生き方を否定するほど私は崇高な人間ではないことくらいは理解している。

ただ、そんな人たちに、いつの時代も真正面からぶつかっていくことが、いかに非効率かということを考えるべきだと主張している。

自分のやりたいことを見つけて、それを実現したいと心から願うのであれば、無駄な時間をとにかくなくすということだ。

その無駄というのが、誰に対しても全力でぶつかることだと伝えたい。

他人に時間を奪われることを嫌うことで、自分の時間が確保でき、前に進めるのである。

時間に対して向き合うことについて

そんな風に時間に対して向き合うことができるようになるには、人に任せていくということが重要になる。

信用できる人がいないから全部自分自身でやっていては、なにもかもが終わらない。

ここでも、若年であればあるほど、自分で全てをやってしまうという傾向がある。

もちろん、まずは自分でやってみて感覚を掴んだり、どういった情報が必要なのかといった経験を積むことは重要だしやるべきだ。

けれども、ずっとそれを自分でやる必要はない。

ある程度の先が見えたら、他の人に任せていくことをしなければ、ずっと同じところにいることになるので、それは避けるべきだ。

時間効率を考えて先に進んでいくためには人に任せていかなければいけないし、その人が100%できなくてもいいという割り切りも必要だ。

それなりの指標は作るべきだし、示唆する必要はあるけれども、ずっと手取り足取り教えていては自分でやっていることと同じだ。

ここは思い切って60%くらいのことができたらオッケーとしなければ、先に進むスピードに影響が出る。

まとめると、自分の時間を確保するためには、手伝ってくれる人に協力してもらうこと、そしてその人に思い切って任せるという決断が必要だ。

まとめ

恩を受けた人に対しては、恩で報いる。

このことは多くの人は当たり前にできるし、そもそも意識しなくてもいい。

お世話になったことを忘れるほど、人間の脳はスペックが低くない。

問題は、あだを受けたときにあだで報いるという愚行だ。

そんな時間とエネルギーを使うのであれば、スルーした方がいい。

その時間をクリエイティブな時間に使った方がよっぽどポジティブである。

もちろん、人間なので感情というものがある。

ムカつくといった腹を立てることもあるだろうし、落ち込むようなこともあるだろう。

ただ、いちいち真正面から受け止めて、それに対して全力で対応していたら、限られた時間を無駄に奪われてしまう。

一度しかない人生を有意義に過ごすためには、時間に最重要価値を置き、日々過ごすことを心がけていこう。

今一度、自分自身にも言い聞かせたい。


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株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。