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窮鼠猫を噛むという言葉の中にある2つの意味

禽困覆車(きんこんふくしゃ)
→ 弱者も追い詰められると車をひっくり返すような力を出すということ。

同じような表現で、窮鼠猫を噛むというものを思い浮かべた人も多いのではないだろうか。

説明するまでもないと思うが、弱いものでも、追いつめられて逃げ場を失うと、居直って天敵といえるような相手でさえも立ち向かって異常な力を出して反撃するという意味だ。

そして、相手が弱くても、逃げ道のないところに追いこんではいけないという教えの意味も含まれている。

せっかくなので、もう少し深く説明しよう。

窮鼠猫を噛むの出典と解説

出典は、塩鉄論の詔聖で、漢の昭帝の時代に賢人を集めて編纂した経世実用の書からである。

大前提として、この本は道徳論でなく、現実に実社会で生活するための知恵がいろいろ集められているものだということは知っておくといいだろう。

窮鼠猫を噛むの原文は、死すれば再びは生きず、窮鼠猫を噛むとなっている。

その意味は、死にものぐるいになっている鼠は、死んだらもう生きかえることはないのだと、最後の力をふり絞って戦うというもので、まさに現代にも語り継がれている。

詳しく解説すると、窮という字は物事のギリギリのところを示していて、穴の最も奥の部分を指している。

窮鳥懐に入れば猟師も殺さずという、ことわざがある。

この意味は、追い詰められて行き場を失った鳥が猟師の懐の中に飛び込んできたときには、猟師は自分に助けを求めてきたことを哀れんで殺しはしないものだというものだ。

この場合も窮鼠猫を噛むと同様に、窮は逃げ場が絶たれている状態を表している。

いずれにせよ、訓言は2つの側面を持っているといえる。

1つは弱いものでも侮ってはいけないということ。

そして、もう1つは逃げ場のないところに人を追いつめてはいけないということだ。

また、一寸の虫にも五分の魂という言葉もある。

どんな小さな虫でも、それなりの根性があり、意地があるのだという意味だ。

中国では同様に蟷螂の斧という言葉がある。

カマキリの前足を振りかざしている姿を笑った表現で、うわべの強がりだという意味で捉えられがちだ。

ただ、原典の韓氏外伝の八では勇ましい虫の姿をむしろ健気な姿として褒めている。

小さいもの、弱いものを軽んじることは、そのこと自身が非常に危険な状態を生むことにつながる可能性があるという戒めとしても捉えられる。

弱少の集団でも、団結すれば思わぬ力を出すことがあることは往々にしてあり得る。

弱者はそれなりに生きるための手段をもっているものだから、強者の弱点をつくことがある。

実力があって権力を身につけてきた場合、それを鼻にかけず、どのような相手に対しても丁寧に慎重に対応しなければならないということだ。

それから、相手を逃げ場のない所に追い込んではならないという点については、孫子の九変篇の兵法のなかで1つの項目として取り上げられている。

ここでは、逃げ道を作っておいてから攻撃すれば、味方の損害を最小限にして敵を全滅させられると説いている。

窮鼠猫を噛むの類語

火事場の馬鹿力

火事場の馬鹿力は、追いつめられた者は普段からは想像できないほどの力を無意識に発揮することの例えだ。

窮鼠猫を噛むでいうところの鼠を指している。

火事のような切迫した状況では、無意識に力を出して重い金庫や家具などを運び出せることから、いざというときに想像以上の力を発揮できるさまをいう。

窮寇(きゅうこう)は追うことなかれ

窮寇は追うことなかれの窮寇はきゅうこうと読み、追いつめられた敵を指す。

必要以上に敵を追いつめてはいけないという教えをあらわすことわざである。

くり返しになるが、窮鼠猫を噛むにも、同様に敵を追いつめるのは得策ではないという訓言があると述べたが、言い換え表現として使用できる。

孫子の兵法のことにも触れたが、窮地に追い込まれた敵をさらに攻撃すると、思わぬ反撃をくらう可能性があることを忘れてはいけない。

自分の立場を考える

なぜそんなこともできないのだろうか。

最近、いろんな場面でそういった状況に出くわすことがある。

この人はこれくらいはやってくれるだろうと思っていたことを大きく下回るということがある一方で、思ってもいなかったところでしっかりやっている人もいる。

単純に私の見る目がないといわれてしまえばそれまでなのだが、やはり仕事というのは一緒にやってみないとわからない。

それ以上に、自分の立場をもっと俯瞰で捉えて発言していかないといけないと注意するようにしている。

というのも、私はCEOという立場であるので発言力が強いということだ。

というか、現在地では私の意見は確実に通るという立場である。

ということは、逆もまた然りということで、間違った方向にもいくらでも導けるということである。

もちろん、その人にはできると思って仕事を振るし、期待値も込めているわけだが、そこに対して全く違った成果が出たとしたときの私の言動は重要だ。

その言動によっては、結果的にその人を潰すということにもなるし、逆にモチベーションを上げることにも繋がる。

そんな経験はないが、まさに窮鼠猫を噛むの訓言のとおり、窮地に追い込まれた人から思ってもいない反撃を受ける可能性もある。

まとめ

意思の疎通というのは、本当に難しいと改めて思う。

こっちが伝えたいことが伝わっているだろうと思っていても、実は全然伝わっていなかったということなんでいくらでもある。

ここに関しては、随分昔になるが、とある人がいっていた言葉が妙に腑に落ちて、それを私自身にも取り入れている。

それは、10割返ってくることを期待するから、裏切られた気分にもなるし、苛立つ気持ちも生まれるということだ。

つまり、そもそも7割程度返ってくれば十分だという気持ちを最初から持っていれば、そんな気分や気持ちになることもない。

逆に8割、9割り程度で返ってきたときにプラスにすら感じることができるので、円滑に物事が進んでいくということだ。

この思考は本当に理にかなっていると思っていて、私の場合には7割ではなく、6割程度で返ってくれば十分だと思うようにしている。

なにをもって6割とするのかの基準は人によって様々ではあるが、この思考があるだけで、入口は非常に入りやすくなる。

そして、出口のところをいかに10割に近づけるか、それを必死にやらなければいけないのもまた、CEOの仕事である。


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株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。