縄文時代に遡る理容と美容の歴史
いつの時代にも美容は強い。
時代によって美しいとされる対象が多少異なることはあるが、美しいということがステータスになっていることは間違いない。
というのも、美に関する歴史は古く、その象徴といっても過言ではない髪型に関する歴史は縄文時代に遡るという。
理容と美容の歴史
美容とか理容といっても、その概念に通ずるものは、たくさんあるのが現状だろう。
その中でも古くから美の対象として変化をさせてきたのが、髪型である。
縄文時代の土偶に注目すると、様々な髪型をしていることがわかる。
また、今から7,000年程前の縄文時代早期のものと思われる木製の櫛が見つかっているという史実がある。
髪を切るという文化について世界的な歴史で見てみると5000年ほど遡り、古代エジプトでの僧侶や薬学者が行なう神聖な行ないが始まりだとされている。
つまり、ヘアカットの歴史は少なく見積もってみても5000年という時を経ているというわけだ。
また、理容業としての歴史は中世ヨーロッパ時代に入ってからで、当時の理容師は外科医も兼ねていたため、理容外科医として扱われていた。
外科医と理容師が区別されるようになったのは、17世紀のルイ14世の時代からだといわれている。
これだけで、まずは美容や理容に関する歴史がいかに古くからあるのかが理解できるだろう。
理容と美容の淵源
日本においての美容と理容の淵源は、16世紀中期の室町時代だとされている。
流行の発祥地でもあった京都において、女性のお歯黒などの化粧風俗が拡がった時代と一致する。
櫛、鋏、毛抜きを用いた、髪結床(かみゆいどこ)が町中に存在していたことが淵源とされているわけだ。
その後、天下泰平の世を迎えた江戸時代に日本髪の種類は300以上にのぼり化粧の流派も幾つも存在していた。
また女性の髪を結う、女髪結(おんなかみゆい)は風俗を乱すとして、財政難の江戸幕府から度々禁止令のお触れが出され、規制の対象にもなった。
江戸時代の身分社会の風俗から髪型で身分と職業が分かるとされていた男性の髪型は、明治維新後の近代化の流れを受けて変化が起こる。
髪を切るヘアカットが職業として誕生したのは明治時代の断髪令が出されてからのこととなる。
男性はそれまで髪を結ったスタイル、いわゆる、ちょんまげが一般的だったが、髪型を自由にできる断髪令が出されたことで外国文化の影響を受けてヘアカットが定着した。
こうして、少しずつ現代のヘアスタイルへと様変わりしていく。
文明開化の象徴とされた西洋風の散切り頭(ざんぎりあたま)の拡がりによって、西洋鋏やクリッパーと呼ばれるバリカンが国産化されるようになる。
そして、1894年(明治27年)の日清戦争後には兵隊の勇ましさが好まれ、丸刈りも流行する。
1901年(明治34年)になると、東京府で警視庁令第11号理髪営業取締規則が公布されると各道府県はこれにならい、公衆衛生の面から警察による取り締まりが制度化される。
器具の消毒や店舗の清潔保持、結核患者の従業禁止などの規則が定められ、剪髪、結髪をなす営業を店舗の有無に関わらず届出制となった。
昭和の時代に入ると、1927年(昭和2年)の改正により、美容術営業取締規則、さらに1935年(昭和10年)には、理容術営業取締規則と名称改称が行われる。
1942年(昭和17年)に、警視庁から東京府に各道府県から新設された厚生省内政部に移行されて以降、2022年現在まで厚生労働省が主管官庁となっている。
理容室と美容室の草分け
上述したとおり、明治時代の断髪令の布告によって、横浜や銀座では高級な理髪店が開業していく。
1897年(明治30年)に芝山兼太郎が、外国婦人専門サロンのパレス・トイレット・サロンを開業する。
これが、美容室の始まりだといわれている。
また、1906年(明治39年)に、東京、京橋区竹川(現在の銀座)にアメリカで美顔術を習得した遠藤ハツ(波津子)が、遠藤理容館の看板を掲げたといわれている。
他にも、アメリカからパーマネントウェーブを導入し、1923年(大正12年)の丸ビルに開業された、丸ノ内美容院なども一般庶民とはあまり縁のない存在であったと美容現代史に記されている。
当時の様子は、御髪(おぐし)あげという看板が普通だった時代に世人の注目を集めた。
その頃の結髪代が30銭〜50銭であったのに、山野美容室ではネオス・ヘナという毛染は一日かかり、立派なお膳の食事付きで15円だった。
この料金の高さも評判になったと記されている。
理容師と美容師の違い
ところで、世の中には理容室と美容室があるが、その違いの説明を求められたら返答に困るのではないだろうか。
その回答は、法律で明確に業務独占資格としての理容と美容の定義が明文化されたのは、1947年(昭和22年)12月に公布された、理容師法から端を発している。
その後、1957年(昭和32年)に美容師法が成立し、理容師は理容師法に、美容師は美容師法と別々に位置づけられた。
つまり、理容師と美容師の第一の違いは、法律的な規定と実際に提供する業務内容の側面から整理することができる。
こうして法律で分けられたわけだが、細かいところで改定がいくつもあるので、そこは割愛しよう。
ということで、2022年現在の定義で分けることにする。
まず、理容師法の定義する理容とは、頭髪の刈込、顔そり等の方法により、容姿を整えることをいう(理容師法第1条の2第1項)。
そして、美容師法の定義する美容とは、パーマネントウェーブ、結髪(けっぱつ)、化粧等の方法により、容姿を美しくすることをいう(美容師法第2条第1項)。
要するに、理容師と美容師ではできることが明確に別れているのである。
伝統的に美容師の業務とされていたのが着付だ。
結婚式や成人式では、ヘアメイクから着付までを1人で提供できることが美容師の仕事の魅力でもある。
一方で、理容師のみが提供できるのがシェービングであり(化粧の一部として軽い程度の「顔そり」は、美容師が行ってもさしつかえない)、男性には人気の高いサービスである。
他にも、理容師と美容師の業務範囲の明確な違いとして、美容師のみが提供できるのがまつ毛に対するパーマネントウェーブやエクステンションがある。
このように、明治時代から一気に加速して理容業と美容業は絶妙なバランスの元で成り立っているという背景がある。
理容室と美容室および理容師と美容師の推移
2019年(令和元年)の美容室の店舗数は、前年比3,282軒増の25万4,422軒(前年度比1.3%増)となっている。
一方で、年々減少傾向にある理容室は、1,787軒減の11万7,266軒(前年度比1.5%減)となった。
また、従業美容師数は、前年度比8,275人増の54万2,089人。
従業理容師数は、3,751人減の21万4,279人。
なお、サロン1軒当たりの従業者数は美容室が2.13人、理容室が1.83人でどちらも前年と同じというデータになっている。
まとめ
美に関する人々の興味は世界中で何千年も前からあったということが、改めて理解できたと思う。
日本では鎖国をしていた江戸時代から明治時代に入ってから、急速に細かい部分まで法律で整えられていった結果、少々ややこしくなっているが、縄文時代にはすでに美への意識があった。
会話をするというコミュニケーションも大切だが、容姿という見た目から入る重要性は縄文時代も現代も変わらないところがあったのだろう。
なによりも変わったところがすぐにわかるのが、理容や美容のジャンルだからこそ、人はそこにいろいろと答えを求め続けているのだろう。
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