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老害化に悩む40代

40才を過ぎてから、一気に老害化してきたなと感じる。

飲み会に行けば毎度同じ話で盛り上がり、
下の世代に昔話を聞かせてジェネレーションギャップを楽しむ。

自分の価値観を正しいと思い込み、
硬直化した判断力で堂々とアドバイスを送り、
彼らの柔軟な発想に蓋をしてしまう。

年々、老害化していく自分に絶望する。
自覚はあり、気をつけようとは思っている。
しかしながら、特に酒の席では抑制がきかない。

これが「老害化していく感覚」なのだろう。
あまりに醜い。私は老害になりたくない。
なんとかコントロールできないものか。

自分は絶対に違う、なんて過信してはいけない。
だから世の中からセクハラもパワハラもなくならないのだ。

世に蔓延するハラスメントは、
大勢の前で部下を怒鳴りつけたり、
ボディタッチを「愛情」だと本気で信じている、
自己中心的な化物たちにより行われている。

真のコミュニケーションは、
自分の価値観に従うのではなく、
相手の価値観を理解しようとすることだと思う。

自分の価値観が誰かを苦しめているかもしれないと疑うこと。
それは一つのマナーではないか。
私は正しい。何も問題ない。
その自信が誰かを不快にしていないだろうか。

自分自身に対するその問いかけは、
相手が変わるたびに、相手の目線に立って、
常に問い続けなければいけない。

話が逸れた。
つまりなんだ、若者の前で昔話は控えたいなっつー話。

年寄りは自分の話ばかりしたがる。
つまり「話す」より「聴く」を意識すればいいのだろう。
聴き上手なジジイってモテそうだよな。
竹下登がそうだったらしい。

寄り合いの楽しさが分かる年になった。
周りに同世代しかいなければ、気を遣うことなく素直に楽しめる。

しかしそこにあるのは、
あれもこれも思い出せない、身体のそこかしこが調子悪いと、
見るも無残なジジイの傷の舐め合いである。
まあ、それが楽しいのだけど。

自分に自信を持つのは素晴らしいことだ。
その一方で自分の価値観を疑うこともまた、
柔軟性を保つためには大切だと思う。

というこの価値観すら疑って、変化の余地を大きく持っておきたい。
若者に助言と昔話はしない。聴き役に徹する。酒はほどほどに。

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