今の日本社会の自然体で写した映画「ナミビアの砂漠」
映画とはどこまでいってもフィクションであり、できれば嫌な部分つまらない部分を隠し、綺麗やったり面白い部分だけで作ることができることを目指す人もいる思う。
ただ、山中瑶子監督は自分自身で感じていることを隠さずにただぶつけた、そんな作品だった気がする。
だってこの映画、登場人物どこか全員わがままで、どこか全員いやなやつだったから。
友人が死んだのに悲しみよりもどこか愚痴のように話す友人、周りに人がいてもデリカシーないことを大声でしゃべるやつ、店に誘い込んだくせに自撮りばっかしてすぐに席を離れるホスト、彼女のすべてを分かったつもりで世話してくる男、自信家でコミュニケーションをとりたがらない男、勝手にお金がないから料金払えないと言ってくる医者。
そして、なにより一番いやな奴が主人公のカナ。嘘つきで気まぐれ、なにかとイライラして相手のせいして、自滅型でもある女。
どこか全員わがままで、どこか全員いやなやつばかりが出てくる映画。
でもこれが今の日本を隠さず社会を描いていた気がする。
とにかく、あーこういうやついるよなって連鎖が凄い。
でも不思議なことに一部の人物を除き、ほとんど怒らない。
それが今の社会であたりまえになりつつあるからなのかもしれない。
河合優実の俳優としての存在感の凄さにはあらためて感じる作品やったけど、個人的にはそれよりもいわゆる脇役が最高だった。
新谷ゆづみ、中島歩、倉田萌衣がサイコーの嫌な奴らだった。
オリジナル脚本ってことやし、山中瑶子監督めちゃ素直な人なんかなって勝手に感じた。
パンフのインタビューに一時「映画を作るって全然素敵なことじゃない」って感じた話も印象深い。
さらにこの映画の絶妙で嫌な部分はストーリーを深く描かない部分。
彼氏との出会いは?どうやって別れた?次の男とはどこで出会った?喧嘩はどうやって仲直りした?
そんな具体的な話は出てこないし、シーンごとにこの後どうなるの?って部分になると次のシーンに展開されて曖昧に終わることによって、
絶妙で嫌な人間性ばかりにフォーカスがされてしまう。
それこそがこの映画の魅力であると感じた。
うすうすわかっているけど、人間ってこうだよねって雰囲気を表現する。
ただ、それらを明確な問題ととらえることもせず、それて明確な回答を提示するわけでもなく、見ている人に投げかけているわけでもない。
自然体なのかもしれない。