小走りがダサい男、歩き方を変えた -1-

小学5年生のときはリレー選手の補欠に選ばれるぐらい足が速かった記憶がある。

高校にときは部活動の中でビリ争いをするぐらい走るのが遅くなっていた。

ただし持久走は足の遅さが関係ないので、むしろ得意な種目になった。
そのおかげで全ての自信を無くすことを避けることはできた。

大人になると走る機会は全く無くなった。

最近走った記憶は出勤のために乗るバスが遠くから見えてきてバス停に間に合わないと思ったときだ。

だから走ったのだ

いつもは気にしていなかった

ひどかった

惨めであった。

バスには余裕で間に合ったのだが、誰も見ていないと分かっていながら、自分の小走りの酷さに途端に気づいてしまったのだ。

ドスン、ドスン、と地面を揺らす自分の足にただただ驚いた。

記憶の中の自分は美化されているもののそこまで悪くないと思っている。

現実の自分は

ひどく小走りのダサい男であった。

父譲りの低身長短足に恨みを感じたことは無い。
遺伝子って凄いな。二重螺旋構造のあのイメージ映像ってかっこいいよな、ぼんやりと想いを馳せながら覆せない事実に対して拒否することなく受け入れていた。

身長を伸ばす努力も研究もしたことがないのだ。
今の自分は過去の積み重ねでしかない。
誰も恨まない。お門違いだから。

だけど

なぜか今回の小走りだけは許せなかった

心のどの感情に触れたのかわからないが凄くもやもやしてしまった。

流行りのストレートネックを医師から指摘された。

首が全く回らなくなってしまい仕事を二日休んだつい最近のことだ。

姿勢についてはかなり調べていた時期があるからいつかこんな風になるとは覚悟していた。

肩や首の慢性的疲労が続いていたからだ。

それから背筋を伸ばす方法や無理のかからない姿勢づくりを試していった。

人によって姿勢は異なる。その原因を専門家たちが説明してくれているがしっくりこないというがある。

「この方法なら絶対治ります」
という方法を素直に試してみるが、なにかが違う。
最後まで視聴して気付く

「人によって原因は違うから当たり外れがあります」
という保険を聞いてそりゃそうだな
とそこまでは理解できる。

その方法で通じない違う原因がどこにある何なのかまでは教えてくれない。

いつから私は
大多数が解決できる共通問題の枠組みから外れてしまったのか

同じように生活していたのにいつからみんなと違ったのか

気になってしまった。

だから調べた。

たくさん診た。

試しては理由を探した。

同じ言葉で伝えて上手くいくときといかないときの差異はどこにあったのか。

伝える側なのか

教わる側なのか

二人の身体が同じ条件でないからか。

そして答えらしきものを見出した。

それは姿勢

細かく伝えると歩き方

もっというと足を踏むか足を引き寄せるか

さらにいうとリズム感のない原因も同じところにあった

気づいたときには調べることと検証することにハマっていた自分がいた。

足が太い人と細い人の歩き方には明らかな違いがあること

女性が男性よりもふくらはぎ周りが細くなる理由も

異常な歩き方をしてる人は太ももまでも細いこと

外人さんの足が日本人と違ってスリムな体型なこと

畳文化の歩き方とフローリング文化の歩き方も面白い

音を立てずに歩く動作に限定した場合
かかと重心のすり足にするか、つま先重心の忍び足になるか
その当たり前の積み重ねは馬鹿にならない

環境的背景、文化的背景で物事を考えるのも理由を結びつけるときには楽しい。

興味は尽きない。

あくまで予想であり、自分で検証しているだけ。

データを取って科学的根拠だと証明する能力はない。

できるなら得意な人にデータを取って証明してもらいたいが他力本願に他ならないので諦めている。

そんな

歩き方で人生が変わる

経験ができたら

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