アメリカの民主主義に関わる本の紹介と、現状について思うこと
※他所で書いたのをお試し投稿(昨年の中頃に著述)
アメリカの民主主義の現状を知りたくて、いくつか本を読んでいたので、その話をチマチマと。
読んだ本のリストと内容の簡単な紹介
日本人著者
・記者、ラストベルトに住む トランプ王国、冷めぬ熱狂(トランプ王国1)
・トランプ王国2
・トランプのアメリカ
アメリカ人著者
・ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち
・FEAR 恐怖の男
・RAGE 怒り
トランプ王国1, 2
この本は、朝日新聞海外記者の方(金成隆一氏)がトランプ支持者の多いラストベルトに住んで、実際に現地の人の話やその背景を探ろうというもので、トランプの大統領当選前後(トランプ王国1)と、当選後しばらくしてからの取材(トランプ王国2)がその話の内容。
ラストベルトというのは、アメリカ北東部の五大湖周辺のエリアのことで、以前は鉄鋼が盛んだったのが、安い海外産鉄鋼製品に押されて"錆びついてしまった"(Rust = ラスト = 錆びる)ために、そう呼ばれるようになった。
このエリアは元々民主党支持者が多かったのだが、トランプが当選した際にはその支持者達がトランプ支持に回ったために、このエリアでトランプは勝利し、最終的には大統領に当選することに繋がったとされている。
ヒルビリー・エレジー
この本は、ラストベルト出身の弁護士が自身の生い立ちを描いたものである。
ラストベルトの窮状が生々しく描かれていて、親の離婚や母親のドラッグ漬けといった荒んだ家族模様、貧しさのあまりに人々が離散してコミュニティが蝕まれていく様子、生活保護だけで暮らす隣人が当たり前にいる環境が描かれている。
その中で育った筆者だが、紆余曲折を経て軍に入ることで一旦窮状から脱し、また除隊後は大学に通えたこともあって弁護士になることができた、というのが大まかなあらましだが、この話はサクセスストーリーを楽しむものではなくて、育ったラストベルトの環境を筆者の体験を通して追体験するものだ。
FEAR 恐怖の男, RAGE 怒り
この本は、ワシントン・ポストのボブ・ウッドワード記者が書いた、トランプの大統領選への挑戦と当選後しばらくの政権内模様(FEAR 恐怖の男)と、その後の(大体政権後期?)政権運営、特に北朝鮮外交とコロナウイルス対応について描かれている(RAGE 怒り)。
※ちなみに、ボブ・ウッドワードはウォーターゲート事件にニクソン大統領が関わっていることを突き止めた伝説的記者のうちの一人
これらの本では、トランプという人間を鮮やかに描いていて、普段のメディア越しで感じる印象とは良くも悪くも違った印象を私はトランプに抱いた。
また、トランプと側近達とのやり取りからトランプ自身を描き出しているが、そういったやり取りの中からアメリカの政治・経済・外交等の現状が垣間見えたという点で非常に興味深かった。
トランプ支持の背景と支持者の姿
まず、我々が何気なく"アメリカ"と言う時、概ねそれは東西岸の華やかな州(カルフォルニア州やニューヨーク州)を指すのだということを抑えておかなければならない、ということをこれらを読んで感じた。
トランプが当選した時、東西岸を青色に塗りつぶし内陸部を赤に塗りつぶした地図をに日本人記者に見せて、"今回はこの赤色のアメリカが勝利したのだ"とトランプ支持者が述べた話があったが(トランプ王国1)、一般的に我々がアメリカに抱く華やかなアメリカのイメージ(東西岸)と、実際のそれ(内陸部)との乖離を表しているように思う。
※青色は民主党を表し、赤色は共和党を表す
要するに、我々がアメリカをイメージする時、それはアメリカの一部を見ているに過ぎないということで、それがたまたま先の選挙でトランプの大統領当選という形で、普段我々には見えてない部分が表に出てきたということだ。
そして、先のトランプ支持者が言うような色分けは、富んでいるところとそうでないところの色分けでもあって、そういった格差に基づいた不満が既製政党への不満となり、既成の政治システムとは異なる出自を持ったトランプ支持へと繋がったのだろう。
では、トランプ支持者とはどういった人たちなのだろう?
日々のニュースに触れるだけだと、陰謀論を信じる人種差別主義者ばかりなのかと思うが、実際はそうでもない。
"トランプ王国"では部外者である日本人にも人懐っこく接し、時には親切に接する姿が描かれていた。
※もちろん前述のような人たちもいる
ではそういった"普通の人達"がなぜトランプを支持したのか?
簡単に言うと、経済的窮状が原因として大きい。安い海外製品や安い海外の人件費によって以前のようには稼げなくなっており、それによって日々の生活に苦しむようになり、また長年住んでいた場所を離れる人が出たりすることによって、コミュニティが壊れてしまっているのが現状だ。
そういった状況だから、若者達には仕事がないかあっても安月給で未来に希望が抱けない。そういった中で国外から入ってくるドラッグに手を出して身持ちを崩して死んでしまう若い人たちが大勢いる。
"トランプ王国"ではそのあたりの描写が生々しく描かれており、記者の隣人はドラッグ漬けのカップルだし、取材した人の家族がドラッグで命を落としていたり、ドラッグに注意を促す看板が当たり前のように立っているそうだ。
つまり、経済的窮状の発端やその後の若者のドラッグの問題に海外(具体的にはメキシコ)が関わっているのであれば、反移民政策を唱えて国内産業の再生を唱えるトランプに支持が集まるのは自然な流れであると感じる。
※但し、今のアメリカは製造業ではなくサービス業で成り立っているので、単純に仕事が戻ってくるような状況にはないそうだ(FEAR 恐怖の男)
また、彼らは金を給付して欲しいといっているのではなく、仕事を与えてくれといっているので、この点も小さな政府志向の共和党やそれに乗っかるトランプの主張に馴染むのだろう。
※民主党の政策はどちらかといえば給付
ラストベルトには元来民主党員や民主党支持者である労働者が大勢いたし、彼らは長年民主党に投票し続けてもいたが、いつまで経っても状況が改善しなかった。
トランプがヒラリーと大統領を競った選挙の時点で、ラストベルトの多くの民主党支持者の心は民主党から離れてしまっていて、現地の民主党幹部は危機感を持っていた。
そこで、ヒラリーに(というか党に)来るよう頼んだが実現しなかった。しかし、逆にトランプはやってきた。
ヒラリーが大統領選後に"(女性には)ガラスの天井がある"と述べたが、少なくともラストベルト地域での敗北の主たる要因はそうではないのではないかと思う。
長年に渡って積もり積もった不満と、党や政治家に対する不信や反発が、この地域での敗北要因なのではないか。
仮にそうなら、ヒラリーと当該地域の人たちの認識には相当なギャップがあることになるだろう。
そもそも、この選挙戦において、事前の世論調査ではヒラリーが優位なはずであった。
しかし、蓋を開けてみればトランプが勝ってしまっていた。このギャップの原因は何か?
原因の一つにトランプ支持者が既存のメディアや政治組織を信じていない等の理由によって、世論調査に答えたがらなかったというのがある。
また、そういった都市部のメディアは地方の世情に疎いために、大きなうねりが起きつつあることに気がつけなかったのかもしれない。
※このようなギャップを感じたため、朝日新聞海外記者の方は現地ラストベルトに週末住んでみることにしたという(トランプ王国1)
興味深いことに、トランプ支持者の中にはサンダース上院議員(ヒラリーと民主党の大統領候補指名争いを戦った)を支持している人たちが一定数いる。
仮にヒラリーではなくサンダースが大統領候補であればそちらに入れただろうと述べる人までいた。
サンダース上院議員はトランプとは真逆の政治家(大きい政府志向)ではあるが、共通点は既成政党の政治家とは見做されていない点にある。
その意味で、いかに(民主党だけでなく共和党も含めた)既成の政治家・政党・政治システムが忌避されているのかがわかる。
簡単にまとめるなら、ラストベルトにおける民主党の敗北要因は、元々の支持者が民主党を見放したことであり、その原因は長年にわたる約束の反故とそれに対する不信である。
そして、そのような決定的な決裂にまで至ったのは、ヒラリーが求められても来なかったことに表れているように、党(都市)と地方に埋めがたい認識のギャップがあったからだといえる。
トランプという人について
ボブ・ウッドワードの本を読んだ自分の率直な感想は、こんな感じだ。
トランプの最大の問題点は、人種差別主義者であるとか、アメリカ第一主義であるとか、攻撃的であることではなく、気分屋であることだ。
終始一貫性がなく、すぐに前言を翻す。会う人や状況に応じて言葉や行動をコロコロ変えて、以前のそれとの整合性など気にもとめない。
思ったことをすぐにツイートし、その内容を事前に誰かと擦り合わせようなどとは思わない。
受け取り手が自分の言ったことをどう受け取るかなど想像しようともせず、自分の思った通りに相手も感じると平気で決めつける。
しかし、相手が言ってほしいことを瞬時に言う能力がある。
大統領選の際、(確かラストベルトで)集まった人たちに対し、"(仕事を持ってくるから)家を売るな"と言ったそうだ。
我々にはピンとこないが、"家を売るな"というのは資産を手放すなという意味合いだけではなく、コミュニティから離れなくて良いという意味合いだ。
持ち家があるということはそこに根を下ろすということで、そうなれば他の地域住民とも普段接するようになる。つまり、家はコミュニティの基盤なのだ。
貧しくなりつつある地域にあって、資産である家を失うのは当然痛いが、それまで培ってきたコミュニティから離れなくてはならないことも意味している。
それは不安なことであるし、都市部の人たちよりも地方の人たちはコミュニティを大事にしているから、より痛みが大きい。
そういった心境の中、集まった人々はトランプの言葉には勇気づけられ、支持しようと言う気持ちになったようである。
つまり、トランプという人間は"要領がいい"のだ。
瞬時に状況に合わせた言葉を発することができるから、相手に期待を持たせることができるし、そのためしばらくはうまく付き合えたりもする。
しかし、その時の言葉は深く考えているわけではないので、その言葉や行動は前後のつながりに欠け、大抵は期待を持たせた相手との関係は破綻する。
その意味で、気分屋だと言えよう。
ただ、意外な一面をこれらの本で見ることもできた。
大統領在任中に、自身の作戦で死者が出た際には人並みに動揺をしたと書かれていて、そういう意味合いでは意外な一面を見た。
また、表立った態度とは逆に、コロナウイルスについての理解があったとも書かれていた。(RAGE 怒り)
興味深いことに、ボブ・ウッドワードが本を書くためにトランプを何度もインタビューしていたが、トランプがそれが自分にとって肯定的なものになるとは思っていなかった(実際そうなったが)にもかかわらず、取材を受けたばかりか、あえて自分から電話をかけて長々と話したりもしていた。
もし一般人として近くにいるなら、めんどくさいがたまにあえば面白いと思うような人かもしれない。
しかし、間違いなく国家の重職につけてはいけない種類の人間である。
アメリカの民主主義の現状について
昨今何かと対立があれば"分断だ"と言われるものの、これらの本を読んでそう単純ではないと感じた。
トランプ支持者に回った人も、必ずしもトランプ的な政治に賛成なわけではない人もいれば、既存の政治家への不信感から致し方なくトランプに票を入れた人もいた。
共和党の保守強硬派でトランプに近いリンゼー・グラム上院議員は、トランプの使命した判事について、"よほどの変人は承認しなかった。そこまで質を落としたくない"と述べていた。
保守強硬派であっても一線を引いて、何がなんでも自分たちの利益を追求しているというわけではない人もいた。
また、トランプ政権内にいた人の中にも、トランプの政策をなんとか是正しようと働きかけた人たちが多くいたが、残念ながら政権を後にした。
要するに、どちらかの陣営を支持したり属しているからといって、必ずしも一枚岩ではないのである。
そこにはそれぞれの思惑があり、そういったそれぞれの心情が重なり合って出た結果を、"分断"という言葉で簡単にまとめては現状認識を誤ってしまうし、逆にそうやって一括りにすることで対立を煽る結果になるだろう。
確かに深刻な対立が深まっているように見えるし、格差は以前よりも広がっている。
こういったことが"分断"と言われるような現象、民主党・共和党の党派対立、リベラル・保守の対立に繋がっている様に見えるが、それではその原因はどこにあるのか?
これに関連して、先述のグラム議員が興味深いことを言っていた。(RAGE 怒り)
上院の判事指名についての話なのだが、まず前提として以下のような事柄がある。
・上院において議事妨害を行えば、議員一人でも判事指名を阻止できる
・議事妨害を打ちきらせるためには60票以上で可決する必要がある(そのため、事実上判事指名の際には上院議員60人の指示が必要となる)
・しかし、2013年のオバマ政権化で、上院民主党院内総務が議事妨害制限動議を可決し、50票で議事妨害を打ち切らせることができるようにした
※アメリカの上院の定数は100議席なので、51議席を取れば判事指名が単独党で可能になる
その上で、以下のように述べる。
「あれが終わりの始まりだった。議会規則変更で、妥協する努力が不必要になった。」
「上院が下院のようになる。イデオロギー色が強まり、党派主義が強まり、長期の展望を持つことができず、短期の目的に集中する。」
※日本ではよくアメリカの上院が参議院と同じであるように説明されるが、優越権は逆で上院にある。
これはアメリカが合衆国(州が集まってできた連邦国家)であることと、上院が州ごとの代表として選ばれていることとに関係していていて、人口に基づいて選出される下院とは異なっている。
平たく言えば、前者の方が後者より重んじられており、より長期的な視野で事にあたることが求められる。
これらが何を意味しているかというと、"説得する努力"がなされなくなってきている(不要になっている)ということだ。
これは現在のアメリカ民主主義のみならず、日本の民主主義の現状を理解する一つのヒントになると思う。
説得する必要がなければ、相手に気を使う必要がなくなるわけだから、過度に攻撃したり対立を煽ったりという方向に行くのは避けられない。
説得する必要があるのなら、複雑な問題を噛み砕いて説明し、時には相手に譲歩することを味方に求めたりという"ややこしいこと"をしなければならないが、それが必要ないのであれば、そんな面倒なことをしなくて済む。
相手が悪いんだと罵ってレッテルを貼り、味方が相手の話を聞かないように仕向け、対立を煽れば良いのである。
相手は分かり合える人間ではなく、相手の言うことは全て受け入れられない異質なものであるとすれば、味方は相手に近寄らなくなるし、そうであれば複雑な政策を噛み砕いてわかりやすく説明する必要も、味方に譲歩のために不利益を受け入れるよう説得する必要もなくなる。
実に簡単だ。
しかし、これによって政策や問題が単純化されてしまい、社会における複雑な背景を覆い隠してしまう。
また、違う立場の人たちを敵として一括りにすることによって、話し合う余地なくし、また一括りにされた人たちの反感を買って対立は深まるだろう。
関心の移ろいやすい一般大衆の関心を引くには効果的な方法であるが、そのデメリットは非常に大きいと私は考える。
民主主義において、少数政党・陣営であっても議会に席を持てるのは少数の意見を反映する余地を残すためであるが、現状はその逆の方向に行っている様に思える。
民主主義の父達が、少数の専制を恐れるのと同時に多数の専制を恐れたことを考えれば、説得は民主主義を運用するために必要不可欠である。にもかかわらず、軽んじられているこの現状に私は危機感を覚える。
加えて、政治や社会の効率化によって、社会の結びつきやそれによって得られる副次的効果(社会関係資本)が損なわれているのも原因だと私は考えている。
先の本とは直接関係のないのだが、アメリカの社会学者ロバート・パットナムが"孤独のボーリング"や"われらの子供"という本で、アメリカの社会関係資本が損なわれていて、それが現代アメリカの政治参加の減少や格差に繋がっているという指摘をしている。
この社会関係資本を簡単に説明すると、隣人や知り合いとの交流が生み出す副次的効果で、それは治安の向上や政治参加の促進、起業等の経済活動に良い影響を与えたりするものである。
日本人からすれば、アメリカ人はいわゆるバイタリティあふれる人達で、行動力に溢れ他人にすぐに声をかけて集まり行動を起こすようなイメージがあると思う。
この行動力が(雑に言えば)社会関係資本によって生み出されるものなのであるが、実は先の研究によれば社会関係資本は60年代を境に減少の一途を辿っている。
※ちなみに、この他人との繋がりの減少を憂いて"孤独なボーリング"(原題:Bowling alone)という題の本になったのである
※この社会関係資本の減少について、パットナムはテレビ等の一人でも楽しめる娯楽の普及の影響や女性の社会進出、古典的な対面による会員募集の方法から郵便を一方的に送りつける効率化など、様々な事柄を議論している。この中でテレビの影響は非常に大きい様であるが、どれか一つが決定的な要因ではないとしていて、一番大きな要因は社会関係資本が豊かな世代がそうでない世代と交代していることが原因であると指摘している。
加えて、格差については人種間よりも、人種内で広がっていることを指摘している。
普段のニュースを見ている限り、人種間の格差が主たる"格差"であると日本人である我々は思いがちだが、人種間格差は縮小しつつあり、それよりもむしろ人種内の格差が、各人種内において同じように広がっていることに警鐘を鳴らしている。
※ここでの格差は教育格差であり、資本の差ではない。
資本の大小は幸福感や健康とは必ずしもイコールではないのと、資本が少なくても教育がなされていればそこから脱する可能性があるためである。
また、この場合の格差の広がりは"親世代より子世代の方がより高等教育を受けられる"ことを意味している。
この原因について、パットナムは貧困層と富裕層が別々の場所に住む様になったことや、お互いが交流しない生活環境になったことを指摘している。
パットナムによると、60年代の黒人差別全盛の時代にあっても白人と黒人は同じ場所に住んでいることが多く、そういった状況で裕福な白人が貧しい黒人に適切な助言を与えて教育を受けれるようにした事例を彼は紹介している。
ここで重要なのは、適切な助言を年長者から(または高等教育を受けた者から)受けることができたということである。
パットナムはこのことを"実際知"という言葉で説明している。
前述の例で言えば、受け皿としての制度はあるが、そもそもそれを知らないか、知っていても手続きの方法がわからない等でたどり着けない人に、適切な助言を与えるような存在が必要だと言うことであり、それこそが"実際知"なのである。
逆説的だが、この実際知を得るためには他人との触れ合いが必要なのであるが、それこそ社会関係資本のなせる技なのである。
しかし、それは減少の傾向にあって、そのためにこの実際知を得る機会も同様に減少している。
さて、すでに述べたが、この原因は貧困層と富裕層が別々の場所に住んだり、交流し合わないことが原因である。
これは広い意味での効率化の一つであると私は考える。つまり、治安の面で言えば富裕層で固まって住んだ方が治安は良いだろうし、単純に生活環境という意味合いでも同様であるだろう。
パットナムが指摘しているが、学校のクラブ活動が以前は無償だったのに有償化されてしまったことにより、貧しい子供が年長者のアドバイス受ける機会を失っているのだが、必要な人だけがクラブ活動に参加するという効率化の観点からいえば有償化は当然の成り行きである。
パットナムはこれ以上踏み込んでいないが、この効率化が社会関係資本を蝕む最大要因であると私は考える。
社会関係資本は人との交流によって生み出される副次的効果のことであるが、効率化はこの副次効果を消滅させるものである。
副次的効果の面も加味して効率化が考えられれば良いのだろうが、通常そんな面倒なことはしない。
また、アメリカのように"問題は起きてから解決すれば良い"といったようなメンタリティの場合、前のめりな効率化が押し進められることは想像に難くないし、そうなれば前述のような副次的効果など顧みられないだろう。
※蛇足だが、このようなメンタリティはインターネット関連技術者のメンタリティでもあるのだが、歴史的由来を考えると、インターネットにまつわるものというよりアメリカ的なメンタリティにすぎないのかもしれない
アメリカの先進性や繁栄を支えてきた効率化、特にIT産業による通信・娯楽の効率化といったものが、仮に社会関係資本減少させて政治参加の機会減少や格差の拡大につながっているのだとしたら、そしてそれが現代アメリカの不穏な社会情勢に繋がっているのだとしたら、皮肉な話である。
「アメリカ人は世界に自分一人しかいないかのように私的利益に専心し、次の瞬間、すっかりこれを忘れたかのように、公共の問題に没頭する」と述べたのは、19世紀フランスの民主主義の大家トクヴィルであるが、現状前者が跋扈し後者が萎んでいるように思える。
後者が成り立つためにはトクヴィルが述べたように"公共の仕事に市民を関与させる"ことが必要となるが、格差に苦しんでいる人にそんなことができるのか?効率的な生活追求の先に果たしてそのようなことが望めるだろうか?
無理だろう。
であるなら、少なくとも効率化によって何が失われるのかを洗い出し、必要であれば別の方法でそれを復活させる方法を模索すべきである。
※もちろん最終的には"公共の仕事に市民を関与させる"ことが必要である
パットナムの提示した一つの方法は、(簡単に言えば)格差のある子らを同じ学校に通わせるという方法である。
そして、そこで様々な人たちと関わらせることで実際知を得られるようにする。その一つの鍵がクラブ活動の無償化だ。
さて、昨今では手間をかけることが忌み嫌われるようになったが、それが社会関係資本の減少という問題を引き起こしていると私は考えている。
政治においては、手っ取り早く支持を得るために理解や説得ではなく反発を喚起し、対立を煽っている。その挙句に"分断"と騒いでる様は率直に言って滑稽に思える。
トランプは持ち前の要領の良さでそこに乗っかっただけにすぎない。その意味で悪の元凶ではなく、そこに至るまでのレールをアメリカ自身が引いたのであり、トランプはたまさかそこに当てはまったピースにすぎない。
バイデン大統領がトランプを破ったことで、多少落ち着いた感があるように思えるかもしれないが、ここまで紹介したように様々な思惑が元となりトランプ現象が起こったのであるから、そう簡単にこの騒動は収まりはしない。
共和党の頑なさや、トランプのような人間に乗っかろうとする拙僧のなさも問題であるが、民主党のように地域性や歴史的経緯を顧みずに上からの物言いで物事を決めようとする姿勢も同様に問題である。
いずれの立場においても、今一度互いを説得し合い、話し合う余地を持てるような環境の醸成や制度構築を成さなければならない。
それは効率化では決してなし得ないことを理解すべきだろう。
日本の民主主義の現状について
さて翻って日本であるが、何かといえば欧米(というかアメリカ)の真似をしたがる。
いいところはもちろん真似をすれば良いが、ここまで取り上げたような効率化は日本人の目には羨ましく映るらしく、いかに真似をすべきかが常々話題になる。
確かに社会には無駄があるし、状況が変われば必要がなくなるものもあることは確かで、その時には効率化によって無駄を省くことも必要である。
社会がかけられるコストには限りがあり、そのためにも社会システムが効率化を目指すのは基本的には正しい。
しかし、前述のように効率化によって省かれたものに重要な副次効果がある場合、それは効率化によって社会にとって重要な何かが失われることを意味している。
アメリカの上院における判事指名の話をすでに述べたが、自党の主張を通しやすくするという意味では効率化がはかられたが、そのためにイデオロギー色が強くなり、対立を煽る危険性が高まるの危険があるのではないか?
政治に無関心な人たちに関心を持ってもらうために、政治を"わかりやすく"した結果、対立を煽り互いの話を聞こうともしない、説得無用な風潮(アメリカにおける"分断")を生み出したのではないか?
政治は政治家に、経済は会社員といったようなある種の日本的分業は、選挙時以外は各々が自身の仕事に専念できるという意味合いでの効率化ではあるが、それは政治的無関心や政治に対する知識の欠如につながっているのではないか?
自民党の55年体制は政府提出の法案を党内で事前に審査する制度を作り出したが、結果として、法案成立の過程や利益関係の透明性を低下させることにより、立法府としての国会の役割を貶めてはいないか?
工場での大量生産による価格の押し下げや流通の促進は紛れもなく恩恵をもたらす効率化ではあるが、同時に消費しきれないほどの過剰生産と使用後の処分先に困るといった状況を生み出しているのではないか?
※効率化の結果の無駄の生産といってもいいかもしれない
探せばまだまだあるだろう。
身近な話題で言えば、最近気になったのは、PTAの廃止やクラブ活動の外部化である。
明らかに無駄なベルマークの収集?などはやめてしまえば良いと思うが、親が学校に任せきりではなく何かしらの形で関わることが、子供の成長に良い影響があることは前述のパットナムが格差を調査した結果として述べている。仮にこの廃止が親の学校への関与をなくす方向に向かうなら、あまり良い結果を生まないだろう。
また、クラブ活動の外部化がもし完全な有料化という道を辿るのであれば、裕福でない子らが実際知を得る機会を奪うことになる。
欧米(というかアメリカ)の先行事例がもてはやされるが、今現在の対策としてのみ見るのではなく、それが結果として将来何を生むのかも見ることが重要だ。
つまり、外側からだけ見て飛びつくのではなく内側をしっかり検討することが必要だし、またそれが自分の国にそっくりそのまま当てはまるのかどうかは考えなければならない。
海外産のモノをただ輸入すれば済む話ではないのである。
昨今ではあらゆる分野で耳当たりのいい言葉が氾濫し、また技術的にもフィルタリングやパーソナライゼーションである程度そういった世界に浸かることができてしまう。
こちらが求めたことを提供し、先回りして耳の痛いことは言わず目に入らないよう避けてくれる。その様はまさに"迎合"である。
迎合されることは心地よいかもしれないが、心地よいことが正しかったり適切であるとは限らない。また、訴えかける側も相手に心地よく聞こえることだけをいっていれば良いわけではない。
聞こえの良い解決策を海外から輸入するだけで全てがうまく行くように思わせることや、実は問題ないんだ、何もしなくていいんだと言って、現実から目を逸らしコストをかける必要はないと説く甘い言葉は、聞き手にとって耳あたりの良い飛びつきたくなるものであるが、当然現状と異なれば後で不利益を被ることになる。
効率化の行き着く先が迎合であるならそれは非常に危険なことであるが、残念な事に今日本ではそれが喜んで受け入れられているように私には思われる。
長々と書いてきたが、アメリカの現状やそれに至るまでの過程、そして日本の現状から言えることは、今は効率化によって空いた穴に蓋をする時である。
そもそも、我々は何かをするたびにどこかしらに穴を開けてしまうので、その都度穴を塞がなければならない。つまり、延々とパッチワーク(つぎはぎ作業)をしなければならないのである。
※我々は身の回りの現象が何を生み出しているのか完全に把握しているわけではないのだから、当然のことである
最後に、アメリカの事例を取り上げてきたが、私が思うにアメリカは日本と比べてマシだと思う。
確かに、"分断"と呼ばれるような激しい意見対立は日本にはみられないが、"分断"が生じるのは、アメリカ人がなんだかんだいって自己主張するからこそである。
短期的には違いが鮮明になって対立を産むが、長期的には課題を目に見えるわけだからそれを解消する試みも進むだろう。
だが、日本のように政治的な話もしなければ主張もせず、投票にもいかないとなると、短期的には対立は起きないが、長期的には課題が見えないから解消することも難しい。
アメリカを見て"何馬鹿やってるんだ"と溜飲を下げている場合ではなく、むしろ先行事例として危機感を持った方が良いと私は思う。
無知蒙昧にアメリカのお尻を追っかけていると、その結果はアメリカよりも酷いことになるだろう。
ほんとヤバイでうちの国😰