『掌』
Q. GW何してた?
採用ワード:Google Map散歩
Q. あなたの口癖は?
採用ワード:知らんけど
流れていく景色をぼんやり見ていた。
急な雨が降ってきても、
窓は開けたまま雨の侵入を許した。
それを許さない運転手が窓を閉め、
こちらに何かぼやいてきたので
イヤホンを耳に押し込み遮断した。
「え~、人にはそれぞれ辞めようと思ってもついついやってしまう所謂癖ってのがありましてぇ。
ちっちゃい頃からの癖をいつまでも引きずって、
それが大人になっても抜け出せないなんてことがあるもんで・・・」
窓に付着した無数の水滴がゆっくり上から下に落ちてきて、
小さな水滴が他のとくっついては大きくなり、
やがて消える。
それが幾度も繰り返され、
貧弱な水滴が少しでも長く生き延びてくれよと見守るけど、
結合しながら大きくなっていくその塊は
自らの重力に抗えず無惨に滑り落ちていく。
「癖は癖でも口癖ってのが一番やっかいでしてね。
知らんけど!ってなんでもかんでも語尾につける奴が一人おりまして。あいつは本当にいい奴なんだよ!
知らんけど。これ食べてみな美味いぞぉ。知らんけど。知ってるのか知ら無いのかはっきりしないんですな」
流暢な語り口が遠くから聞こえてくるような感覚になっていき、
車体が上下に揺れる度に、
窓にもたれた私の側頭部にうっすら痛みが走る。
暫くして、
「おい!おい!起きとくれ!起きとくれって!」
微睡む(まどろむ)私を起こそうとする声の主が、
噺家から気がつけば母に変わっていき、
不本意に目を覚ました私は、
意識がまだ不安定なまま車から降ろされた。
地に足がつく感覚も朧げな私を置いて、
母は急ぎ足で黒い衣で身を包んだ集団へと近づき、
まるで犯罪者の家族みたいに申し訳なさそうに何度も頭を下げている。
そのいつもより過剰な社交のワケは、
母の性格に加え、
別れた旦那の親族達だからというのが相俟ってだろう。
私はというと、
顔なじみのない親族達に囲まれ
年相応の挨拶をすれば「おっきくなったねー」
の応酬で、
この老人たちが無意識に求めてくる子どもっぽさを演じないといけないという強迫観念に迫られ、
母とは別の理由で早くも居づらさを感じざるを得なかった。
葬儀はこのご時世もあって家族葬になった上、
元々親族の少ない家系であることもあってより小規模なものとなった。
愛想を振りまく対象が少ないことは不幸中の幸いだ。
親族という言葉とは裏腹に、
殆どが初めて生存を知る人物ばかりで、
見覚えのある人物がいたとしてもその再会はオリンピック級で、
この人たちと私との関係に親しみという字が入る程のものじゃない。
そんなことを思いながらニコっと挨拶して、
子ども特有の可愛らしさをみせつけた。
そんな親族の中にとびっきり場違いの笑顔を見せつけるのは、
一番頻繁に会ってるはずの父だ。
いや、正確には元父だ。
まるで久方振りに会うみたいに誇張した父の態度に対してだけは、
露骨に不機嫌になった。
それはそうと、
まさに葬式日和だと感じでしまうほど、
この雨は鬱屈した気分を三割り増しにさせる。
きっと口に出したら叱られるであろう不謹慎な思いを巡らせながら、
こんな自分に成分表があれば、
きっと昨日飲んだみかんジュースの果汁くらいの”悲しみ”しか含まれてないんだろうなと思う。
ここにいる誰よりも故人とは一番遠い存在だからなんだけど、
ここまで自分を俯瞰して見てしまっている自分が我ながら可愛くない奴だと思う。
今日の主役の祖母との記憶は曖昧で、
微かに思い出されるのは、祖母の家に行った時に何度か手を繋いで家の前の道を散歩したことくらいで、
嫌だったという感情だけが体に残り、
あとの記憶は殆ど道端に置いて帰った。
小学校低学年くらいだった私は、
年に数回だけ顔を見せに行った。
今思えば、
祖母の足腰を鍛えるためというのは口実で、
母は私を使ってお義母さん孝行をしたかっただけだ。
当然、
喜んで母の目論見に便乗してあげられる程
大人じゃなかった私は、
数十メートルのランウェイを何度も断った。
自分よりはるか年上の大人に気を遣わないといけないことが、
当時の私には腑に落ちなかった。
自由に腕を振って全速疾走もしたかっただろうし、
好きな場所で立ち止まりたかっただろうし、
スキップもしたかっただろう。
勿論、私が散歩を断っても、
母は私の手首を引っ張って手錠をかけるみたいに祖母の手を握らせた。
その頃、既に手を繋ぐことに寛容ではなかった私の気持ちなんて御構い無しに。
祖母の歩幅に合わせて歩くことは、
歩行者を躱(かわ)しながら進むスクランブル交差点よりストレスだったはずだ。
それでも祖母のために、
どっちかというと母のためにだと思うけど、
我慢して良い孫を演じきった。
それが祖母との唯一の思い出になったのは、
親が離婚して、自然と疎遠になっていったからだ。
祖母との別れは、
先週の大きな手術が終わった日の夜になる。
二回目の癌の手術が無事終わり、
母と父と祖父と四人でお見舞いに行った時は、
確かに会話ができる程に祖母の体力は回復していた。
誰だって手術後は元気がないし、
これといって異変も感じられなかった。
何より医者が手術は成功したと断言したのだから、
母も父も安心していた。
その日に私と母は東京に戻り、
翌日の夜に祖母は他界した。
同じリズムで同じような言葉を羅列した坊主の声は、
不気味さと厳粛さが良い塩梅で混ぜ合わされ、
今起きていることの重大さを思わせる。
突如、親族たちが次々に動き始め、
謎の列を作り出した。
直ちに私は、
これはネグレクトだと思った。
ただ座っていれば良いという同意の元で参加したはずのイベントが、
一般客を巻き込む参加型の寸劇だったことを知らされ、
私は母を見ないまま睨んだ。
緊張と線香の煙で喘息の発作が出そうな気がして、
ポケットの吸入器を握りしめた。
何度あの煙で苦しい思いをしたことか。
仏にとって線香の煙はきっと栄養みたいなもので、
死んでから食べるカロリーメイトだと勝手に思っている。
私のような脆弱な人間からしたら、
着実にゆっくりと寿命を奪っていく悍ましい煙に他ならない。
そのくせ、その香りは風呂上がりの匂いに匹敵する。
これほどの一歩通行な好きはない。
列に並んでいると、
同じように学制服で参列する女の人に気が付き、
少しだけ気が楽になった気がした。
そして、私は見たままに、
パサパサとした茶葉のような物を多めに掴みとり、 炭の上に乗せてくべた。
目の前にいたおばさんの完コピに夢中で、
手を合わせた私の頭の中に
一ミリも祖母がいなかったことは、
仕方の無いことだった。
休憩室で昼食を取っている最中も、
母は休憩の意味を見失うほど、
親戚たちに酌を汲みに回っていた。
いかにも子どもが好きそうなおかずを私によこしてくる老人たちは、
「何もわかってない」
と選挙に行かなければと私に思わせた。
それから、再び学生服の女性の姿を見つけ、
彼女とのきっと遠いであろう繋がりの経路に思いを巡らせながら、
大量の赤身の刺身を食べた。
「ウチ、高二」
昼食が終わって先手を仕掛けてきた学生服の女性は“ひかりさん”といって、
私より二つ年上の関西弁を駆使してハキハキ喋る人だった。
知らない老人たちに囲まれ、居づらかったのは同じで
「息つまるなぁ、ここ」
とダイレクトに表現するという点では私と違った。
「全然覚えとらんのよ」
祖母との思い出は私と良い勝負だったけど、
私の知らない親戚たちのことは十分過ぎる程把握していて、
「あの親父は酒癖悪くてな、それが原因で奥さんと別れたらしいしで。あ、みゆきちゃんのとこも離婚したんだっけ?ごめん」
「私は全然平気です」
「大人やなぁ」
と話すひかりさんの言葉に嫌味はなかった。
話し相手が見つかった嬉しさの反動で、
誰にも言ってなかった趣味の落語のことから、
母に内緒で父からお小遣いをもらっていることまで、
余計な話ばかりしてしまった。
親族たちは酒も回って、
湿っぽいお通夜の雰囲気とは程遠い賑やかな宴会に様変わりした。
祖母の写真が殆ど無くて遺影に使える写真を探すのが大変だったとか、
晩年はずっと家に引きこもっていたのが良くなかったとか、
依然と祖母の話中心ではあったけど。
お通夜が終わっても、
線香の火を絶やさない役を母が買って出るものだから
私たちはそのまま一晩ここに泊まることになった。
私の不謹慎な感情が仏様に見破られているような気分になって、
怖くて帰りたくなっても母はまたも、
私を道連れにした。
翌日の葬式では、
大きな違いと言えば男連中が二日酔いで顔色が悪いということくらいで、
殆ど同じ顔ぶれで行われた。
葬儀も終盤になり、
親族達は祖母の棺を囲んで、
祖母が好きだったという百合の花を1人ずつ入れて、
各々最後の言葉を添えた。
この時からだ。
会場の空気が一転した。
坊主の発するお経も一層拍車がかかった気がした。
これまでじっと座っていた親族達は、
立ち上がった拍子になのか、
これまで身体の奥底にぐっと押さえつけていたモノが
堰(せき)を切ったように溢れ始めた。
そして、
まるで私にだけ渡されていないシナリオがあるかのように、
鼻をすすり、
ハンカチを構えて、
分かりやすく大人たちは泣き出した。
自分でも分からなかった。
私は居心地の悪さとは違う、
どうして私だけがという理不尽な疎外感に苛まれた。
祖母の棺を囲む親族たちを見渡した。
ハンカチで顔を押し当て
鼻を真っ赤にした母を見上げ、
反応するはずのない祖母の頬を何度も撫でながら
咽び泣く父を見つめた。
そして、
口を押さえ、
震えながら俯くひかりさんの姿が目に留まった。
私はいよいよ、
冷静ではいられなくなった。
ずっと斜め上の方で見ていた自分が引き下ろされるかのように、
私は私以外の何者にもなれず、
私は私でしかいられなくなった。
もう逃げも隠れもできない。
私には最初から無いんだってと遠ざけていたことが、
時間や繋がりという概念を超越し、
引いて大きくなって打ち寄せる波のように、
私の全身を巻き込んだ。
そして到底抗うことができない重力で
それは大粒の涙になって滑り落ちた。
誰のことも見られなくなり、
誰にも見られたくなくなった。
母が私に一輪の百合の花を渡すので、
仕方なく、
祖母の顔の横にそっと添えた。
棺が霊柩車で火葬場まで運ばれ、
火葬炉の中に棺が入れられる直前でも
同じようなシーンが展開された。
昨日の宴会がまるで嘘のように。
全てが終わった帰りの車。
ぼんやり外を眺めていた。
運転手が、
「おばあちゃんと散歩したの覚えてる?」
と聞いてきたので、
「そうだったっけ。知らんけど」
と愛想なく言った。
「おばあちゃん、遠くまで歩けないのに魚屋さんまで歩くってあんた聞かなくて」
「そうだっけ?」
「そうよ、ぐいぐい引っ張って」
「それ本当?魚屋なんて全然覚えてないし」
記憶に無い話ばかりを聞かされ、頭が混乱してくる。
試しに住所を聞いて、
ケータイで祖母の家の近くをストリートビューで見てみても、
見覚えのあるような、ないような。
近くを幾ら進んでも、
些細な記憶の中から思い出せるはずもなく、
結局魚屋も見つからなかった。
ただ、
杖をついた老人の後ろ姿を見つけた時、
私は一瞬ドキっとした。
後ろ姿を通り越し前からその姿を確認すると、
モザイクが顔全体にかけられた老婆が写っている。
晩年まで引きこもっていたのが本当かどうか、
知らんけど。
もし、祖母があの時私の手を引いて歩いた道を、
ずっと一人で歩き続けていたんだとしたら、
考えただけで可笑しくなってきて、
このモザイク入りの老婆と私との繋がりを、
感じざるを得なかった。
私は生まれて初めての”身近な死”に直面し、
死という現象がなんなのかを一通り体現した今日の最後に、
一番不謹慎にニコッとした。
「なに笑ってるの?」
大人がバックミラー越しに水を差してくるので、
なんかある時にしか出せない
「何でもない」で突き返した。
「ひかりさんってどこ住んでるの?」
「誰?」
「ひかりさん。関西弁の!」
「そんな子いた?」
「いたでしょ!」
「知らんけど?」
私は少し考えて、全身がゾクっとした。
「その知らんけどは一番ダメ!」
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