【学友会ゼミ】を立ち上げました!
はじめまして
私たちは、立命館大学教養教育センター所管のプロジェクト、未来共創リベラルアーツゼミ、通称みらいゼミの枠組みによって、2024年1月に立ち上がった自主ゼミです。自主ゼミのタイトルは「もういちど、立命館民主主義を話し合おう 立命館大学学友会を研究する」といいます。
略して【学友会ゼミ】とか【学友会研究ゼミ】などと自称しています。
この記事では、私たちが一体何者なのかと、私たちの活動目標は何なのかについて紹介します。
WHO IS|一体何者なのか
- そもそも学友会って? -
立命館大学学友会は、立命館大学のすべての学部生が原則加入する、日本最大級の学生自治組織です。
会員数は約3.3万人。学友会費による収入(大学が代理徴収)は、年間1.85億円ほどを数えます。
立命館大学学友会は、その規模を背景に、様々な活動を展開しています。
本当にたくさんあって、それぞれをすべて理解するのは困難です。ですが、活動全体に通じる前提知識があれば、まとめて「ああ、そういうことね」となんとなく理解できるようになります。
自治組織(を含む、あらゆる政府的組織)の活動には、入力過程と出力過程があります。構成員たちの願いをひろい集め、具体的な活動の案(政策)を作りあげて、それを実行すると決定するまでが入力過程、決定された案を実際にやってしまうために色々なことをするのが出力過程です。そのふたつの過程を循環させることによって、私たちはよりよい暮らしを享受しています。
(その様子を研究する学問領域を政治過程論といいます)
立命館大学学友会も例外ではありません。——公式webにはそれらの活動が「6本の柱」として紹介されています。
たとえば、
▶︎新歓運動や学園祭などの全学行事
▶︎集めたお金を適切に分配する財政運営
▶︎サークル活動を手助けする課外活動支援
——これらの活動は、それぞれに対応する会議によって決定された方針を実行する出力過程です。
また、
▶︎各組織の役職者の選挙運動
——これは学生の願いを学友会の活動に反映させるための入力過程ですし、
▶︎オリター団などによる互助活動
——これは現場で行われる「ピアサポート」を推し進めるものですから、推し進める、という意味では出力過程ですし、現場レベルで行われるのは入力過程と出力過程をないまぜにしたもの言えるでしょう。
▶︎学生の声を大学に届ける学園共創運動
——これは「学友会が決定する」とはまた別の場所、「学友会と大学が話し合って決定する」というレベルのところまで、学生の願いを掬い上げて届ける活動なので、他とは違う、レベチの入力過程です。
さらに言えば、以上の分析の中で「入力過程」としたものも、そもそも入力してもらうための活動を実行しなければいけませんから、出力過程と背中合わせのものです。
以上のように濃密な入力過程と出力過程の連携によって立命館大学学友会は立命館大学の学生のために運営されています。この2つが両輪できちんと機能している様子のことを表す言葉が「立命館民主主義」であり、立命館大学も学友会も、この言葉をよく使います。
この他にも様々な活動がありますが割愛します。とりあえず、すごく大規模な自治組織で、まるで本物の政府のように政策運動をしているという点さえご理解いただければOKです。
- 学友会ゼミとは -
学友会ゼミの研究対象である学友会について説明しました。
ここでひとつ、ご留意いただかなければいけない点があります。
立命館大学学友会と、
私たち学友会研究ゼミには、
一切関係がありません!
どっひゃー
学友会ゼミのメンバーは皆立命館大学の学部生です。立ち上げ人は政策科学部生で、他にも、法学部生、文学部生、産業社会学部生が参画しています。
そして、立命館大学のすべての学部生は(ごく一部の例外を除いて)学友会の「会員」です。なので超厳密に言えば関係はあります。しかし、このゼミはあくまで「大学の」プロジェクト団体であり、ゼミとしては学友会に所属していません。
ですから、このゼミから発信される記事やレポートは、あくまで「学友会」ではない団体が、自己責任で発信しているものです。その記事やレポートに関する責任を、立命館大学学友会は一切負っていません。——逆に言えば、私たちの活動は独立していて、立命館「大学」みらいゼミ事務局以外からの規制や制約を受けません。
(もちろん、公序良俗や良識、まして法令に反しない限り)
私たちはこの自由な立場に基づき、立命館大学学友会について、これまで行われてこなかったガチの研究を試みる自主ゼミです。その目標は、研究成果をまとめたレポートを冊子にすること。
次章からは、そんな活動をする理由について説明します。
WHY IS|活動目標は何か
- 何故このゼミを立ち上げたのか -
そんな立命館大学学友会のことを、果たして、どれほどの立命生がきちんと理解しているでしょうか。
学友会に所属する組織のうちのひとつ、学園振興委員会は、大学との交渉の参考にするために、学部生全員を対象にしたアンケートを実施しています。
今年は約17.5%の回答率を得、学園振興委員会は、それらの回答結果を用いて優秀な調査報告書を作成し、大学との話し合いの場で活用しています。
上の画像は最近、立命館大学新聞社の野心的な社説によって話題になった、抽選科目制度についての学部生の不満を分析したものです。
そもそも抽選科目問題に関するとりくみは、学園振興委員会のみならず、学友会組織によって数年前からずっと行われてきていました。
もしこの取り組みが学部生にもっと知られていて、回答が集まっていれば。
もしこの取り組みがもっと早く、多くの人々に助けられ、力強く推進されていれば。
もしかしたら、抽選科目制度は今ごろ改められ、もう少しマシになっていたかもしれません。
その他にも、立命館大学学友会の活動には、もっと学友会のことが知られていれば、もっとよくやれるだろうにと思わされるものが山積しています。
・サークル登録審査の基準非公開、
・慢性的で全体的な人員不足、
・学友会活動の「やらされている」感=「仕事」感、
・産業社会学部自治会の学生大会不成立、
・SNSで散見されるオリター団への不満、
などなど……
そこで、学友会のことをみんながもっと知れるようにしよう! と、有志の学生が立ち上がったのが、このゼミの発足の理由です。
どうして学友会のことがこんなにも知られていないのでしょうか?
私たちは以下の3つが理由だと考えます。
これらの説明には、少々難しいお話が必要になります。興味のない方は次の「学友会ゼミのゴール」までお進みくださいませ。
【理論に裏打ちされ体系化された資料がない】
立命館大学学友会の全体像を概説する、最も質の高い資料は、この記事でも引用した「学友会とは」でしょう。しかし、このページの説明から学友会のことを理論的に、体系化して理解できる人はどれほどいるでしょうか。学部生にとって最も身近な学友会組織である学部自治会は、存在自体は知られていても、活動や組織そのものについての理解が浸透している学部は稀です。また、ほとんどの学部自治会の規約は公開されていません。
現実の政治では、公民や政治経済などの教科書が、国民がその国の政府を理解するための手掛かりになります。教科書は、様々な学術機関の研究による理論に裏打ちされ、体系化されています。だからこそ、国民は教科書(を用いた授業による最低限の知識)によって、国の政治のことを理解する素地を身につけ、議論したり、会議の様子を見たり、投票したりすることができます。
それが無いとどうなるか。答えは明白で、学友会のことをきちんと理解しているのは、学友会組織の中に入っていった人だけという状況になってしまいます。そして、一部の例外を除いては、実際にそうなっています。
先述の抽選科目問題についてもそうです。数年前から実際に取り組んでいるうえ、資料の公示などで都度それを公にして、中央委員会でも話題に出しているにも拘らず、そのとりくみが全くと言っていいほど一般会員に知られていないのは、そもそも、学友会が一体何なのかが一般の学生からするとよくわからなくて、そういうことをやっている、という情報に辿り着けないし、中央委員会を傍聴するという発想を得ることすらそもそも困難だからです。
【入力過程が上手く機能していない】
そのような状況で、この記事の冒頭で説明した入力過程・出力過程のうち、入力過程が上手く機能するはずがありません。
学友会の入力過程には、2つの全く別のルートがあります。
①立命館大学をよくしていく為の入力過程
▶︎学友会が学生の意見を「大学との話し合い」に持っていくルート
▶︎全学協議会や学部懇談会での「合意」がゴール
②学友会そのものをよくしていく為の入力過程
▶︎学友会が学生の意見を「学友会“内”の会議」で受け止めるルート
▶︎会議での「決議」や選挙での「当選」がゴール
学友会のことをきちんと理解しているのは、学友会組織の中に入っていった人だけという状況が続けば、まず②のルートがうまく機能しなくなります。すると、学友会による出力過程の活動が学生の本当の望みからズレていき、学友会が存在することによるメリットを、学生が感じづらくなります(本当はあるのに!)。その結果、学生にとって学友会の活動を認知するきっかけが、そもそも激減するのです。
学友会の行なっている活動についての「理解」が無いだけなら、まだ①のルートは機能するでしょう。学部自治会や学園振興委員会によるアンケートに答えればよいだけですから。しかし、活動の存在そのものを認知すらしなくなると、アンケートをとっていることすら知らなくなるのです。あるいは、懸命な広報活動によって存在は認知したとしても、そのアンケートによって学園生活が良くなる具体的イメージが湧かないので、回答するモチベーションが持てなくなるのです。
こうして学友会のもつ「入力過程」全てが鈍り、学友会に関する理解はますます希薄化していきます。
ここまで書くと「それは学生の自己責任じゃないか」という感想を抱く方もいらっしゃるかもしれません。ある意味ではその通りです。民主的な組織を構成する者として備えているべきリテラシーを適切に発揮していないからだと言えば、そうとしか言いようがないかもしれません。しかし、自己責任論でこの状況を切り捨ててしまっては、そもそも学友会の存在意義がどんどん希薄化していってしまいます。
学友会なんてなくなってしまえばいいと考える人は、それでいいでしょう。しかしそうではないならば、最低限、責任達成を阻む要因を少しでも減らす努力をするしかないのです。切り捨てによる思考停止は無意味です。
【全国的に進む学生会の生徒会化】
以上を、もう少し抽象的に言い換えてみましょう。個別具体的な現象を観察したら、次はその中から一般性を汲み取って理論化しなければいけません。
立命館大学学友会に限らず、あらゆる「学生会」は学生の望みを叶えるための組織です。しかし当たり前かもしれませんが、別に全ての望みを取り扱うわけではありません。「学生会以外の場所で叶ってしまう望み」や、「技術的、法律的、現実的に達成不可能な望み」は取り扱いません。学生会の使命とは、学生の数多の望みのうち、“領分ではない”ものを削り落としたものを叶えることです。
さて。入力過程が鈍ったり、あるいはもっと上、例えば大学法人などの指導や規制を受けるようになったりすると、何が領分で、何が領分ではないのかの基準が、規定され、固定化されるようになります。しかし、何が「学生会以外の場所で叶う望み」なのか、何が「現実的に不可能な望み」なのかは、時代の流れによってめまぐるしく変化します。なかなか元には戻りません。
その結果、本来「領分」とされるべき需要と、実際に学生会が「領分」だと思っている需要とが離れていき、学生会の存在意義がどんどんと薄れていきます。そして、存在意義を失った学生会は機能不全に陥っていくのです。
こうした現象は、何も立命館大学だけで発生しているわけではありません。昨今、日本全国の「学生会」的な組織において、このような入力過程の鈍りが発生しています。
これを私たちは「学生会の生徒会化」と名付けました。
その背景までこの記事で取り上げると、本当に高度な社会学、経済学、へたをすれば哲学の領域にまで踏み込むことになりますから、詳細は省きます。しかし私たちのゼミではこの分野に関する議論もまた研究に組み込みます。
——以上が、少々厳しかったかもしれませんが、私たちが考える今の学友会の課題の概略です。
これは私たち独自の解釈ではありません。このゼミを立ち上げる前段階で、学友会の活動に様々な立場から関わっておられる学友のみなさんと積極的にお話しさせていただきましたが、それぞれ言語化が違うだけで、課題意識は同じなのです。皆同じものを知っていて、同じことを考えています。それをより理論的に整理して説明したのがこの記事だということに過ぎません。
勘違いしてはいけないのは、だからと言って、立命館大学学友会がダメダメなのかと言えば別にそんなことはないということです。日本全国を見渡してみても、立命館大学学友会ほどその活動実態を維持している全学的な自治会は類を見ません。優秀だからこそ、課題を乗り越えるべきなのです。
- 学友会ゼミのゴール -
そんな課題意識を、このゼミはどうやって解決しようというのでしょう。
あのような言語化の仕方をすると、なんだかとても壮大で、とても学生の手ではどうにもできない問題であるように思えるかもしれません。どうしようもない社会の摂理の問題で、これを解決するためには、とてつもない労力を費す、たいへんな変革が必要なように思えるかもしれません。そんな苦労をするくらいなら、学友会のことなど見放して学部での4年間を終えよう、と思うかもしれません。
杞憂です。
なんだかんだ立命生は優秀らしく、段々良くなっていく兆しがみられます。
映像学部自治会は2023年1月12日、学生大会を成立させ、149の有効投票数をもってして会規約改正案を通過させました。
政策科学部自治会は2023年度、SNSの活用を本格化し、それによって他学部に類を見ない数の自治会執行委員を確保しました。
学園振興委員会は、2022年度からアンケート結果をホームページで公開するようになりました。
立命館大学新聞社の件の記事はweb紙面が投稿されるや否やバズりました。
英語基準の学生が学友会活動やサークル活動について知るのに障壁がある、ということでグローバル化推進室がたちあがり、公示の2言語化、サークル活動の2言語化の支援、学友会用語の日-英対応表の作成など翻訳事業を展開しています。
中央常任委員会4役選挙では2023年度、学友会でのキャリアを持たない一般学友会員が課題意識に基づいて立候補し、落選したものの中央委員会で論戦しました。
この際立候補していた2名の所信表明を読むと、そのどちらも、課題を克服するために、学友会そのものを変革するという旨のことを書いています。
その選挙で当選した新中央常任委員長の所信表明には、
・課外自主活動らしさを取り戻した学友会
・さらに学友会について知ってもらい、
・みんなで作り上げる学友会
などの文言が並んでいます。
学友会外でも、学友会についてしっかり考えて、なんとかしようという動きが各所でみられます。このゼミが立ち上がったことが何よりの証です。
このゼミのタイトルは「もういちど、立命館民主主義を話し合おう」です。民主主義は、なにか高尚な理論でも、得体の知れない手の届かない概念でもありません。民主主義を「する」ということは、実際にあなたが手を動かして、あなたが民主主義、つまり、入力過程と出力過程の連携だと思う通りの活動を、実践するということです。彼らのとりくみは正にこれです。
——そうした各所での懸命なとりくみは、成功したり、失敗したりします。しかし、そのいずれにも共通しているのはやはりそれでも大変な苦労を伴うということです。その苦労の原因こそが、みんな学友会のことを知らないという現状なのです。
そもそも学友会の知名度が低ければ、学友会をより良くするためのとりくみをしようと思う人数が減ります。人員不足に陥ります。
また、「知らない」とは「知名度が低い」というだけではなく「理解度が低い」ということでもあります。「存在は知っていても、まして、課題意識をすら抱いていても、学友会についてきちんと理解はできない」という状況が、自己責任の一言で切り捨てられないレベルで定着しています。
学友会についての理解が乏しい状態で何かをしようとしても当然ぎこちない活動になります。そのとりくみには大変な苦労と苦痛が伴うでしょう。そもそも、たとえ学友会を良くしようと思い至っても、「自分は理解が乏しい」ということを自覚して、かつ学友会について理解を深めるためのハードルが著しく高ければ、普通はあきらめて身を引いてしまうでしょう。
さて仮にそれらの障壁を乗り越え、誰かの何らかのとりくみが、なにがしかの成果をあげたとしましょう。その成果も、確たる理解とその理論に裏打ちされていなければ、空回りします。
先ほどあげたこの3要素のうち①が、「学友会を良くしよう」と思った人の出鼻をくじき、足をひっぱり、成果を潰します。
それを解消しようというのが学友会ゼミです。
学友会ゼミのゴールは、学友会をよりよくしたいと思った現在および将来の学生が、このゼミで作成されたレポートに助けられながら改良を推し進めていくことです。
学友会ゼミでは、立命館大学学友会について「ガチ」の研究をします。その成果を、わかりやすく構成された理論的な筋立てによって、体系化します。そうして出来上がったレポートを、ひとつの冊子にまとめます。
そうして、学友会の課題に取り組む学生が理論的なよるべにするに足る資料を完成させます。
私たちがの論集が立命館大学に拡散し、ある日、誰かの手に取られたとき。そのとき、このゼミの役割は終了するのです。
さいごに
あたりまえのことをあえて言語化し整理し確認するのが学問の本質であり、あたりまえのことを、あたりまえにやるのが「良くする」の本質である、と考えています。もしかしたらこのnote記事は、読む人によってはあたりまえのことを長々と書き連ねているだけのものに見えてしまうかもしれません。しかし、そうであればあるほど、このゼミの活動が本質に迫るものであり、やるべきことであるということです。
みらいゼミはクオーター制です。このクオーターの活動は、今年度中に幕を閉じます。それまでに、素早く密に活動し、論集の脱稿までこぎつけます。
どうか私たちの活動にご理解をいただきたく思います。
よろしくお願いいたします。
立命館大学|未来共創リベラルアーツゼミ
もういちど、立命館民主主義について話し合おう
- 立命館大学学友会を研究する -
(学友会ゼミ)
- コラム -
何故このゼミを立ち上げたのか - 個人編 -
完成される論集では、このようにレポートの末尾に執筆者個人によるコラムを付記します。これにより、レポートの主張の有機的な理解を助け、活動のヒントを与えます。また、執筆者の人間性を垣間させることによりなんだか得体の知れないものだという忌避感を減らします。
このゼミを立ち上げた私自身の所感について、少しだけ書かせてください。読む人によっては蛇足かと思いますから、無視していただいても結構です。
私は普段、サークルを運営したり小説を書いたりしている人間です。そして私は立命館大学学友会を自分の手で良くしようとして、挫折した人間です。
1回生の秋学期に経験した出来事をきっかけに、私はサークルの力で学友会を良くしていくことが今の学友会には必要だと考えるようになりました。その考えを実現するために、かなり壮大な計画を夢想していました。
この「学友会研究室構想」を私は方々で言いふらし、これをよるべにして、学友会のことについて個人的なリサーチを深めていきました。
学友会のことを知れば知るほど、——というより、大学生活の中で私自身が成長すればするほど、私は行き詰まっていきました。この記事で述べた様な出鼻をくじき、足をひっぱり、成果を潰す力学の餌食になったのみならず、そもそも、そのような壮大な計画を実行するだけの余裕が自分にはないことを自覚していきました。現実的な自分のキャパシティの為、また、深まった学友会への理解の為に、私の野心はゆさぶられ続け、私の構想は小さな諦めを重ね続けました。
そんな中、最終的に形になったのが、この学友会ゼミです。
「私のように」なんて言っては烏滸がましいですが、
「学友会を良くしたいと思った全ての学生が、私と同じような悔しさを少しでも味わなくてもいいように」
「彼らの背中を押して、彼らの姿勢を支え続けられるように」
その考えに微塵も嘘はありません。
しかし同時に、いい加減にこの野心に決着をつけてしまいたいという思いもあります。
私はこのゼミに、立命の学生として過ごした2年間を賭けます。
私はこのゼミに、政策科学部の学生としての自負を賭けます。
私はこのゼミに、保守でも左翼でもないリベラルとしての矜持を賭けます。
奇しくも大学生の研究活動らしい形に落ち着いたこのゼミで、私は「研究」のキャリアのスタートを切るのです。
立命館で学んだ者としての、これからの人生を、このゼミに賭けます。
最後に、私たちの活動へのご理解を重ねて願うと共に、このニッチなゼミに集まった奇特なメンバーたちに感謝して、学友会研究ゼミのレポート、第1報の筆を置きます。
文責:立ち上げ人 筆名:紀まどい
政策科学部2回