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がんばるということ

わたしは、まっすぐ進むことが得意すぎる故に、没頭集中盲目に進み続けてしまう=がんばりすぎる。がんばりすぎていることにも気がつかないくらい、集中してしまう。ちなみにこのときの集中とは、ある特定の焦点に一点集中という意味ではなく、食べる寝る本来やるべき業務をすべて忘れてしまって、興味関心に赴いたり、思想思索実践に没入してしまうことをいう。いいか、悪いかはおいておいて、そういう性質がある。(今も、深夜唐突にがんばることについて想いを記したくなり、この文章を書いている)

見方を変えるとフロー状態、ともいうのかもしれない。やろうと決めたときの実践力とスピードは自分でもそんな短時間でやれちゃうんだ、って思う。

よいんだ。フロー状態は。

問題は、フロー状態が持続していると思ってしまって、心に負荷をかけた状態で、がんばっている状況だ。

がんばりたいからがんばってる、と思ってるのに、いつのまにか、「がんばらなければならない」と思考が変わっていることがあるのである。

しかもそれがごく自然に誰にも気づかれないように、大変サイレントなスムーズな移行なので、まったく気がつかない。

しかし、「がんばらなければらない」状況は、しんどいのだ。つらいのだ。自分にウソをついてるのだ。やりたくないのに、がまんしてるのだ。まちがいなく、よくないのだ。

なので、いかにそれに早く気づくかが重要だ。

そのための1つの方法が、自分の感情に敏感になる、ということだと思っている。がんばるの得意人間は、がんばるのが得意ゆえに、自分の感情に鈍くなる傾向にある。(※自分調べ)

「あ〜やりたくないな〜休もっかな〜」
という感情が出てくる場合には、
「あ〜やり..(感情切断)よし、やろう。がんばろ。」
上級レベルになると、
「(感情なし)やる」(笑)

だからこそ、意識的に
自分の感情をじっくり見つめて、
今どんなきもち?
ってゆっくり問いかける時間をしっかり持つ必要があると思っている。

もっと効果的なのは、人と定期的に自分の気持ちを素直に話し合う時間を持つことだと思う。

エンジンをふかすために、アクセル踏むために、モチベーションをあげるために話すのではなく、本当の自分を見失わないようにするため。しっかり自分に向き合う時間をつくるため。いい自分を見せるというより、素の自分を見せられる相手。

家族でも、恋人でもいいとも思うけど、
近すぎるがゆえにお互い見えなくなってしまうこともあるから、

ちょっと距離がつかず離れずの関係の、だけど、お互い信頼しあえる関係性の人とコミュニケーションとるのもいいな、と思ってきている。まあなかなか難しいけど。

結局はさ、自分の機嫌は自分でとるっていう結論に帰結するんだけど、そんな簡単に扱えるほど、人間の心って単純じゃないし超複雑だよね、って思う。

まあ、そういう自分がいる、っていうことを知ることから、はじめていかないとね。

もしがんばらなければならない思考に入ってしまっているかわからなくなっているひとがいたら、一回、じっくり自分の本当の感情に向き合う時間をつくってみてほしい。

がまんしてること、ない?
本当に心の底からやりたい?
やらないと、になってない?
義務感ない?

ありのままの素直な自分が1番素敵な自分。








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