詩歌ビオトープ002:会津八一
はい。それでは詩歌ビオトープ2人目です。
2人目は会津八一。1881年に生まれ、1959年に亡くなっています。
この人は、短歌史の中でも異端の一人だと言えるのではないでしょうか。
どこの結社にも所属していませんでしたが、正岡子規の作風から大きな影響を受けたのだそうです。あとは、同じく早大卒の窪田空穂ととても仲が良かったのだとか。
ちなみに、この人の卒論のテーマはキーツだったそうです。坪内逍遥、ラフカディオ・ハーンからも大きな影響を受けていて、最初は早大の英語の教師だったそうです。なので、実は英文学や英詩から強い影響を受けているのでしょうね。僕の勝手なイメージでは、もしかしたらこの人ウィリアム・モリスみたいな人だったんじゃないかって、そんな気がします。
この人の歌の特徴といえば「万葉調の平がな書きによる荘重かつ芳醇な歌風」といわれます。簡単に言えば、全部ひらがな。しかも古語。めっちゃエキセントリックですよね。形式主義者(フォルマリスト)って表現がぴったりです。つまり、それだけ確固とした美意識があったということ。
なので、ぱっと見た感じ「うわ、自分に読めるかなあ」と思うんですけど、実際に読んでみると、意外と分かりやすいです。そこがこの人のすごいところなのでしょうね。まったく何のことか分からないものもいくつかあるけど。
さて、昭和文学全集には、「鹿鳴集」から85首、「寒燈集」から27首が収められています。
で、全112首のうち、僕の分類では自然詠が74首、思想詠が18首、生活詠が14首、社会詠が2首でした。「鹿鳴集」はほとんどすべて自然詠か思想詠なのですが、「寒燈集」では、スタイルはそのままにもっと個人的なことを詠っています。養女だった義理の妹さんが若くして亡くなるんですね。そのことを歌った歌が多くありました。
仏教の思想詠なのかな、という歌も結構あったのですが、ただこの人の場合、仏教の教えそれ自体を詠ったものというのはそんなにない気がします。
たとえば、富士山に登って頂上から御来光を見たら、誰だってその美しさと神々しさに感動するじゃないですか。それは景色に感動すると同時に、何か宗教的な体験でもある。それを歌にしたら、自然詠でもあり思想詠にもなるでしょう。なんか、そんな感じです。
ということで、僕はこの人はこの位置にしました。ある意味自然詠の極北という感じがします。幻想的な絵がばっと浮かび上がってくる、そんな歌が多いので。「鹿鳴集」だけだともっと上なんですが、「寒燈集」で少し下に降りてきた、という感じ。
ちなみに、この人の歌を現代語訳してくれているサイトを見つけました。お陰で助かりました。興味ある人は、こちらを参考にすると良いです。
最後に、会津八一も著作権が切れているので、僕が特にいいなと思った歌をいくつかご紹介。
日常とはかけ離れた別世界の雰囲気を味わいたい人、特に日本の古代ファンタジーが好きなひとなんかははまってしまうのではないでしょうか。一見とっつきにくい感じなのにファンが多いの、すごくよく分かります。
なんていうか、ただ独特なんじゃなくて、ちゃんと理由があって致し方なく独特になっている、そんな感じ。だから、歌の中身にしろ、その思想にしろ、すごく客観的なんですよね。一人よがりではない。万葉の息吹きを背負える人がこの人くらいしかいないから、結果としてこの人は独特になっているのだと思います。そして、独特さというものはそういうものであるべきだと、僕は思います。
ということで、3人目に続く。
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