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詩歌ビオトープ007: 土岐善麿

はい。ということで7人目は土岐善麿です。

そもそも詩歌ビオトープとは?
詩歌ビオトープは、詩の世界を一つの生態系ととらえ、詩人や歌人、俳人を傾向別に分類して、誰と誰が近い、この人が好きならこの人も好きかもしれないね、みたいなのを見て楽しもう、という企画です。ちなみに、傾向の分類は僕の主観です。あしからず。

土岐善麿は1885年生まれ、1980年に亡くなりました。めっちゃ長生き。

彼は東京都生まれで早大卒、大学を出た後は読売新聞の記者になりました。

明治43年、彼は土岐哀果の号で「NAKIWARAI」という歌集を発表します。この歌集はローマ字と三行歌であるのが特徴で、この歌集で石川啄木と並んで高い評価を受けたんですね。で、そのことをきっかけに啄木と出会って意気投合、二人の名が入った「樹木と果実」という雑誌をつくろう、という話になります。

でも、そのすぐ後に啄木は早逝してしまったので、雑誌は創刊されませんでした。それで、彼は啄木全集の編纂を行い、刊行したんです。そのことが、現在でも啄木が広く読まれているきっかけになった、と言われています。

で、定説だと彼は啄木と出会ったことによって社会主義に傾倒するようになった、と言われています。でも、どうなんですかね。僕は元々この人は社会というものに対する強い関心があった人だと思いますけど。そうじゃなかったら、わざわざローマ字で歌集なんて出さないでしょう。明らかに日本語はどうあるべきか、という問題意識が最初からあった人だと思います。この人の歌風を啄木の影響だというのは、啄木を持ち上げてこの人を過小評価した、恣意的な言説だと思いますけどね。

で、彼は啄木の死後に「樹木と果実」の代わりとして「生活と芸術」という雑誌を創刊します。この雑誌は、社会主義思想に基づいた芸術作品の発表の場のようなものだったそうです。しかし、誌上で交わされる議論があまりに過激というか、革命主義的になっていったのを受けて雑誌は廃刊にしてしまいました。

その後は自由律短歌に取り組み、晩年は再び定型へと戻っていきました。この辺は、前田夕暮に似ていますね。

なんか、この人と前田夕暮には共通点が多いような気がします。近くに若山牧水や石川啄木といった天才がいたこともそうですし。

さて、いつもの通り元ネタ本は小学館の昭和文学全集35です。

本書には「近詠・新歌集作品2」から21首、「六月」から58首、「夏草」から17首、「遠隣集」から73首の合計169首が収められています。「近詠・新歌集作品2」と「六月」には自由律短歌が結構ありました。

で、僕の分類では生活詠が80首、社会詠が76首、自然詠が13首でした。なので、位置はここにしました。

彼の歌風の特徴は都会的な生活詠、と言われているそうです。確かに、東京生まれの東京育ちですしね。というか、自然を詠んだ歌というのがほとんどありません。そのあたりも、都会っぽさを感じる要因なのかもしれませんね。

この人の歌は、やっぱりよく啄木と比較されるようです。で、田舎出身で貧乏に苦しんだ啄木の生活詠と比べると、都会育ちで裕福な暮らしをしていたこの人の歌にはリアリティというか身に迫ってくるものがない、というような評価のようです。

何言ってんだよ、と僕は思いますが。

まあ、そういうことなので、逆に言うと「啄木ってなんか苦手なんですよね」という人は結構好きかもしれません。僕は、すごく好きですけどね、この人の歌。著作権切れてないから紹介できないのが本当に残念です。何ていうか、本当にそうですよね、残念ながら今でも世の中はそんな感じなんすよ、って思う歌がたくさんあります。もっと読まれてもいい人だと思う。

1首だけ、紹介しますね。むさし野文学館のホームページにあったものです。

それがこの歌。すごくいいと思う。

わがために一基の碑をも建つるなかれ歌は集中にあり人は地上にあり

この歌が、この人の生涯最後の歌なのだそうです。この人はきっと、啄木が残って自分が忘れ去られたとしても、それでいいんだ、それがいいんだって、そう言うのでしょうね。


ということで、8人目に続く。

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