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満月の夕
1995年の今日、1月17日に阪神淡路大震災がありました。
その頃僕は高校生で、京都市内から電車で高校まで通ってたんですね。1時間くらいかけて。
17日は、朝の6時頃にすごい大きな揺れを感じて一度目を覚ましたのですが、でもまたすぐに寝て。で、7時頃に目を覚まして、そのまま駅へと向かいました。
多分、7時頃にはまだ何の情報も流れてなかったんだと思います。まだ携帯だってあまり普及していなかったから、何が起こったのかまったく知りませんでした。
いつも通り家を出て、駅に着いたらすごい人だかりで。どうやら今日は電車が一日動かないらしいということで、家に引き返したのでした。
そのときは、そんなこともあるんだなと。学校がなくなってラッキーくらいに思ってた。
で、家に着いたら、テレビで神戸の町が大変なことになっているのを見たのでした。
その頃僕には付き合っている彼女がいて。彼女は寮に入ってたのですが、ちょうどその時は神戸にある親戚の家に行っていたのです。
そこに、あの震災が起きて。
すごく心配だったんですけど、でも、あの頃は連絡の取りようがなかったんですね。携帯もないし、親戚の家の電話番号なんて知らないし。まあ、どのみち向こうもそれどころじゃなかったでしょうけれど。
で、翌日だったか数日後かは忘れましたが、京都や奈良の電車が動くようになって、それで僕は学校に行ったんです。
僕の通っていた学校は、京都と奈良と大阪の三方面から生徒が電車で来ているところだったんです。
でも、当然のことながら、まだ大阪方面からは誰も来ていなかった。
教室は半分くらいの席ががらんとしていて。
テレビでは毎日、神戸の惨状が映されている。
それで、僕は居ても立っても居られなくなって、その日、午前中で学校をボイコットしたんです。
で、そのまま電車に向かって神戸に向かった。
その頃はまだ神戸には行ったことがなくて。だからどこにあるのかもよく知らなかった。
でも、とにかく行かなきゃって思って。
まあ、行ったところでお前に何ができるんだって話ですよ。彼女に会わなきゃって思ったんですけど、住所だって知らないのに。だから会えるはずもないのに。
会ったところで、お前何しに来たんだ、それどころじゃないんだって話です。
JRは大阪までしか動いていなくて。それで僕は梅田で阪急に乗り換えたのでした。でも、阪急も西宮北口までしか開通していなかった。
だから西宮で降りて、そこから歩き始めたんです。歩いて神戸まで行こうと思って。
あの日の西宮の風景は、今でも目に焼きついているんです。崩れ落ちた家屋、飛び散ったガラス片、焚き火の炎。
空がね、とても広くて。とても青くて。大きな建物が皆壊れてしまったから。
芦屋くらいまで歩いたのかな。そこで、誰かに聞いたんです。ここから歩いて神戸まで行こうと思ったら、あとどれくらいかかりますか? って。
そしたら、今からやったら夜になるでって言われて。
もうその時すでに夕方の3時くらいで。で、その時初めて気づいたんですよね。そういや俺、神戸に着いたとして、その後どうやって夜を過ごすんだろうって。
そしたら、色々考えて。いや、そもそも自分はここで何してるんだろうって。どう考えても迷惑にしかなっていないし。これで夜過ごせるところがありませんとか言って、今この大変な状況にある人たちにこれ以上迷惑かけるとかもう最低じゃないかって。
それで、家に帰ったんです。結局ね。
別に、何もありませんでした。ただ僕は、あのとき、あの廃墟と化した街を見た。余所者として。野次馬として。ただ、それだけのこと。結局は、それが現実。
というのが、僕の阪神淡路大震災のお話。
多分、阪神淡路大震災のエピソードの中で一番くだらなくて一番無意味で一番しょうもない話ですね。
ごめんなさいね。オチも何もない話で。
でも、毎年この日になると、あの日のことを思い出します。
あの青空と、そして、あのやるせなさを。
それから、この曲を聴く。
また明日。
おやすみなさい。
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