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年末読書その1 老い方の研究

普段でも読書時間はたっぷりだが、年末年始はさらにふんだんになる。外出の用はなく電話もないからだ。
今日は和田秀樹さんの『老い方上手』。とてつもない出版数のようだから、初めてご著書に接するボクの方が少数派かもしれない。
なるほどと思った点をいくつか挙げる。
ーー 高齢者が起こす運転事故は認知障害ではなく、一時的な意識障害による操作ミスであろう。そしてそうした意識障害はたいがい内服薬の作用である。ーー
 和田さんは「認知症、即、運転免許返上」は非論理的であると指摘する。なるほどね。でも現に高齢者の運転事故は起きているわけだから、免許返上の基準は明確でなければならない。昔行政官経験があるもボクは考えてしまう。ではこうしたらどうか。薬の多用が問題との和田説に従い、常用内服薬の種類数を高齢者の免許返上基準にする。それでは納得できない多剤服用高齢者は、試験場に出向いて実地運転技能に支障がないことを積極証明することにすればよい。

ーー 人工呼吸器で息をしてはいるけれど全身チューブにつながれ、反応は全然なし。可哀そうだから、治療をやめて尊厳死で死なせてあげようとの議論は理由がすり替えられている。若い患者の命を救うためには、医療費財源の配分で高齢患者には遠慮してもらうしかないというのが本音のはず。そのことの国民合意こそ必要なのである。ーー
 これも正論だ。でもそれには「うちのばあちゃんには生きていてほしいの治療打ち切りは非道である」との反対論が当然予測される。どうするか。双方が納得できる案を提案したい。わが日本は国民皆保険で、保険加入者(つまり国民)の合意で、健康保険による医療費負担治療を限定している。(これを「保険療養基準」として厚労大臣が告示している)。そこでいわゆる尊厳死対象とされる治療を保険療養基準から外すのだ。ばあちゃんの医療を続けたい家族の意向は、自費診療として継続することで尊重される。

ーー 老後の幸福は資産ではない。下手に相続予定財産があると、再婚するなとか、高い老人ホームに入るななど、家族に生活干渉されて苦難の老後になりかねない。ーー
 ドラマなどを見ていると実に納得できる。子どもが争う高額資産がない庶民のボクだが、資産ゼロでも困る。それは想定外に生き残った場合。通常、平均寿命まで生きると想定して金融遺産(例えば2千万円)を計画的に取り崩す。ということはその年齢を通り越して生きていれば、年金以外に何もないことになり、確実に生計破綻する。(公的年金だけで生活できると政府は約束していない)。
 ではどうする。ボクが行きついたのは年金制度の改定だ。基礎年金の本来使命は、これだけで老後生計を賄えることのはず。一方、引退直後での元気で副収入を見込める前期高齢者に基礎年金を支給する必要はないはず。引退で必要になるのが厚生年金、後期高齢者の生活を支えるのが基礎年金と役割を明確に分離する。つまり基礎年金の支給は後期高齢者(75歳以上)とし、その支給額を例外的に生き残っている超高齢者生計(例えば85歳以上)には十分な額(例えば現行額の3倍20万円程度)に引き上げる。この改正のメッセージは、超後期高齢者になれば余分に金融資産を持っている必要はないから、個人資産家は生前相続贈与するなり、公的機関に寄付して名誉勲章を得るなりしなさいということだ。

ーー 老人の特権は、会社のルールなど同調圧力から自由であること。しかるに切り替え不調などでストレスに苦しむ者が多い。高齢者をストレスから解放することが老人施策の中心であるべき。医学的観点では、高齢者に健康診断を受けさせ、病名をつけて薬漬けにするなど百害無益。ーー
 紳士の和田さんは露骨な言葉を使わないが、言っている趣旨はこういうことだ。だったら高齢者への福祉対策も方法を変えるべきではないか。社会福祉士など専門家は、高齢者のストレス解消支援を主要職務に改める。「まわりに無理に合わせる必要はない。あなたと気が合いそうな仲間をいっしょに作りましょう」。「近所に悪口を言いふらす人がいるのですか。だったら私が一発ガツンと言ってあげましょう」などなど。ストレスが減れば、体調もよくなり、病名は減り、服用役も減るから、結果的に医療費も自然と減ることになり、医師不足も自然と解消する。

和田秀樹さんあるいは同じ考え方の有識者に政府高齢者問題政策顧問のポストを用意する。そういう政府であれば人気も多少上がるだろうに。
 

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