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『学習する社会』#21 3.学ぶこと 3.2 思考のための道具 (1)知の媒体

3.学ぶこと

暗黙知の議論に見られたように、学びに行為は不可欠である。とは言え、我々の行為の多くは学びを目的としているわけではなく、多様な目的を持った行為が結果として学びにつながっている。そして、学びの結果が多様な目的のためのより良い行為を選択することを可能とする。前回までは、学び以前にどのような行為が選択されるかという「決定」について考察してきた。今回からは、決定して行為するという過程を学びに結びつける「思考」について考えていきたい。

3.2 思考のための道具

我々は世界を最初から類型化された世界として経験する(シュッツ、1970)。犬を見れば、その犬が寝ていても犬らしい走り方、犬らしい食べ方を予期できる。目の前の犬が走る姿や食べている姿を見ていなくともそういう状態を想像できる。しかし、時計を見ても時計が走る姿は想像できない。擬人化した時計を走らせるアニメーションは作成できるだろうが、それは「時計」が走っているのではなく、「擬人化した時計」が走っているに過ぎない。三中(2009)は、

生物がいるところ必ず分類がある。いや、生物だけではなく、どんなものであってもそれらを分類することは、私たち人間にとって根源的な行為の一つである。

三中(2009)、p.33。

と述べているように、我々は常に目の前にある対象を類型化し、そのような類型的なものとして認知している。

(1)知の媒体

環境にある対象、環境で起こる事象などは個別具体的なモノ/コトとして把握されると同時にある類型のモノ/コトとして認識される。我々が持っているそのような類型を心理学ではカテゴリー範疇はんちゅう:category)と称して研究の対象としている。類型という用語は心理学のカテゴリーと同じ概念である。また、社会学では概念に特別な意味を与えるが、心理学では概念もカテゴリーと同じものとして扱われる。私の議論では、カテゴリーという語も用いるが、類型と読み替えてよい。

心理学の世界におけるカテゴリー研究は、犬を見てそれが犬とわかるようなカテゴリーの形成あるいは獲得に関連する諸問題に焦点を当てている。それらの研究における伝統的な見方に定義的特徴と家族的類似性がある[iii]。以下、村山(1990)の議論を参照して、カテゴリー=類型の獲得について概観したい。

定義的特徴

定義的特徴という見方では、あるカテゴリーに属する対象に共通する性質があるとする。我々が一つのカテゴリーを獲得する過程は、様々な対象がそのカテゴリーに含まれるか否かを判定し、それが正しいか間違っているかを教示者から指摘されるという試行錯誤である。定義的特徴という見方のカテゴリー研究は共通性を明示できる人工カテゴリー(形と色で識別できるカードなどで構成された、研究用のカテゴリー)を用いて進められてきた。

しかし、人工カテゴリーとは違い、我々が日常的に用いているカテゴリーの定義的特徴を明示することは困難である。鳥というカテゴリーを考えてみよう。飛ぶという特徴は多くの鳥に当てはまるがペンギンやダチョウには当てはまらないし、鳥ではないコウモリにも当てはまる。羽毛を持つものという特徴を考えれば鳥にだけ当てはまる特徴のようにも考えられるが、そもそも羽毛は鳥類の体表を覆うものであり、鳥というカテゴリーなしに存在するものではない。そこで出てきたのが典型性を考える考え方である。

家族的類似性

典型性によるカテゴリー解釈の基礎が家族的類似性である。あるカテゴリーに入る対象物【鳥カテゴリーに入る雀やペンギン】は、それぞれそのカテゴリーに関して典型性が異なる【雀の方がペンギンより鳥らしい】。しかし、典型性は違っていてもそれらの対象物の間には類似性がある。対象同士に共通している特徴の類似性が多様でも、そのカテゴリーに入るどの対象同士もなにかしら似ているという全体としてのまとまり【家族的類似性】がカテゴリーを形成している。

定義的特徴の考え方にせよ、家族的類似性の考え方にせよ、伝統的なカテゴリー研究では与件としてカテゴリーが存在していることを前提としている。そこにある人間観は与件としてのカテゴリーを単に受容し、与件のカテゴリーにしたがって環境を受動的に分類するだけの存在である。これらの考え方ではカテゴリーの変化はもちろん、新たなカテゴリーが形成されることも説明できない。伝統的な考え方はカテゴリーに含まれる対象と含まれない対象【犬か犬でないか/鳥か鳥でないか】を識別する方法を問題としていた。なぜ犬とか鳥というようなカテゴリーがあるのかということは問題としていなかったのである。

カテゴリーの獲得

様々なカテゴリーは我々が作り上げてきたものである。アフォーダンスの議論にしたがえば、定義的特徴や家族的類似性における共通する特徴は環境が提供する性質であるが、それを引き出したのは我々である。伝統的な考え方で言及される特徴は、我々が環境に働きかけるために、環境を改変するために、あるいは環境と相互作用するために自ら引き出してきた性質の共通性である。ネルソン(K.Nelson)は、大量の事例の特徴を分析することによってカテゴリーが獲得されるという、それまでのカテゴリー理論が前提としていた枠組みに疑いの目を向け。新たに活動状況という要素に着目した。

ネルソンはカテゴリーと活動との関係を示すために、次のような実験を行った。12~24カ月の幼児に、①ボール、②まるくはないが弾んだり転がったりするもの、③まるいが弾まないもの、④まるくもなければ弾みも転がりもしないもの、といった物体を提示し、この中からボールを選ぶように指示した。幼児は①のボールのほか、②と③からも選択した。次に、幼児に実際に物体にさわらせて自由に遊ばせた後で、再度ボールを選ぶように指示した。今度は③より②を選択する幼児が増えた。この結果から、幼児はボールを外観よりも弾み転がるという機能によって認識していということがわかる。ボール遊びをする幼児にとってボールは遊ぶ対象として弾んだり転がったりするものだったのである。

カテゴリー=類型と知

幼児にとって、ボールはボール遊びという活動があるからこそボールなのである。年齢を経れば単に弾むものやあるいは単に転がるものをボールとは呼ばなくなるかもしれない。それでも、ボールの類型が遊ぶという行為から切り離されることはない。我々は世界を最初から類型化された世界として経験するが、その経験は環境と相互作用の中で蓄積される。我々は行為を通じてその類型を獲得している。類型の獲得とその修正が知の変化にもつながるのであり、それが学習の一つの姿でもある。類型は知の媒体であり、学習を理解するためには類型の獲得と修正についての理解が欠かせない。

今回の文献リスト(掲出順)

  1. Schutz, Alfred (1970) On Phenomenology and Social Relations (Edited by Helmut R. Wagner), University of Chicago Press. (森川眞規雄/浜日出夫訳 (1980) 『現象学的社会学』紀伊國屋書店)

  2. 三中信宏 (2009)『分類思考の世界: なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』講談社。

  3. 村山功(1990)「人間にとってのカテゴリー」佐伯胖/佐々木正人(1990)『アクティブ・マインド-人間は動きの中で考える-』東京大学出版会、pp.171-197。

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