カテゴライズされるということ
カテゴライズされることがとても嫌いだ。
特に性別によるカテゴライズが苦手。私は生物学上も女だし、自分の性別は女だと自認しているし、恋愛対象も男だ。それなのに、出会いを目的とした場で好意を示されると正直引いてしまう。「私自身を好きなの?私が女だから好きなの?私がもし男だったら?あなたは変わらず私を好きだと言ってくれる?」正直めちゃくちゃめんどくさい女である。自分でも辟易する。
でも、そう思わずにはいられないのだ。なぜそう思うようになったか、全く覚えがない。普通に生まれて普通に生きてきたはずのに、なんでこんなにも私は自分が女としてカテゴライズされることに抵抗があるのだろう。
とある作品を観て、帰りの電車の中でずっと「女として生まれたことへの不平等さ」について考えていた。子どもを産む時、女ばかりが苦しむ。けどこんな恨みごと、人類創造の神以外には救えない。
どうやったって埋まらない溝。
カテゴライズすることの意味。それによって生まれる利害。共通認識。社会のルールや常識。思想。
自分の腕では抱えきれないとてつもなく大きな問題に直面しては、結局自分はどうしたいのか?とまた皮膚の内側の問題に戻ってくる。堂々巡りってきっとこういうこと。
ただ一つはっきりわかることは、「私」を何かの記号にカテゴライズしないで「私」として見てほしいって、そういうことだけ。