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スポーツの秋の思い出

運動会のシーズンがやってきた。
このシーズンになると思い出すことがある。
通っていた幼稚園の運動会
徒競走とさえ言えないかけっこ
一生懸命走る僕
6人中4位の成績だった。
家族のいるエリアに戻ってきた僕に母が放った言葉。
「やっぱりあなたは運動にはむいていないわね」
何気なく言った言葉だろうが、その言葉がその後の僕を縛り続けた。
「僕は運動向いていない」
確かに両親ともにアクティブとは言えなかったし、運動をする習慣は生活の中にはなかった。なので、自分の運動能力については何かと比較したり、経験的に客観性を以って認識することなく育ってきた僕は、母が言うままをそのまま自分の性質として受け取った。
小学校低学年で始まった「キックベース」。野球のルールで大きいドッジボールをホームベースにおいて蹴ることから始めて遊ぶスポーツだ。
僕は野球のルールを知らなかった。
同級生たちが自然に始め、夢中になっているその流れに参加することが出来ない。
そうは言っても参加したい気持ちが抑えきれず、人当たりのいい同級生にルールを訊いた。
彼は親から譲り受けたという黒いグローブで野球に興じる運動神経もよく、勉強も出来る人で、彼ならきっと馬鹿にせずにルールを教えてくれると、当時の僕が思ったことをよく憶えている。
きっと他の同級生に訊いたら、「お前野球のルール知らないの?」と言って馬鹿にされるに違いなかったのだ。
彼は親切に教えてくれる。
「蹴ったら一塁に走るんだよ」
「一塁ってどっち?」
「向かって右側のほう」
「二塁にはどうやっていくの?」
「もしも行けそうだったら走るんだよ」
「行けそうなときって?」
そう訊いた僕に困った顔を向けた彼の顔。
「次の人が蹴ったら走るの?」
「行けそうだったら走るんだよ。もしもアウトになるんだったら走っちゃだめだ」
「?」
まるでチンプンカンプンな僕に優しく教えてくれる彼は、その後一流国立大に進み、現在も海外を飛び回り商社で活躍している。
父親とキャッチボールすらしたことが無く、もちろん当時テレビで毎晩やっていた”国民的スポーツ”の野球を見る習慣も無い家庭で育った僕が、野球のルールを理解するにはそれからしばらくかかった記憶がある。
三塁に向かって走って、「あっち!あっち!」と同級生たちに叫ばれた記憶もある。
自分のことを「運動神経が悪い」と認識していたので、積極的に運動にコミットしなかったのが原因のひとつでもあったのだと今は思う。
小学校3年生のときにあったスポーツテスト。
遠投で14メートルしかソフトボールを投げられない僕は、「女子並み」。
球を投げると言う経験をしたことがない女子と同じ程度の距離で、男子の中では恐らく最下位の1,2位を争うような記録だった。
その時に恥ずかしさ、くやしさ、そして自分に対する諦めを今でも忘れることは出来ない。
全ての始まりは母親の放った「あなた運動には向いていないわね」だ。
親の言葉が呪文のように子供を縛り続ける恐ろしさ。
その言葉故に運動に積極的に関わることを避ける自分、それ故運動が苦手になるバッドスパイラル。
それは親となった今、とても気を付けていることの一つだ。
ちなみに中学校で運動神経の悪い自分を変えようとして、サッカー部に無理して入部した僕は、自分が運動神経が悪くないことを発見する。
むしろ球技などはすぐ上手くなり、どちらかと言えば運動神経がいいほうの部類であることがわかった。
今でもときどきその事を思い出しては母親に恨み言を言うことがあるが、母親にも思いはあった。
母親は音楽教育の専門家で、自分の息子に全力で音楽教育を施していた。だから運動ではなくて音楽的に、文化的な才能、適性がある息子を夢見ていたのだ。
これも面白いもので、その親の気持ちを受け止めていたのだろう。運動神経の悪い「僕」は図書館に通うのが好きで、クラシックを聴き、物知りで、知識では同級生たちに負けない、と思っていた。
親の思いがどれほど子供に影響するのか良くも悪くも、今振り返ると恐ろしいと思うほどだ。
子どものキャラクターの半分は、いや、ほとんどは親が作る。
それはその後なかなか覆すことが出来ない。それを克服できたとしても、そのトラウマは一生残る。
そんなことを中年期を過ぎた今、改めて思っている。

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