青年海外協力隊 活動編 #7「まさかの一時帰国に至るまで」
さて、前回活動編の記事を書いたのが2月7日だったので、それから約2か月近く更新を怠っていましたが、また少しずつnoteを書いていきたいと思います。
実は、現在ドミニカ共和国から日本へ一時帰国しています。理由は、もちろんコロナウイルス。全世界で活動中の協力隊員を帰国させるという知らせを聞いたときは、中南米はアジアやヨーロッパほど流行しているわけでもなく、正直、帰国したくない気持ちの方が強かったです。しかし、今は帰国できて本当に良かったと思っています。(理由は、また別のnoteに書きたいと思います)
1月中旬から配属先のISFODOSUで活動が始まり、2月から3月にかけてスペイン語に苦労しながらも、何度か大学生の前でタジェール(大学の授業内で学生向けに講座をさせてもらっていました)を行う機会をもらったり、小学校に訪問して算数の授業を見学させてもらったりと、少しずつですが活動を進めてきました。そして、同期隊員が集まって、3月6日に行われた3ヵ月オリエンテーションでは、見えてきた課題や今後の活動のおおまかな見通しをプレゼン。さあ、いよいよ本格的に活動を始めよう!と思っていたところでの帰国でした。
さて、帰国前のドミニカ共和国の様子ですが、最初にコロナウイルスの感染者が出たのは、3月入ってすぐだったと思います。しかし、その時はホストファミリーも職場の同僚たちも、私たち日本人ボランティアでさえ、そこまで危機感は感じていませんでしたし、日常生活への影響もありませんでした。また、ドミニカ共和国は、2月に予定されていた全国統一市長選挙が3月15日(日)に延期されていたこともあり、政府も3月中旬までは選挙一色。コロナの患者数も5人程度でした。
ところが、その前後からアメリカの感染拡大が問題視され始め、なんとなく嫌な雰囲気に。そして、選挙後の月曜日。気付けば感染者は20人を超え、大統領もコロナへの対策として、学校を休校にすることなどを発表しました。それと時を同じくして、JICA本部が全隊員の帰国を発表。一気に帰国に向けて慌ただしくなった感じでした。(現在、ドミニカ共和国内のコロナ感染者は1000人を超えてます)
そんな中、私は選挙後の17日火曜日に大学へ行き、久しぶりに同僚の先生たちと会いました。ちなみに選挙前の13日(金)から選挙後の16日(月)まで、選挙の影響で学校は4連休でした。選挙ための休校に引き続いて、コロナのための休校が決まってしまったため、先生たちは、休校の間どのようにオンライン授業を進めるのかを慌てて協議していたようです。私はというと、休校期間にタジェールができるよう、黙々と準備をしていました。ところが、JICA事務所から帰国が決定したとのメールを受け取ります。急いで先生たちにも話して、しばらくお別れになるため、その日は挨拶をしてまわりました。すでに休校になってしまっていたため、学生には結局会えず、何も挨拶ができなかったことが心残りです。
職場への挨拶を済ませ、家では帰国に向けて急いで荷造り。そんな中、大統領が国境を封鎖することを発表。おかげで結局、出発できなくなり、学校も休校のため活動もなく、自宅待機となりました。最初は2週間の国境封鎖と聞かされていたため、4月3日に出国予定でしたが、急遽アメリカまでの飛行機が手配できたということで、3月22日に出国することができました。
帰国の際は、経由地のアトランタで1泊し、14時間弱のフライトを経て成田に到着。何度かヨーロッパに行ったこともあり、12時間前後のフライトには慣れていたつもりでしたが、今回の14時間は、今までのどのフライトより長く感じました。多分、予想外の帰国と普通じゃない状況に、知らず知らず緊張感を感じていたのだと思います。無事に帰ってこれて本当に良かった…
ここからは余談ですが、成田空港に着いて、笑うしかないエピソードがありました。預けていたスーツケースを受け取ると、がっつりへこんでいたんです。しかも両側(笑)もう、どうやったらフレームまで曲がるのか本当に分からなくて、他の隊員も爆笑でした。日本で預けた荷物が壊れるなんてことは、ほぼありませんが、海外でのスーツケースの扱いは驚くほど雑。実際、夏休みのヨーロッパ旅行でも預けていたスーツケースに穴が開いたので、ドミニカ共和国に行く前に買い直した経緯があり、「またか」という感じでした。(今回は帰国便だったので、新しいものと交換してもらえました!)
さらに、このハプニングの後、福岡への便に乗り換える時間があまりないのに、慣れない成田空港で道に迷ってしまい、第三ターミナルへ着いたときには、搭乗受付時間終了間際。急いでチェックインをして荷物を預けると、今度は荷物検査場に呼ばれて「荷物を開けてください」。しかも、よりによって壊れたスーツケースを!(私がモバイルバッテリーを入れていたのが悪いのですが…)
その後は、多分想像できる方もいらっしゃると思いますが、フレームがゆがんでいるので、一度開けると閉まらないわけです!結局、閉めようと格闘する時間もなく、ガムテープでぐるぐる巻きに。もう笑う余裕もないほど時間がなくて、最後は手荷物検査を受けている最中に、放送で名前を呼ばれる始末。仕方のないこととは言え、かなり申し訳なかった!ただでさえ長距離移動で疲れていたのに、さらに疲労感の上乗せで、家に着いた頃にはヘロヘロでした(笑)
今回の記事は、帰国が決まってから福岡に帰ってくるまでの経緯をまとめましたが、2月中の活動のことや、帰国に際して感じたことなど、また書きたいと思います。何と言ったって、帰国後2週間は自宅待機と言うことで、時間だけは、たっぷりあるので!
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