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私が、私という呼吸をしない。

ここしばらく、目まぐるしい変化や対応に追われる日々。
”私が、私という呼吸をしない”ことに、ある日突然ハッとした。

本当は、もう何もかもぶちまけて全部ラクになりたいとも思うし
そんなことより、とにかく休みたいと思う気持ちもある。

”私という一人の人間が生きていく上で、なぜ私の在り方や将来の行末を、他人が勝手に決めるのか”

誤解のないように書いておくが、そういう人と出会っても離れるようにしてきたので現在はもう言われていない。ただ、ここしばらくの間にも、ものすごい言われようだなと思うことが度々あった。

彼らにとっては”自分たち”という主役がいて、私は”役に立つ道具”だったのかもしれない。

色々な基準が次第にズレていって、
私という一人の人物を、命あるものとして見てはいないことに気付いた。

”こちらが正しい情報です”と伝えても、それを記録しない、覚えてくれない。そんなことまで言わなきゃいけない日々も、もう疲れた。

道具として見られて、私が望む生活が手に入るならいいけれど
道具として頑張っても、私が望むものは手に入らない。

私が私という呼吸をして生きていくために、
まずはこの気持ちとしっかり向き合って、ちゃんと消化したい。


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桜色せつな
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