書評:『時間SF傑作選 ここがウィネトカなら、きみはジュディ』(大森望編、ハヤカワ文庫SF)
日本では、なぜか不思議と時間SFが好まれる傾向にあると思う。「時をかける少女」は何度も映像化されているし、某大人気アニメ映画も時間SF要素をメインガジェットに据えていた。
そんな時間SFの傑作ばかりを集めたアンソロジーが、今回取り上げる『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』だ。SFマガジン創刊50周年を記念したアンソロジー企画の第2弾で、訳し下ろし作品を含む13作を収録している。
最初の作品が現代SF最高の作家のひとり、テッド・チャンの「商人と錬金術師の門」。「アラビアン・ナイト」を下敷きに、物理学的に説明可能なタイムトラベルを扱った作品。複数の挿話を通じて、ごく当たり前のことを物語に託して丁寧に描いている作品なのだが、そこはさすがチャン、無味乾燥というわけでは決してない。当然といえば当然の結論ではあるのだが、それを真正面から描き、物語の中で何度も確かめた上で最終的な結論が提示されるので、読後感が非常にいい。チャンの作品を読み終えた後の、世界が澄んで見えるような清涼感は本作にもきちんと備わっている。
デビュー作「バビロンの塔」もそうだったが、テッド・チャンの描く中東は生き生きとして、ものすごく魅力的に感じられる。特に生活の描写が細かく描かれているというわけではないのに、なぜなのだろうかといつも思う。言葉の端々に感じられるその土地の人らしさによるものなのだろうか。もしそうならば、チャン本人の文章だけでなく、その翻訳者の仕事も優れている、ということになる。本作の翻訳者は編者でもある大森望。さすがです。
「限りなき夏」は、クリストファー・プリーストの代表作とされるのも納得の名作。人生の絶頂にあったあの夏のまま凍りついた自分と恋人、そして今も凍りついたままの恋人。”凍結”させられた人間を感じることが出来るのは、同じく”凍結”された経験のある人間だけであり、主人公は時代的にも、そして能力的にも孤独を味わうことになる。あの夏が目の前にあるのに、見るだけで触れない、という設定が煩わしくて、感情を掻き立てられる。要は、エモい設定だ、ということになる。
私はこの設定を途中までうまく掴めず少々混乱したのだが、わかってさえしまえばあとは問題なかった。投げっぱなしのラストなどではなく、きれいに終わってくれるのも評価したいポイント。
このアンソロジーで唯一合作による作品「彼らの生涯の最愛の時」はイギリスのイアン・ワトスンとイタリアのロベルト・クアリアによるもの。ラブロマンスものなのだが、多少SFを読みなれている者ならば中ほどまでには大方展開がわかってしまうだろう。しかし、砕けた言い回しや、ところどころに挿入されるギャグが心地よく、その先がわかっていても楽しめる作品だった。
ボブ・ショウ「去りにし日々の光」は光の透過速度が異常に遅いがゆえに過去の光景を見ることが出来る”スロー・ガラス”というガラスを扱った作品。この作品が名作との評を受けているのはスロー・ガラスという魅力的なガジェットが登場するからと言っても過言ではない。実際、この作品の登場人物の人物造形をもう少し丁寧に、緻密に作り上げていたならば、もっともっと高く評価された作品になったと思う。これだけセンチメンタルな作品なのに、後味がよくないのが残念だ。逆に言えば、アイデア一本勝負で非常に潔いSFであるとも言える。
ジョージ・アレック・エフィンジャー「時の鳥」は秀逸な馬鹿SF。主人公は、祖父母から貰った大金で、見聞を広めるためにアレクサンドリアの大図書館への時間旅行に向かうのだが、向かった先はどうも当時の雰囲気とは似ても似つかないところで......? という感じで、重厚な歴史SFかと思いきや全然違う。色んな意味での馬鹿SFであり、作品全体の馬鹿っぽい雰囲気が最後にかけて効いてくるのがにくい。
書評をしていてなんだが、結局のところ、「商人と~」といい「時の鳥」といい、中東っぽいSFに私は弱いのかもしれない。
ロバート・シルヴァーバーグ「世界の終わりを見にいったとき」は地味ながら楽しんで読んだ作品だ。作品世界では終末を見にいく未来旅行が人気となっているのだが、という作品で、短い中にブラックユーモアが漂う良作。短いだけに、あまり書きすぎると読む楽しみを削いでしまうので、これぐらいにしておこう。
奇想SFの名手シオドア・スタージョンの「昨日は月曜日だった」は、これまたいい奇想SF。昨日は月曜日で、今日目を覚ましたら水曜日だったのだ。何が起こったのか一切理解出来ないが、そういうものはそういうものだとして納得するしかほかにない。これが面白いのは、すっとぼけているのではなくて、あくまで本当に火曜日がすっ飛ばされているというところにある。妙に理屈っぽくて、悪夢に苦しむのではなく、世界の裏側を冷静に見る構造になっているのが読みどころ。
スタージョンはSFを読みはじめたタイミング的にあまり馴染みがない作家だったので、読み進めるいいきっかけになったと思う。
「旅人の憩い」を書いたデイヴィッド・I・マッスンは、この作品を書いたことでSF史に名を残した。要は一発屋なのだが、さすがに一発屋として名を残すだけあってこの作品はなかなかすごい。場所によって異なる時間の流れの速さを、特異な文体を用いて描いた手の込んだ作品だ。
......白状すると、最初に読んだときはあまり面白さが分からなかった。設定と状況を理解するのにいっぱいいっぱいになっていたのだろう、理解するには理解したのだが、設定に凝っただけの作品だという程度にしか捉えていなかったのだ。それが、読み直してみるとなかなか面白い。初読からひと月と経っていないのだが、ただ読み直すだけで評価は上方修正された。一回読んでそんなでもないと思っても、もう一度読み直すとこういうことがある、というのは読んでいて面白い経験だった。
時間ループものの古典的な作品として今回初邦訳という形で収録されたのが、H・ビーム・パイパーの「いまひとたびの」。1947年初出というから、まさに古典というべき時代の作品だ。基本的には古い時代のSFという感じなのだが、ループものとして王道中の王道をいく作品なのでSFとしての面白さは色あせていない。後半の、SF的な説明があまりにも説明的過ぎるのが残念だが、当時のSFに巧みな語りを求めるのは贅沢というものだろう。全体的に目立った欠点はなく、当時の水準としてはかなりの良作と言える。現在の視点でこの作品を読むと、ラストに提示される未来への無邪気な希望が微笑ましい。
本作が気に入った方には、筒井康隆「秒読み」という似た雰囲気の作品との読み比べを薦めたい。
リチャード・A・ルポフ「12:01PM」はこれまた古典的な香りの漂うループ作品。少し退屈なシーンもあるが、それが悪いわけでは決してなく、むしろ1時間のループを繰り返す主人公の感じる退屈さ加減を実感できるという点でよく作られた作品だ。読みやすい作品であり、ループもののお約束を丁寧になぞった作品であるので、このアンソロジーに収録されるのも納得の出来。
この作品についても、筒井康隆「しゃっくり」という作品との読み比べを薦めたい。
ソムトウ・スチャリトクル「しばし天の祝福より遠ざかり......」は芳醇な馬鹿臭を漂わせつつも、意外な方向へと引っ張っていくこれまたループ作品。前の2作と違うのは、ループに巻き込まれた全人類がみなループ中の記憶を保っているところ。自由意思をもちながらも同じ日を700万年つづける地獄のような日々の中で、自由意思をどのように使っていくのか。馬鹿らしい物語の中で、自由意思という真面目なテーマを扱っているのが好印象。
再び登場したイアン・ワトスンの「夕方、はやく」は滅茶苦茶な展開が持ち味のループもの。一日の中で人類の歴史を繰り返す日々を描いた作品なのだが、完全にラストシーンにもっていかれた。まさかそうなるとは。荒唐無稽な物語のようにみえて、計算高く読者をひっかけにくるのが、無性にむかつく。そこでただ終わるだけじゃなくて、じゃあ逆に考えると......と、想像が膨らむいいSFだった。もしかすると、収録作の中で一番好きかもしれない。(ほかは「商人と錬金術師の門」「限りなき夏」が特にお気に入り)
最後を飾るのが、F・M・バズビイの名作「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」。人生を飛び飛びに生きる男と、同じく飛び飛びに生きる女の出会いを描いた作品で、ところどころで予想していた展開から外れていって面白かった。まさか、それが出来るとは、そうなっていくとは、という感じで予想外の出来事を楽しむ、SFを読む楽しみを味わえたかと思う。個人的な好みを言えば、もう少し一本気であればよかったかな、という感じなのだが贅沢は言うまい。
通して読んでみて、捨て作が一切なかったのが本当に素晴らしい。大抵の場合、アンソロジーで面白く読める作品は半分あればいい方だと思うのだが、この本はどれも面白く読めた。そして久しぶりに時間SFを読んでみて、当たり前のことではあるのだが、やっぱり面白いものは面白いと感じた。SFに触れてスレてくると、時間SFなどという科学的に怪しいSFに対して斜に構えて自分からは読まなくなってしまったのだが、こうしてまとめて読んでみると自分がかつて好きだったSFにまた出会えたようでこれもまた面白い経験だった。
この本は時間SFが好きな人ならば確実に楽しめるし、とりあえずSFが好きな人であればまったく外れるということはないアンソロジーだ。(さすが大森望)
書誌情報
『時間SF傑作選 ここがウィネトカなら、きみはジュディ』
早川書房、ハヤカワ文庫SF、2010/9
大森望 編
「商人と錬金術師の門」テッド・チャン/大森望 訳
「限りなき夏」クリストファー・プリースト/古沢嘉通 訳
「彼らの生涯の最愛の時」イアン・ワトスン、ロベルト・クアリア/大森望 訳
「去りにし日々の光」ボブ・ショウ/浅倉久志 訳
「時の鳥」ジョージ・アレック・エフィンジャー/浅倉久志 訳
「世界の終わりを見にいったとき」ロバート・シルヴァーバーグ/大森望 訳
「昨日は月曜日だった」シオドア・スタージョン/大森望 訳
「旅人の憩い」デイヴィッド・I・マッスン/伊藤典夫 訳
「いまひとたびの」H・ビーム・パイパー/大森望 訳
「12:01PM」リチャード・A・ルポフ/大森望 訳
「しばし天の祝福より遠ざかり......」ソムトウ・スチャリトクル/伊藤典夫 訳
「夕方、はやく」イアン・ワトスン/大森望 訳
「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」F・M・バズビイ/室住信子 訳