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書評:『SFマガジン700【海外篇】』(山岸真編、ハヤカワ文庫SF)

 日本のSFを黎明期から支え続けてきた雑誌、それがSFマガジンだ。そのSFマガジンが通巻700号を迎えたことを記念して編まれたのが今回取り上げる『SFマガジン700【海外篇】』というアンソロジー。海外篇とある通り、このアンソロジーには国内篇もあり、それぞれ海外篇が山岸真、国内篇が大森望と、当代きっての選者による傑作選となっている。

 トップバッターはアーサー・C・クラーク「遭難者」。この作品は太陽から地球に流れ着いた、イオンで構成された生命体の話。このような荒唐無稽な話でも、クラークの手にかかればありえそうな話に思えてしまうのが面白いところ。47年の発表当時では最先端技術であったレーダー技術がハードSFとして扱われているのも、時代を感じて面白い。さらに言えば、クラークは第二次大戦中は空軍でレーダー技術者として働いていていたので、まさにクラークらしい作品と言える。

 ロバート・シェクリイ「危険の報酬」は、日本SF史を語る上では欠かせない最重要作品。この作品はSFマガジンの創刊号に掲載された作品であり、小松左京がSF作家を目指すきっかけになった作品として有名だ。小松左京のほかにも、筒井康隆や手塚治虫など、のちのSF界を担う作家たちに強烈な衝撃を与えた。
 本作は殺し屋から逃げ切ったら高額の賞金が得られる視聴者参加型番組に参加した男が主人公。ピンときた方もいるだろう。手塚治虫『火の鳥』の「生命篇」のルーツはこの作品なのだ。先ほどの衝撃がいかほどのものだったかというのが、このことからも分かる。
 さて、本作は1958年に発表された作品なのだが、古びているかと言ったらまったく違う。むしろ、同時代に発表されたのではないかと思ってしまうほどだ。この作品はメディアの本質というものを深く見通して描かれた作品。普遍の真実というものを、鋭く描き出し、いつまでも色あせない作品なのだ。

 「夜明けとともに霧は沈み」の作者ジョージ・R・R・マーティンは、有名ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作者。日本でもAmazonやHuluで配信されていたので、視聴した方も少なくないのではないかと思う。本作はそんなマーティンのSF短篇なのだが、SFと言い切るには少し難しい部分があり、それがまた魅力にもつながってくる。
 本作の舞台は、夜ごとにたちあがる霧を観光名所とする星。神秘的な噂のある霧を科学的に解き明かそうとする主人公と、それを阻止しようとする現地ホテルの主人とのやりとりを通じて、科学という営みに対して疑問を提示する構造になっているのが読みどころ。SFは科学や理性に基づいたフィクションでありながら、それらをも問い直すことが出来るのがいい。SFのもつ、強い相対化作用を象徴する作品だ。

 ラリイ・ニーヴン「ホール・マン」はヒューゴー賞を受賞したハードSFの名作。科学を疑う「夜明けとともに霧は沈み」の直後にこの作品の順番が来るのが、ものすごくいい。この作品の舞台は火星。火星で異星人の基地を探索している途中で、あるものを見つけるのだが......。
 ハードSFは、難しい。読むのが、ではなく、書くのが難しいのだ。科学的に整合性がとれることばかりを追うと小説としての面白さが欠けるし、かといって小説的な面白さを追求すると、都合のよすぎる、科学とは言えない理科的な話でお茶を濁すことになってしまう。それなのに、ニーヴンは小説的にも、科学的にも一定以上に面白い作品を書くのが本当にすごい。多少不思議な部分はあっても、物語の根幹となるメインガジェットは、確かにいつも科学的だ。まさに、サイエンス・フィクションの王道と言えるだろう。

 サイバーパンクの中心人物、ブルース・スターリングの「江戸の花」は、”将軍のお膝下”から”帝都”に移っていく過程の、文明開化の波にさらされる東京の姿を、実在の落語家三遊亭圓朝の目を通して描いた作品。圓朝のほかにも、浮世絵師の月岡芳年も登場するが、お気づきの通り、このふたりは江戸の伝統文化の体現者である。この作品は、サイバーパンクではなく、変わりゆく都市の姿を、変わらない人の目線から描き出す、その変容のありかたを静かに見つめた作品であり、時代の大きな変化を小さな変化の積み重ねの中から見出していくのがいい。技術によって社会が変容していくのは、人類と社会とが避けられない宿命だ。そういうなかにあっても、人は柔軟に変わっていって、変容する社会に適応することが出来る。ふとした瞬間に読み返したくなる作品だ。
 この作品を読んでいて驚くのは、アメリカ人であるはずのスターリングが、明治期の東京を見て来たかのように描き切っていること。さらに言えば、題名「江戸の花」の通り、江戸の華がしっかり登場しているのにも注目したい。細かな仕掛けがすべて時代と噛み合う、傑作だ。
 なお、本作はスターリングの本国アメリカに先駆けて、SFマガジンでの邦訳版が発表されている。その意味でも、SFマガジンの傑作選に載るにふさわしい作品と言える。

 ”もっとも男らしい”と呼ばれた女性SF作家、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「いっしょに生きよう」は、その男らしいまなざしを体現した秀作。ティプトリーの作品と言えば、大抵物語の最後で登場人物が死ぬのだが、本作は最初から死人が出ている。そして悲惨なラストを迎えるティプトリー作品の中にあって、比較的将来性のあるラストなのも気に入っているポイントだ。
 ティプトリーを読む面白さとして、私は題名の意味が分かる瞬間の感覚を挙げたい。もちろんそれだけではないのだが、よくわからない状況からはじまって、その状況を呑み込めてぱっと世界が開く感覚、そして題名が回収される瞬間、私はそれらの感覚がすごく好きだ。この感覚こそ、わたしがSFに求めている感覚なのだ。
 この感覚は、下手くそな作家ではただの分かりづらい作品になってしまう。ティプトリーのような、20世紀最高のSF作家と呼ばれるような作家が試みるからこそ、ものすごくかっこよくて、ものすごくキマッた作品になるのだろう。この感覚こそ、SFのかっこよさの本質であり、SFを読む楽しみの本質でもある。

 ファンタジー風の前半部が印象的なイアン・マクドナルド「耳を澄まして」は、読み通すときっちりSFをやっている作品。幻想的で、少し設定を呑み込むのに苦労するかもしれないが、いい意味で最初の印象から逸脱していく面白さが楽しめる。この作品を読み直しているとき、とある名作長篇を2作ほど連想したのだがそれはそれで別の話。ともかく、短くまとまった、幻想的でありながら科学的にも描写がされている作品なので、最初の印象がだめでも読み進めてほしい作品。自分自身、読み直すまではあまり面白くないと思っていたが、読み直してみたら面白く読めた。そんなことも、たまにある。

 現代SF二巨頭のひとり、グレッグ・イーガン「対称」は物理学が前面に出た作品。宇宙空間に作られた、異なる磁荷をもつ磁気単極子同士を衝突させる大型の直線粒子加速器で起きた問題を調査する話で、古風な雰囲気を漂わせつつも、イーガンらしい展開が待ち受けている。
 イーガンがすごいのは、小説でしか出来ないような、視覚的に想像することが出来ないものごとを、いとも簡単に描写してしまうこと。種明かしされてもまったく想像がつかない出来事が、当然のように登場する。
 実のところ、イーガンの科学的説明はかなり虚実織り交ぜたものであり、本作でも現実の物理学に沿うような議論と、明らかに確度の落ちた議論とが入り混じっている。作品の理解に必要な部分は丁寧に説明されているので、わからないところはそのままわからないままでも大丈夫。気軽に読んでほしい作品だ。

 アーシュラ・K・ル=グィンのネビュラ賞受賞作「孤独」も、作家の特徴がよく出た秀作。ル=グィンが立脚するのは文化人類学。その優れた知見を基に、未知の世界を文化的な側面から立ち上げ、そしてそれを物語の中で見つめ、ひいては人間というものをその物語の中に見出していく。ただ不思議な世界を粗雑にでっちあげるのではなくて、人々の営みを積み重ねた結果としての異世界を描き出すのがル=グィンの面白さだと感じている。
 本作は、とある星の文明が滅亡した後に生きる人々の姿を研究するため、フィールドワークに訪れた文化人類学者の母親と、その子供たちの話。異なる文化の狭間で起こる対立を、双方の視点をしっかり描くことで論理的に、しかし情緒豊かに描いた作品だ。「孤独」という題名がいい。一見不条理で納得のいかない慣習があったとしても、その中にある人にとっては極めて条理的なことがある。たとえ孤独にみえたとしても、論理的にそれがいいとする考えもある。物語の中で自らそれを読み取るからこそ、自然と納得がいくような仕掛けになっているのが上手い。

 コニー・ウィリス「ポータルズ・ノンストップ」はアメリカSF界の長老として知られていたジャック・ウィリアムスンにささげられた作品。正直、ウィリアムスンその人を知らないうえ、アメリカのSFファン事情に疎いので、理解出来ているかと聞かれたら出来ていないと返すしかないのだが、ウィリスのSF愛は確かに伝わってきた。

 パオロ・バチガルピ「小さき供物」は環境汚染の進んだ近未来での出来事を淡々と綴る作品。ピントがずれるかもしれないが、この作品を読んで森鴎外の「高瀬舟」を連想した人は少なくないと思う。社会における選択肢なき選択を目の当たりにして答えの出ないさまが、連想のもとだ。
 バチガルピは環境SFを得意とする作家で、この作品もバチガルピの特徴である未来への無責任な希望への疑念がはっきりと前面に出ている作品だ。私はバチガルピが思うほどには未来はそんなに悪いものではないと思うのだが、バチガルピの作品を読むたびに、自分の無根拠な希望は大丈夫か、と考え直すことになる。この「小さき供物」は、それが命あるはずのものであったということが、なおさら私に未来への希望の再考を迫るのだ。

 最後を飾るのが、現代SF二巨頭のもうひとり、テッド・チャンのヒューゴー賞受賞作「息吹」。チャンの魅力は、よく知っているような物事から物語をはじめて、思いもよらないラストへと導いていってくれる意外性、そしてそのことで世界が変わって見える”センス・オブ・ワンダー”にある。この作品では、”呼吸”と”熱力学第2法則”から物語をはじめて、想像を超えるヴィジョンを示してくれる。この一作のためだけにこの本を買うのはありだし、むしろそうするべきだ。それほどにこの作品は鮮やかで、素晴らしい。

 このアンソロジーは、私がティプトリー、シェクリイ、スターリング、ニーヴン、バチガルピ、マーティン、マクドナルド(ほとんど全員じゃねぇか)とはじめて出会った、思い出のつまったアンソロジーだ。もともと好きな作家(収録作家の中ではイーガン、クラーク、チャン)ばかりを読むタイプの読者であった自分が、幅広く色んな作家を読むようになったのも、このアンソロジーで知らなかった作家の作品を読む楽しみを知ったからであった。直接の先達に恵まれなかった私にとって、種々のアンソロジーが、ひいてはその編者たちが私の偉大な先達となった。伴名練のメッセージにもあった通り、アンソロジーは、着実に次の世代の読者を育てているのだ。

書誌情報
『SFマガジン700【海外篇】』
早川書房、ハヤカワ文庫SF、2014/5
山岸真 編
「遭難者」アーサー・C・クラーク/小隅黎 訳
「危険の報酬」ロバート・シェクリイ/中村融 訳
「夜明けとともに霧は沈み」ジョージ・R・R・マーティン/酒井昭伸 訳
「ホール・マン」ラリイ・ニーヴン/小隅黎 訳
「江戸の花」ブルース・スターリング/小川隆 訳
「いっしょに生きよう」ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/伊藤典夫 訳
「耳を澄まして」イアン・マクドナルド/古沢嘉通 訳
「対称」グレッグ・イーガン/山岸真 訳
「孤独」アーシュラ・K・ル=グィン/小尾芙佐
「ポータルズ・ノンストップ」コニー・ウィリス/大森望 訳
「小さき供物」パオロ・バチガルピ/中原尚哉 訳
「息吹」テッド・チャン/大森望 訳

(下村思游) #SF #書評 #読書

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