個性と障害
質問「障害は個性ですか?」
面白そうなテーマなので、考えてみました。
障害とは何か、ですね。
生きて生活するのは、どんな人でも苦労します。楽ではありません。
例えば足が悪い、少し悪くても、歩ければいいではないかという意見もあります。
走れなくても別に困りません。
例えば吃音、言葉の発声が円滑でなくても、声が全く出ないわけではありません。
例えば目が見えない、見えなくて聞こえればいいではないか、という意見もあります。
困っている当人からすると、傍からの意見は何の役にも立ちません。
一般的に、人は自分のことはある程度分かるが、他人のことは全く分からないのが普通です。時には、自分のことさえ見えない人も大勢います。
障害は、現に体験している当事者以外の人から見れば、良く分からないのが普通です。
個性とは、何でしょう。個々人の違いと言えば、当たり前です。
この世の人で、誰一人同じ人はいません。違って当然です。
当然なことを、わざわざ個性と言うのは何故でしょう。
それは、違いを認めたくない、皆が同じようにして欲しい、という暗黙の同調意識が強いからだと思います。
違う意見の人がいると困るのです。
皆が一緒にしないと、安心できない。
多分、そう感じる人たちが多数だからでしょう。
学校や職場では、そういう雰囲気が濃厚です。
個性という言葉で持ち上げないと、無視されてしまう現実があるのでしょう。
障害は、その実態を当事者しか良く分かりせん。
個性は当然でも、現状では無視されるのが普通です。
どちらも、理解されないという共通点があります。
上記の意味で、障害と個性は共に共通点があります。
障害と個性は同じようなものかもしれません。
77年生きて来た私の経験から言えること。
個性といえど、大きな違いはない、ということです。
全ての人は50歩100歩です。
共通点や類似点が圧倒的で、ほんのわずか、違いがあるだけです。
障害も同じです。
全ての人は、何らかの弱みや欠点や障害をもっています。
これも50歩100歩です。
障害のない、まともで、異常性のない、普通の人など、
どこにもいないでしょう。
全ての人はいくらか可笑しな変なところがあります。
通常の感性では理解が困難な面があります。
当人は、しごく普通と思っていても、
ていねいに見ればおかしな点です。
私の知り合いにも、そういう人がいます。
プライドが高く、自分は別の世界にいると思い込んでいます。
立派な人間だと本当に思っているのです。
立派な人など、この世、この世界には、
ひとりもいません。
釈迦もキリストも同じです。
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