人が生きるとは

今朝の朝日に、負けて悔しいとヤケ酒を飲む

51歳男性の話が書いてある。

負けて悔しいは小学生や中学生のこと。

大人になれば、勝負より自分との闘いになるのが普通。


人と同じ土俵で争うのは、子ども時代。

大人はもっと自分独自で固有の道は歩く。

人と比べることはしなくなる。


囲碁や将棋、野球やサッカー、

すべての争いは、遊びの一種、

あるいは、人生の時間つぶし。


大事なのは、自分本人の成長や成熟。


普通の大人なら、

一位になることを、それほど求めない。

無理しないでできることをして、その結果の名誉ならいい。

それほどの優越や満足はないだろうが。

求めての名誉は、非常にムナシイ。


富や出世も同じ。


生きるのは争いではない。

もちろん、名誉や富や出世でもない。


50歳を過ぎて、

まだ、名誉や出世や富にあこがれるのは愚か。


例えば、孫さん。

未だに、事業で目標や成功を求めている。

人生は短い。

もっと大事なことがいっぱいあるのに、

それらを見捨てて、何を求めるのだろう。


あるいは、ムナシイから、

カタチだけを求めるのだろうか。

中身が空洞だから。


人として生まれたのは、一つの奇跡。

だから、人として生きるとはどういうことか、

それを知るのが最低限の生き方。

それを知ったうえで、


個々人には特有で固有の限界がある。

個性やその人だけの問題やテーマ。

それと取り組むのが人生。


富や成功や栄誉は、人生の一部。

あまり重要でない価値や意味。


人とは何か。

それを知らないで、生きたことにならない。


地球人類社会の命運。

それは、個々人を超えたテーマ。


生きるからには、

個々人、世界一幸せにならなくてはいけない。

それはたやすい。


そのうえで、

人として生きるのはどういうことか。

それを知るのが、普通の生き方。

当たり前すぎるが。




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