人の器
人としての器が大きいとはどういうことか。そんな質問があったので回答した。
人は哀れな生きものです。
自分が何者であるかも知らずに愚かなままで一生を終えます。
そんな弱き生きものですから、器の大小はないというのが正直な回答です。
多様で豊かな人生体験を経れば、器も大きくなるという他の方の感想がありましたが、
私は、そういう人に出会ったことがありません。
逆境や大病となれば、あるいは死を前にすれば、全ての人は、いくらかうろたえます。当たり前です。人はあわれな生きものです。
あわれな生きものが粋がっても底がしれています。
器が大きそうに見せ演技することは簡単です。
人ができるのは演技だけです。
演技で騙される人もいるし、そうでない人もいます。
人は本質的に弱く愚かな生きものです。
弱さを自覚していると、大きく見せようなどとは思わないでしょう。
もし、強い相手と喧嘩しなくてはいけなくなれば、
自分を弱く見せる方が断然得です。
無駄な争いはしない方が賢明です。
もし、器が大きな人がいるなら、
その方は、生と死が分かっている人です。
生も死も喜ばしいと知る人です。
どんなに喜ばしくとも、我が子の死に合えば、
嘆き悲しむのが人でしょう。