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小匙の書室393 ─マイ・グレート・ファーザー─⭐︎先読みレビュー
もしもあなたがタイムスリップをして。
辿り着いた場所で、同じ歳の親と出会ったらどうしますか。
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──時岡直志は、売れないカメラマンとして毎日をあくせくと生きていた。
そんなある日、彼はひょんなことからタイムスリップしてしまう。
辿り着いた場所は、三十年前の競輪場。
そこで直志はひとりの男と出会う。
──それは、彼の亡き父親だった。
期限はたったの三日。
奇跡のような時間で、父が託す言葉とは。
2/21。文藝春秋さんより、いま一番ほろりとくる小説が刊行される。
平岡陽明 著
マイ・グレート・ファーザー
だ。
ヒューマンドラマが好きなら、必見だ。
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時岡直志は、売れないカメラマンだ。
そして、引きこもりの一人息子を抱えた父でもある。
ある日、ふらりと訪れた神社で見舞われた地震。
直志は倒れた拍子に頭を打ち、目が覚めたら、三十年前にタイムスリップしていたのだ。
しかも、父親と邂逅するのである。
直志はまず、父はプライベートでどんな人間だったのかを知ることになる。
無論、良いことずくめではない。
その振る舞いから嫌なことを思い出して苛立ちを募らせたり、ときおり垣間見える哀愁に逆に情けなさを覚えたりするのだ。
とはいえそれは、直志が父と向き合っているからこそ芽生える感情なのである。
これは即ち、
腹を割った親子の会話
であり、作品の重要テーマにもなっている。
近過ぎる関係だからこそ言えないことがあるだろう。
特に直志は、若い時分に父を亡くしていた為、胸の内側には数々の疑問が消化されないままこびりついていた。
だからこそタイムスリップによる再会は──あるときは親子として、またあるときは同じ歳の息子を持つ父親として──直志に様々な気付きを与えるのだ。
自分の知っている父親は、果たして本物の姿だろうか?
それは、自分が勝手に描いているイメージではないだろうか?
翻って自分は、息子に正しい父親像を見せられているのだろうか?
そうした考えを持つ一方、直志の「プロのカメラマンに必要なこと」に端を発した、『ひと』としての成長も非常に見所である。
さて。これは忘れてはならないことだが、直志が父と過ごせる時間は限られている。
それは、
三日間。
放っておけば亡くなってしまう父の運命を変えられる鍵は、直志が握っている。
どうしても、父には生きていてほしい。
終盤、奇跡のような時間──一期一会で直志が選択した答えに、親子の絆の尊さに、刮目せよ。
本作はタイムスリップのジャンルにおいて、遜色なく輝いている。
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──2/21。
いま一番“ほろり”とできる、親の歳になればこそ突き刺さる直球の感動作の誕生だ。
読後、ぜひともタイトルと装画を噛み締めていただきたい。
そうすればきっと、素敵な余韻に浸れることだろ。
ここまでお読みくださりありがとうございました📚