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『朝日のような夕日をつれて2024』

「これはみなきゃ、いけない気がする。」

ある時期から、SNSにやたら『朝日のような夕日をつれて』に関する投稿が現れるようになった。

心当たりはないが何らかの理由で、AIに「『朝日〜』に興味がありそうな人間」と判断されたのだろう。

始めは特段気に留めていなかったが、情報に触れてくにつれ、この『朝日〜』に関する投稿が、異様な熱を帯びていることに気がつき始めた。

『朝日〜』って何か全然知らないけれど、文字からどうしたって伝わってくる興奮に、「これはみなきゃ、いけない気がする」そう思って取り敢えずチケットを取った。

何も知らない舞台のチケットに、決して安くない金額を払うなんて馬鹿みたいだけど、こういうときの勘って間違いないのだ。こういうときが一番楽しいのだ。

そして本当に、見事に『朝日〜』は私にぶっささった。
AIが予想した通り、私は「『朝日〜』に興味があり」「『朝日〜』に心動かされる」人間だったのだ。


冒頭、暗転して「朝日のような夕日をつれて…」から始まるセリフが、何も見えぬまま、囁き声で聞こえてくる。

その声はどこから聞こえるのかわからないけれど、どこかからどこかへ移動しているような気がする。

舞台が照らされ、『THE END OF ASIA』が流れる中、5人の背広姿の男がゆっくりと立ち上がる…。

まるで日の出のような光景、一旦理由のわからない涙が出る。

後から思うと、人間はまず母体の中で音だけ聞こえるというし、何か生命の始まりのようなものを想起させられる。

以降はひたすら、ただひたすらに言葉の洪水、言葉遊びの数々に飲み込まれる。
時事ネタ、風刺、いきなり時代が戻ったり進んだり、時に置いてけぼりになる。

劇中でもこのようなことを言っていたと思うのだけど、情報量が多すぎると何も得られないってその通りである。
でもそんな混沌の中、言葉が急に頭に飛び込んできて、冷や水を浴びせられたようにハッとさせられる瞬間が時々ある。あれは一体何なのだろう。

『朝日〜』という戯曲は、立花トーイという玩具会社に勤める男たちが、会社の存続をかけて試行錯誤するパートと、不条理演劇の代表作である『ゴドーを待ちながら』のパートを行き来して進んでいく。

“ゴドー”とは何なのか?
“みよこ”って誰なのか? 
“遊ぶ”こととは何なのか?

ずっと答えはなくてヒントすらない。

でも芝居をみているうちに、生きるってこういうことなのかと思えてきて、生きている“今”という地点をぎゅっと集めて一瞬だけ掴んだ、そんな芝居にみえてくる。

この2つのパートは一見全く関係のない世界に思えるが、見終えて振り返ると、関係ないどころか、切り離せないほど密接な関係なのではないかと思う。

人は誰しも、何かを“待って”いるのだとしたら、男たちひとりひとりも、立花トーイという会社自体も、何かを“待って”いるのだろうと思えてきたからだ。

『ゴドーを待ちながら』はあらすじを調べた程度だが、「人が誰しも待っているもの」と聞いて私が思い浮かべたのは、生きる意味や存在意義だった。

原作の『ゴドー〜』は、2人の男がゴドーという人物を待っているが、結局現れることはなく、絶望して自殺を試みるという話らしい。

が、『朝日〜』では何とゴドーが現れてしまう。しかも3人もだ。

私はゴドーが現れた瞬間、偽物だ!と思った。ましてや2人3人なんて胡散臭すぎる!誰が騙されるんだ!なんて思った。

でもゴドーを生きる意味や存在意義だと仮定して考えてみたとき、誰かにとっては本物のゴドーであるのかもしれないと思い直した。

私は基本的に、生きる意味とか存在意義は、存在しないものだと思っている。
求めるものかもしれないが在るものではないと、そう思っている。

だから私には、「ゴドーだ!」と自ら名乗るゴドーが胡散臭く見えたのだろう。

だけど、生きる意味や存在意義が在るのだと考える誰かにとっては、そのゴドーはきっと本物のゴドーだ。
誰かにとってはゴドー1が本物でゴドー2が偽物だろうし、また誰かにとっては3人とも本物だったりするのだろう。
そしてそれは、他の誰に決められるものではない。

『朝日〜』は、冒頭と同じ「朝日のような夕日をつれて…」から始まる台詞で幕が降りる。

言ったように、劇中何を得られた感覚もないのだが、冒頭にはよくわからなかった台詞が、終わりには「そうでしかないよな」と腑に落ちたのは不思議だった。

見終えた後に、こんなにも晴れやかになるのも、こんなにももやもやするのも、こんなにも希望をみるのも、こんなにも絶望するのも、『朝日のような夕日をつれて』しかないだろう。

そして何より、靴の鳴る音、背広に沁みる汗、飛び散る唾、躍動する身体…。生身の人間のエネルギーをこれでもかというほど体感させ、感動させてくれた5人の役者さんには、ちぎれるほどの拍手を送りたい。

また次の『朝日のような夕日をつれて』を体感する。
これがしばらくの生きる意味になりそうです。

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