舞台『午前0時のラジオ局』
先日、SNSの評判を聞きつけて、舞台『午前0時のラジオ局』を観に行った。
あらすじは、新米アナウンサーの鴨川優が深夜のラジオ番組を担当することになり、そのディレクター蓮池陽一は30年前に亡くなった幽霊ディレクターだった…というもの。ラジオに届くお便りを通して、様々な人たちの物語が展開されていく。
(※以降、ネタバレありです。)
物語の初めは、ラジオ局の一室で陽一がレコードを選ぶシーンから始まる。
『Moon River』の優しい音色がゆっくりと物語の世界に誘ってくれ、心躍る。
物語の前半は、優が長崎のラジオ局に赴任してきて、ディレクターの陽一やラジオ局長、同僚たちと出会い、慣れない仕事に戸惑いつつもラジオ番組の準備を進めていく。
優役の浜中さんや陽一役の福田さんの掛け合いがとても楽しく、絶妙なテンポ感やアドリブに関心しつつも、とても軽やかな気分になった。
階段がついたひな壇とラジオブースだけのシンプルな舞台セットは、時に、ラジオ局である古い洋館や長崎の景色を思わせ、長崎に行ってみたくなる。
奮闘しながらも、優とアシスタントの佳澄が担当するラジオ番組『ミッドランド☆レディオステーション』は軌道に乗ってくが、陽一が優の抱えるある「問題」を指摘したあたりから、物語の空気感が変わっていく。
優は友人を亡くした過去があり、その死に責任を感じている。そしてその友人は幽霊となり優にメッセージを送っているというが、優は自責の念から、そのメッセージを無意識ながら受け取っていないのだという。
陽一を介して友人と会話を交わしていくが、見えない幽霊と会話したり、途中から友人が陽一に憑依したりと、素人目にしても難しい場面ながら、とても自然に、それでいて静かに強く伝わってくる2人の表現に涙してしまった。
その後にも、先輩アナウンサーである海野の物語や、陽一の過去に迫る物語など、話が進むにつれ、登場人物ひとりひとりが抱える人生や思いが明かされていく。
幕が降りた後、涙で湿ったマスクを感じながら、とても柔らかで優しいものに包まれたような感覚になった。この芝居を観てよかったと思った。
実は、こういった「死」に纏わる物語というのは、どこか「お涙ちょうだい」になってしまうのではないかという先入観があった。
だけど、素直に涙出来たのは、人間と幽霊が当たり前に交差する、この「曖昧」な世界観のおかげだと思う。
海野役の道上さんが、パンフレットで「原作を読み進めるにつれて、幻想と現実の垣根が自分の中で段々薄れていくのを感じました。」と言っていたが、私も舞台を観ながらそれを体感した。
生きている人間にとって、「死」というのは最大の垣根だ。
その最も大きな垣根を大胆にも取っ払ってしまったことで、あらゆる先入観や固定概念も脱がされ、心だけで人の「想い」というものを感じることが出来たのだと思う。
友人からのメッセージを受け取れなかった優と同じように、先入観や固定概念、あるいは自身を守るために譲れないもののせいで、近くにありながら受け取れていないものって多いのかもしれない。
そして、この「曖昧」さは、私が舞台に惹かれる理由とも共通しているように思われた。
ひな壇だけの「曖昧」な空間の中で、役者さんの生の姿を見て、生の声を聞いて、生の空気を感じていると、現実ではない架空の物語であるにも関わらず、いつしか感情移入して、自分の感情を投影して、自分の物語と「曖昧」に溶け込んで、没頭していく。
そんな魔法みたいな体験に救われたくて、幼い頃のように楽しみたくて、私は舞台を観に行くんじゃないかと思う。
奇しくも、この日はいつもの音楽プレーヤーを忘れて、珍しくカーラジオをつけていた。
帰り道は意識的にラジオに耳を傾けて、学生の頃、好きだったアイドルのラジオを聴くために夜更かししていたことを思い出した。
ラジオを聴いていると、耳馴染みの良い会話に自分も加わったみたいな気持ちになって、寂しさや強張ったものが、少しずつ和らいでいく。
この舞台も、そんな優しい舞台だった。
しばらくラジオは聴いていなかったが、もう少し、運転のお供はラジオにしておこうと思う。
追伸:原作が手元に届いたので、こちらも読むのが楽しみです。